おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

鈴虫 二

2021年6月13日  2022年6月9日 

tenki.jpより 鈴虫

  こんにちは、少納言でございます。右近さん、実況お疲れさまでした。私もあのお喋りに参加したかったんですが、紫上の傍から離れられなかったものですから。落ち着きましたらまた改めて寄らせていただきますね。

 さて、六条院はすっかり秋の気配にございます。

 ヒカルさまの采配により、女三の宮さま――入道の姫宮さまのお住まいの西の渡殿の前、中の塀の東側はすっかり「野原」と化しました。閼伽棚などを作り仏道修行に相応しい道具をしつらえて、野趣あふれるその佇まいは何とも優美にございます。

 弟子として控える尼たちは、乳母や年配の女房をはじめ、若い盛りの女房のお顔もチラホラ見えます。特に決心が固く、仏道に人生を捧げる覚悟をお持ちの方ばかりだとか。

 何しろ(ゆるふわな)若手多めのお部屋ですからね。初めに一人が私も一緒に尼になる!と言い出しますとエー私も私も、と収拾がつかなくなったようです。ヒカル院が見かねて

「そういうノリで決めることじゃないよ。いい加減な気持ちで出家されても周りが迷惑するし、きっと何かやらかしちゃうからね」

 とお諫めになり、全体から十余人ばかり厳選して出家させたようです。

 

 ヒカルさまはこの「野原」に虫を放たれました。風がすこし涼しくなる夕暮れ時にお渡りになられては、虫の音にかこつけて何だかんだと姫宮さまに絡まれます。

「こういうことから離れるための出家なのに……」

 さすがの姫宮さまも辟易されておられるようです。

 表向きは出家前と何ら変わることのないお扱いではありますが、ヒカルさまのお心はあの秘密を知った前と後とではすっかり変わってしまいました。宮さまとしてはもう出来るだけ顔を合わせたくない。世を捨てた理由の大方はそれだというのに、なお妻としての役割を求められても困るだけです。しかし、

「六条院から離れたところに住まいたい」

 とのご希望は、いくら以前より大人びたとはいえ中々押し切ることは難しいようでした。

 十五夜の夕暮れ、姫宮さまは仏前で庭先を眺めつつ念誦しておられます。若い尼君たち二、三人が花を奉るべく鳴らす閼伽の具の音、水音がさやかに響きます。今までとは全く様変わりした、静かで落ち着いた雰囲気に惹かれるのでしょうか、今日もまたヒカルさまが、

「おお、これはまた虫の音が喧しい夕べだね」

 と仰って、ご自分も小声で阿弥陀経の大呪を唱えられつつ渡られました。その場の雰囲気と相まってまことに尊い感じがしたのですが、まさにそのタイミングで鈴虫がひときわはなやかに鳴きはじめたのです。

 ヒカルさまが、

「秋の虫の声はどれも甲乙つけがたいけど、秋好中宮が松虫を特にお気に入りでね。わざわざはるか遠くから取り寄せて庭に放っておられた。だけどどうしても野で聞くのと同じにはならない。名前とは違って短命の虫なんだよね。誰もいない山奥や遙か遠い野の松原では声の限り思い存分に鳴くのに、中々好みがウルサイ。その点鈴虫はいつでもどこでも気安く盛大に鳴いてくれるところが可愛いよね」

 と仰ると、宮さまは小さな声で歌を詠まれました。

「秋は辛いものと知ってはいますが

それでも鈴虫の声は振り捨てがたいものですね」

 やはり、変わられましたね。秋と飽きをかけて、ヒカルさまの仰った話題に沿いつつもチクリと恨み言。まことに品よく、また色っぽくもございます。

「いま何と?これはまた心外なことを仰るものだ」

 ヒカルさまも負けじと返されます。

「ご自分からこの草の宿りを厭うた貴女なのに

鈴虫のような可愛いお声は変わりませんね」

 さらに琴の琴を出させて、久しぶりに爪弾かれます。姫宮さまも数珠を繰る手を止めて、聴き入っておられます。

 月が差し出て、辺りを煌々と照らしはじめました。ヒカルさまはこの秋の情緒たっぷりの空を眺めつつ、さまざまに移り変わるこの世に想いを馳せながら、いつもより心沁みる音色を響かせておられます。

 十五夜の今宵、きっと管弦の遊びがあるだろうと予想して、兵部卿宮さまがお渡りになりました。夕霧大将さまも音楽の素養のある殿上人を連れて参上され、琴の音を頼りに西の対へとお越しになりました。

 ヒカルさまは大層喜ばれて、

「おお、いらっしゃい。メチャクチャ暇だったから、長いこと絶えていた楽の音色が恋しくなってね。大仰な催しじゃなくてもいいと独り寂しく琴を弾いてたところだよ。よくぞ聴きつけてくれた」

 と皆さまを迎え入れ、姫宮さまにも改めて御座所を作って差し上げたようです。今宵はちょうど内裏の御前で月の宴の予定が中止になり、行き場を失った上達部の方々も続々と六条院においでになりました。

 皆で虫の音をひとしきり堪能したあと、多種多様な琴を掻き合わせました。興が乗って来たところでヒカルさまは、

「月を眺める夜はいつも物のあわれを催すけど、今宵の月はましてこの世の外まで思いが流されていくようだね。こういう時はやはり亡き柏木権大納言を思い出す。世を去ってなお一層偲ばれて、公私に関わらず何かの折節ごと、ものの栄えが無くなった気がするよ。花や鳥の色にも音にも弁えが深く、語り合う相手として本当に優れた人だったのに」

 と仰って、自分で掻き合わせる琴の音にも袖を濡らされます。御簾の内の姫宮さまに聞こえよがしのお言葉ではありますが、実際このような催しにおいて柏木さまを偲ばない者はおりません。帝におかれてもそこは同様にございました。

「今宵は鈴虫の宴だね。虫の音とともに夜を明かそう!」

 いつになくノリノリのヒカルさまにございました。


 お酒の盃が二回りほどしたときでしょうか、冷泉院さまよりの御使者が六条院に遣わされました。内裏での宴が急に中止になったことを残念がって、左大弁や式部大輔などが大勢引き連れて仙堂御所に伺候されたそうです。夕霧さまの居場所が六条院とわかったことで、

「宮中から遠く離れた住処にも

秋の夜の月は忘れずに宿っています

 同じことなら此方でご覧になっては」

あたら夜の月と花とを同じくはあはれ知れらむ人に見せばや(後撰集春下、一〇三、源信明)

 お誘いのお文を寄越されたようです。ヒカルさまは、

「今や大して窮屈な身でもない、毎日暇な私なのに、のんびりお暮しの冷泉院にえらくご無沙汰してしまった。直々にこんなお手紙書かせちゃってまことに畏れ多い……よし、すぐ行こう

 と、急きょ仙堂御所へのお出かけを決められました。

「月影は同じ雲居に見えながら

私の方はすっかり変わってしまいました」

 特に深い意味もない歌ではありますが、昔の世と随分変わったものと仰りたかったのでしょう。

 冷泉院からの使者にはたっぷりとお酒を振舞い、禄も下賜されたようです。

 楽の音も静かにフェードアウトです。六条院の門前は、お客様たちのお車を身分の順に並べ直すやら、それぞれの前駆たちが右往左往するやらで大騒ぎです。気軽な直衣姿に下襲だけ加えたヒカルさまの車に親王さま方をお乗せし、夕霧大将さま、左衛門督さま、藤宰相さまなどそこにおられた皆さまは全員、仙堂御所へと向かいました。

 月がすこし高くなった美しい夜更けの空の下、若い殿上人にさりげなく笛など吹かせながら、お忍びの体で出発です。

 私からは以上です。六条院より、少納言でした。


 はい、王命婦にございます。ただいま仙堂御所に来ております。

 本来、内裏での宴のお手伝い要員でしたのが急きょこちらに移動することになりました。まさかヒカル院の一行までいらっしゃるとは驚きましたね。

 何しろ上皇と准太上天皇というお二人にございます。改まった公事の席では、堅苦しく厳めしい威儀の限りを尽くしてのご対面でしたが、今宵のヒカル院は昔のように臣下に戻られたようなお気持ちでしょうか、気軽な身なりでふらりと立ち寄った体でいらっしゃいましたので、冷泉院さまにとりましてもまことに嬉しいサプライズでございました。

 三十二歳の冷泉院さまの整いきったご容貌はいよいよヒカル院と生き写しにございます。まだまだ若い盛りに退位され、ただ静かに佇むそのお姿には皆が心打たれます。

 その夜の詩歌は、漢詩も和歌も情趣深く素晴らしいものでございました。詳しく語りたいところですけれど、作者が遠慮すると仰るのでここで止めておきます(おさ子じゃないですよ、紫式部さまにございます)。

 宴は明け方に漢詩を発表して、お開きとなりました。

 仙堂御所より、王命婦がお届けいたしました。では、おやすみなさいませ。


「ねえねえ右近ちゃん」

「なあに侍従ちゃん」

「小侍従ちゃんってどうなったのかなー。尼になった中にはいないっぽいね」

「柏木くんが亡くなった段階でもういなくなったんじゃない?さすがに平気で居続けるの無理でしょ」

「そっかー、ご実家にでも帰ったのかね。いやさ、よくヒカル王子にバレなかったなーって思って。小侍従ちゃんは元々柏木くんと近しい関係だったみたいだし、真っ先に怪しまれてもおかしくないのに」

「まあ普通なら、周りがすぐ気づいて警戒するわよ密通以前に。だけどあのガバガバのゆるゆる部屋だし、そもそも三宮ちゃんが何も言わない以上誰も何もするわきゃない」

「三宮ちゃん……ホント不思議な子だよね。普通さ、どうしてこうなった?!ってこと考えるじゃん?小侍従ちゃんが手引きさえしなきゃ、出家なんて夢にも考えず今もゆるふわ生活してたよねきっと。小侍従何してくれてんのゴルア!アイツのせいですアタシ悪くない!って全くならないってさあ」

「因果は考えないのよね。ただただ、目の前にある事象に対して反応するのみ。どうしたらこの状況を打開できるかなんて到底考えられないから、自分の立場を守るための告げ口なんてまして思いもよらないわよ」

「ああーそっか!だから小侍従ちゃんもいきなりあんな大胆な手引きを平気でしたわけね!何があっても自分が責められることないってわかってたんだ!恐るべし、女子の理性のタガまで外す超絶天然系……!」

「ぶっちゃけ舐めきられてたってわけね。しかしそんな三宮ちゃんが出家するっていう逃げ道を思いついたのって逆に凄いわよ。中途半端ではあるにせよ」

「でもさー、あんな感じじゃ別邸に引っ越したら危なっかしくなーい?すぐ第二の小侍従ちゃん、柏木くんみたいなのが現れそう」

「王子が絶対離さないでしょ。多少掛け合いが出来るようになって以前より手応えもあるし、見た目は本当に可愛いからね。まあ絵面としては、職場の若い美人OLちゃんをシツコクからかって嫌な顔されるの喜ぶ社長って感じだけど」

「め、面倒見が良くて情が深いと言って!」

参考HP「源氏物語の世界」他

<鈴虫 三 につづく  

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