おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

鈴虫 一

2021年6月9日  2022年6月9日 


「ねえねえ右近ちゃん……って、今日いないんだった。しょぼん」

「なあに侍従ちゃん?」

「きゃー王命婦さん!この流れ二回目!」

「何しろ暇だからね。呼ばれてる気がして来てみたの。今右近ちゃん忙しいんでしょ、六条院で色々あって」

「わーん嬉しいー!そうなんですう、三宮ちゃんの持仏開眼供養?だかなんだかの準備って言ってました。あ、ちょうど今日かも!」

「ああ、そうなのね。そりゃ大変だ。縫物や染物が山とありそう。紫ちゃんが仕切ってるんだろうから、当然少納言さんもよね」

「……ところで持仏開眼供養って何なんスか?仏道関係の催しってことはわかるんですけど」

「三宮ちゃん用の仏像とか絵とかが完成したんじゃない?仏道修行に欠かせないアイテムなんだけど、そのまんまだとただのモノだから、魂を入れる儀式をするわけ。お部屋も作法に則って飾り付けて、偉いお坊様を呼んでお経上げてもらうの。三宮ちゃん主催って名目だろうけど、当然ヒカル院の全面バックアップだから凄そう。参会客もきっと多いわね」

「ヒエー、また右近ちゃん疲労困憊かも……」

「何でも三宮ちゃんの経本、ヒカル院自ら書いたらしいわよ何か月もかけて。紙も、唐製だと脆いからって、わざわざ紙屋院で漉かせた拘りの最高級国産品。側も中身もお宝ね、これ」

「わーんやっぱり羨ましーい三宮ちゃん!」

 ピコーン♪

「あら、右近ちゃん?」

「おつかれー!だいじょぶ?」


 はーい、右近です。

 忙しかったけど王子の四十賀の時よりはマシね。当日はお坊さま任せだもの。というわけで実況するわ。

 真夏の青空の下、六条院のお庭の池は蓮の花盛り。この佳き日に、女三の宮さま――出家されてからは入道の姫宮さまと称されます――の持仏開眼供養が執り行われます。

 供養に当たり、ヒカル院の篤きお心ざしにより、御念誦堂の仏具を何から何まで細々と誂えて設置してございます。お部屋を彩ります幡(ばん)は紫上プロデュース、特別誂えの唐錦を厳選し縫ったもので、さすがのハイセンスですね。花机の覆いは美しい絞り染め。心惹かれるその輝ける色合い、比類なき染め技というほかはありません。

 姫宮さまの御帳台の帷子を四面とも引き上げて御堂に見立て、背面に法華経の曼荼羅を懸け、銀の花瓶に高々と見事な蓮の花、名香(みょうこう)には唐渡りの百歩香が焚かれております。

 阿弥陀仏と脇士の菩薩はどちらも白檀で作られました。彫りが非常に繊細で良い感じです。閼伽の道具はこれまた際立って小さく、青、白、紫の蓮の花の形をした香炉に、夏の「荷葉香」――仏前に憚り、練り合わせ用の蜂蜜は控えてございます――がほろほろと崩れ、得もいわれぬ薫りを燻らせております。

 仏さまに供えるお経は法華経、六道の衆生のために六部書かせたものです。姫宮さま用の経本は、先ほど王命婦さんが仰られた通り、全てヒカル院が手ずから写されました。この経を現世での結縁とし、互いに浄土へと導き合いましょうというお心が、願文として作られております。

 その他、朝夕に念誦される阿弥陀経ですが、普段使いに唐紙では持ちが悪いということで、紙屋院の職人を召し出し入念に注文をつけ、特別に漉かせた美しい和紙を使ってございます。そこに春先からヒカル院が心をこめて書かれたご筆跡。ほんの片端を見ただけで、誰もが目も眩みそうな尊さにございます。ああ、罫線として引いた金泥よりも、ヒカル院のご筆跡の方がはるかに光輝いて見えますね。軸や表紙、筥の装丁の素晴らしさは言うまでもありません。この経本は特別に、沈の花足の机に据え、仏像と同じ帳台の上に飾ってございます。

 御堂に見立てたこのお部屋に、講師がおいでになりました。供え物を捧げる行道の人々も参集してまいります。ヒカル院のお姿も見えますね。ちょうど反対側、姫宮さまのいらっしゃる西の廂の間を覗かれています。

(小声)ちょっと狭いのよね、あのお部屋。そこに思いっきり着飾った女房さん達が五、六十人、所狭しとひしめいてるものだから暑苦しいったらない。入り切れなかった童女ちゃんたちが北の廂の簀子あたりでウロウロしてるし、何だかね。

 そんな中に香炉がこれでもかと置かれて、女房たちが煙たいほど扇ぎ散らすという体たらくに、ヒカル院(なんじゃこりゃ)ってお顔で窘められます。

「空薫物は、あら?どこから煙が?って思う位がちょうどいいんだよ。富士山の噴煙も負けそうな程もうもうなのはいただけないね。それと、講話の間は全体で音を立てずに、静かに耳を傾けるんだよ。よく理解できるようにね。無遠慮に衣擦れの音を立てたりとかはNG。とにかく人のいる気配は抑えてね」


侍「……えーと、小学校の先生?幼稚園かな」

王「そりゃ三宮ちゃんが出家したからって、あそこの女房さんたちが急に落ち着くわけないわよね。お察しするわ」


 当の宮さまはあまりの人波に酔われたか、小柄なお体をさらに小さくして臥しておられます。若君がその傍ではしゃいでおられるのを見たヒカルさまは溜息と共に、さらに命じました。

「若君がいては騒がしいだろう、あちらへ連れていきなさい。あ、そーっとね、隠れてそーっと!」

 普通はそのくらいのこと、言われる前に誰か気を利かせるべきですけどね。いや、余計なお世話ですけど。まあ相変わらずってことです。

 北側の障子も取り外して御簾がかけてあります。そちらに一部移動させるようですね……あーあ、まーたザワザワし出してヒカル院に注意されてます。

 やっと静かになりましたところで、ヒカル院が姫宮さまに何か囁いています。開眼供養についての予備知識を教えてらっしゃるようですね。なんとまあ、至れり尽くせりと申しますか……。


侍「そうなのよ!王子はとーっても親切で面倒見がいいの!わーん羨ましーい!」

王「たしかに、ここまでやってくれる夫なんて滅多にいないわね。親でも無理だわ」


 宮さまのいつもの御座所に今は仏像が鎮座ましましておられるのですが、ヒカル院は御簾越しにその風景をしみじみご覧になられて、

「何というか……感無量だね。こんな仏事を貴女のためにすることになろうとは。仕方がない、せめて来世では同じ蓮の上で隔てなく暮らそうと思ってください」

 と涙をぽろっと零されて、

「来世は同じ蓮の上でと約束しましたが

葉の上に置く露のように別々にいる今が悲しい」

 硯に筆を濡らし、宮の香染の扇に書きつけられました。

 宮さまも返されます。

「蓮の上で隔てなくとお約束されても

貴方の心はそこにはないでしょう?」


侍「おうふ、バッサリいったー!」  

王「あらまあストレートに斬ったわね。周りはともかく、三宮ちゃんはちょっと大人になったんじゃないコレ?」


 ヒカル院、

「これは手厳しい。よほど信用がないんだね私は」

 って苦笑してたけど、結構グッサリ刺さった模様にございます。


 いつもの親王さまたちも続々と詰めかけていらっしゃいました。女君達から我も我もと捧げられたお供物が所狭しと積み上げられていますが、七僧の法服など主だった用意はすべて紫上の差配によるものです。高品質な綾織物から袈裟の縫い目に至るまで、わかる人にはわかる逸品中の逸品。さすが、任せて安心どころか期待を遙かに超える結果を出してくるお方にございます。

 講師のお話が始まりました。(しばし聴きましょう)

 開眼供養の要旨の説明、並びに、俗世での隆盛を厭い離れて法華経に長久の縁を結んだ入道の姫宮さまの志を称えられました。今の世で最も才ある方の一人であり、弁舌滑らかに心を込めて語りかけるご様子はまことに有り難く、参会した皆さまは涙を禁じ得ません。

 本日の開眼供養はただ御念誦堂開きの初めとして、ごくお忍びで催されたことですが、内裏や山寺の朱雀院さまも知るところとなり、双方から御使者が遣わされました。もちろん、大量のお布施付きです。六条院で用意した分さえも、簡素にといいつつ相当な量でありましたのが、この御寄進により更にとんでもないことになりました。招待された僧職の皆さまは、

「おお、こんなにウチの寺に入りきるかねえ」

 と言いつつホクホクとお帰りです。

 というわけで、六条院における入道の姫宮さまの持仏開眼供養実況、ただ今を持ちまして終了いたします。ご清聴ありがとうございました。


侍「右近ちゃんお疲れー!」

王「実況ありがとう、とっても興味深かったわ」

右「こちらこそ聴いてくれてありがとう二人とも。今回後片付けは大してないからもう私も手が空いてるの。ここはもう誰も来ないから、ちょっとだけお喋りしましょ」

侍「わーい!打ち上げー!」

王「何だかヒカル院と三宮ちゃんの関係が不思議ね。むしろ昔より距離が近くなった感がある。同じ秘密を共有してるからかもしれないけど」

右「そうね、それはある。遠慮がなくなったっていうか、まず三宮ちゃんが変わったのよね。さっき王命婦さんも言ってたけど、ちょっと大人になったっぽい。ああいうやり取り、前はゆるふわポヤーンって感じだったもんね」

侍「あーああーうらやましー!三宮ちゃん、出家したの勿体なかったよねー。どっちにしろこの先も安泰だろうけどさ……アレってやっぱやーめた!とか出来ないの?大して髪も短くしてないんだしすぐ伸びるっしょ!」

王「侍従ちゃんたら(笑)還俗って一応あることはあるし不可能じゃないけど、あれだけお披露目しまくって、六条院内に御念誦堂まで作ってお道具も一式そろえてご立派な志~って褒めちぎられた挙句に、その選択は百パーセントありえないわね」

右「そうねー。今回の開眼供養、メチャクチャお金かけた豪華で壮大な縁切り行事だったといってもいいんじゃないかな。盛大にやればやるほど後戻り無理っていう。そうそう、三宮ちゃんね、朱雀院さまから三条宮のお邸を相続したみたい。六条院出てそっちで生活できるようにって。だけど王子が許さないのよね。

『離れてしまっては心配だよ。明け暮れにお顔を見たりちょっとお喋りってことも出来なくなるなんて……たしかに私に残された命もそう長くはないけど、生きている限りは志を尽くす所存!』

 なーんていいつつも、そのお邸をきれいに改装して、御封の収入とかご領地の荘園や牧場からの目ぼしい献上物はそっちの倉庫に納めてるみたい。それどころか増築までして、宮さま手持ちの宝物類や、朱雀院さまから相続した諸々の品々もぜーんぶ移動させて厳重保管。その代り、六条院での宮さまのお世話、女房や家来のお給料なんかは全部王子が持つと」

王「ふーん、離したがらない割には手際が良いわね。ヒカル院自身の終活ってこともあるのかしら」

侍「エッ……やめてえ泣」

右「まあぶっちゃけ、今日のド派手な開眼供養のあとにいきなり別居じゃ、あまりにもあからさますぎるってやつでしょ。出家した原因は夫婦仲の悪さでーすって宣言するようなものよ」

王「まあどっちにせよそう思われてるだろうけどね、今日の参会者には」

侍「二人とも厳しすぎなーい?概ね同意だけど」

右「同意するんかい」

王「まあ、ヒカル院のいつものアレよね。自分から離れていこうとする人は追いたくなるってパティーン。にしても、三宮ちゃんにまで見抜かれちゃうって随分ヤキが回ったわね。やっぱり年かしら」

右「お孫さん沢山いるおじいちゃまだもんね王子も」

侍「よぼよぼ……ってちっがーう!全方位的に優しくって誰でもウェルカムで、寂しがり屋さん☆なのっ!!」

右・王「ハイハイ」

参考HP「源氏物語の世界」他

<鈴虫 二 につづく> 

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