夕霧 十二
とにもかくにもようやく夕霧は落葉の宮を名実ともに妻としたが、三条の邸では穏やかならぬ事態が進行していた。
「もう終わりね。まさか夕霧に限ってそんなはずないって信じてたけど、真面目男が心変わりしたらトコトンまでいくって話は本当だったわ」
雲居雁はもう夫婦仲を見切った体で、
「こんなに舐めた扱いされてとても平気じゃいられない!」
とばかりに、方違えの名目で致仕大臣の邸へ移った。つまり実家に帰ったのである。折よく里下がりしていた姉の弘徽殿女御と話して少し気も晴れた雲居雁だが、翌日になっても帰ろうとしない。
夕霧のもとにもその知らせが届いた。
(案の定だ……まったく、慌て者というか何と言うか。父大臣そっくり。年配者らしくどっしり構えてらっしゃるところが全然なくて、いちいち事を急ぐしやることなすこと派手だし、不愉快だ!会わん!話も聞かん!とか面倒くさい態度に出かねない)
慌てて三条の邸に帰ってみれば、大勢の子のうち半分は置いたままで、姫君たちや幼少の子たちだけ連れていったらしい。残された子供たちは夕霧に喜んでまとわりついてきたが、哀れにも母を恋しがってシクシク泣いている子もいる。
何度も手紙を出し迎えの車も差し向けるが、返事すらない。何と頑固で軽々しいことをしてくれる、とほとほとイヤになる夕霧だが、舅の大臣への手前もある。日が暮れてから自ら迎えに行った。
大臣邸でいつもの対屋を尋ねてみると、子供達と乳母しかいない。雲居雁は女御と寝殿にいるという。
「姫君にでも戻ったつもり?こんな小さい子たちをあちこちに放って置いて寝殿でお喋りとは。貴女と私の相性がよくないことはここ何年かで思い知ったけど、そうはいっても前世からの宿縁か、貴女への想いは心を離れたことがない。まして今はこんなに手のかかる可愛い子供たちを大勢抱えて、お互い見捨てることなんて出来ないでしょ?頼むよホントに。たかだか家を一晩二晩空けただけでここまでする?」
夕霧は語気強く非難するが、雲居雁も負けてはいない。
「何もかも飽きられてしまった身ですから、性格を直そうにも直るわけもありませんし、もうどうでもいいんじゃない?不出来な子供達だけお忘れにならなければ幸いですわ」
「それはまたご挨拶だね。結局は誰が一番悪く言われることになるのかよく考えたら?」
無理に引きずって帰るわけにもいかず、夕霧はそのまま三条に帰り一人で寝た。
(何と宙ぶらりんな立場になってしまったものだ)
若君たちを傍で寝かしつけながら、
(一条宮邸でも私が来ないのをどう思ってらっしゃるか……あれこれ悩んでおられるだろうな。ああもう、考えることが多すぎる。いったいどんな人がこんなややこしい恋愛沙汰を好き好んで風流がるんだ。私はもう懲り懲りだよ)
と思う夕霧である。
一晩明けても雲居雁は帰らない。夕霧は再び大臣邸に出向いた。
「誰が聞いても大人げない話だから、もう最後と仰るならそのようにしてみましょうか。三条にいる子供たちが可哀想に母を恋しがっているけど、選り残したのはどういう理由?見捨てるには忍びないから、此方で如何様にでもするけどね!」
まだ寝殿にいる雲居雁はこの言伝てに、
(どういうこと?まさか、子供達を知らない所に連れていってしまうの?一本気な夕霧ならやりかねないわ)
と不安になったが、夕霧は対の屋にてさらに言った。
「姫君たちを返してくれ。父が娘に会うのにわざわざここまで来なければならないのも体裁が悪いし、いつでもというわけにもいかない。三条の邸にいる子供たちも寂しがるから、同じ所でお世話したい」
連れて来られた姫君たちはまだ幼く可愛らしい。夕霧はつくづくと顔を眺め、
「母君の教え通りになってはいけませんよ。あんな情の無い、聞かん気の強い性分はよろしくない」
などと言い聞かせる。
いきさつを聞いた致仕大臣は何とみっともない、物笑いになるようなことを、とげんなりしつつ、
「雲居雁や、もう少し様子を見てはいられなかったの?夕霧のことだからきっと穏便に収まるよう考えてたでしょ。女がここまで思い切ったことをすると、かえって軽々しく思われて損だよ。まあ仕方ないね、もう口から出ちゃったものは。おめおめ間抜け面して帰ることもない。そのうち、彼方の様子もどういうつもりかも見えて来るだろう」
やはり父娘である。執り成すどころか煽り、あろうことか我が息子の蔵人少将を一条宮邸に遣わした。
「前世からの御縁というやつでしょうか?
貴女をお気の毒と思う一方、恨めしいという声も聞きます
まさかもうお忘れではないでしょうね?」
という直球ストレートに当てつけた大臣の文を携えた蔵人少将は、亡き兄の婚家であった一条宮邸へズカズカ遠慮なく入って行く。
南面の簀子に円座を出して応対したものの、女房達も困惑気味である。宮はまして合わせる顔がない。
蔵人少将は、兄弟の中でも特に容貌が良い。落ち着いた態度で悠々と周りを見渡し、昔を思い出しているような素振りをみせつつ、
「見馴れた場所で久しぶりという気もいたしませんが、これからはお許しいただけないのでしょうかね」
何気なくチクっと刺すものだから返事にも困る。
「わたくしにはとても書けない……」
と言う宮を女房達がこぞって諫める。
「いけませんわ、薄情を通り越して子供じみたお振舞いと思われてしまいます」「お手紙の相手は普通の御方ではない、致仕大臣ですのよ」「宣旨書き(代筆)も失礼です。ご自分でお書きにならないと」
宮は、
(母君がいらしたら、まあなんて嫌なことと仰りながらもきっと庇ってくださったろうに)
とまず涙を流す。考えるより先に泣いてしまって中々書けない。ようやくひねり出した歌は、
「どういうわけで私のような数ならぬ身を
辛くも思い、悲しいとも聞かれるのか」
今の気持ちそのまま、途中で書きさしたような風だが、丁重に上包みをかけて出した。
蔵人少将は返事を受け取った後も女房達とダラダラ話をして居座った挙句、
「時々お伺いしました折も御簾の前での応対で、何やら頼りない心地でしたが、今後はご縁があるという気持ちでちょくちょく参上いたしますね!内も外もお許しいただけましょう?長年の忠勤が報われるような気がいたします!」
と、夕霧とのことを強烈にあてこすってから帰った。
落葉の宮はますます機嫌を損ね、夕霧はいよいよ気もそぞろに一条宮邸と三条の邸を往復する日々であった。雲居雁の嘆きは深くなるばかりだった。
夕霧のもう一人の妻・藤典侍は、
「北の方は私の存在を長年許しがたいと仰ってらしたようだけど、また強力なライバルが出て来てしまったのね。内親王さまとはビックリ」
と思い雲居雁に手紙を出した。元より時々交流はしていたのである。
「私がものの数に入るような女ならば夫婦仲の悲しさを思い知ったでしょうが
今は貴女のために袖を濡らしています」
雲居雁は余計なお世話だわ、とムッとしたものの、一人実家で思い悩むだけの日々にも飽きてきたところに来た手紙は嬉しかった。
(典侍もきっと平気ではいられないんだわ)
思い直し返事を送る。
「他人の夫婦仲を可哀想だと見ていたら
まさか自分の身にも起こるとは」
気持ちをそのまま素直に詠んだ歌に、典侍もいたく同情するのだった。
藤典侍はヒカルの忠臣・惟光の娘で、五節の舞姫に選ばれた際夕霧に見初められた。雲居雁と隔てられていた数年間は関係が続いたが、二人が晴れて結ばれて以降は疎遠になってしまった。とはいえ子供は大勢生まれている。
北の方である雲居雁の子は、太郎君・三郎君・五郎君・六郎君・中の君・四の君・五の君の七人、藤典侍の子は、大君・三の君・六の君・次郎君・四郎君の五人、総勢十二人である。出来の悪い子は誰もいない。みなすくすくと可愛らしく育っている。
典侍の子は特に美形で、才気もあり優れていた。未だ宮仕えを続けている典侍なので、三の君と次郎君は東の御殿に預けられ、花散里が世話をしている。ヒカルも馴れ親しんで、たいそう可愛がっていた。
この二人の妻の話は色々あってとても語り尽くせない。
参考HP「源氏物語の世界」他
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