おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

夕霧 九

2021年6月30日  2022年6月9日 

「ねえねえ右近ちゃん」
「なあに侍従ちゃん」
「夕霧くんさあ……ヤバくなーい?普段堅物な人が一旦何かにハマるとああなっちゃう見本みたいなもんじゃん。雲居雁ちゃん可哀想すぎ!」
「もうすっかり噂になっちゃってるもんね。六条院でも最近はその話でもちきり。さすがのヒカル王子もビックリ仰天よ。夕霧くんって若い頃から落ち着いてて浮いた話も殆どなくて、理想の夫であり父よねーなんて褒めちぎられてたからね。ギャップが凄すぎる。王子はほら、あんなだったから、真面目な息子のお蔭で名誉回復って感じで嬉しかったみたいだけどねえ」
「あんな、って何ー!単にモッテモテで色んなところに彼女がいて、守備範囲広かったってだけじゃーん!」
「それフォローになってなくない?(笑)しかしどうするのかしらね、落葉の宮さまの心を溶かすのムリじゃないあの感じじゃ」
「まーぶっちゃけ何もかも夕霧くんのせいだもんね!まず、御息所さまの病気見舞いに来たその足でお泊りしてその娘に迫る、ってヤバいでしょ普通に考えて。あの場は大人しく帰って、御息所さまの具合が良い時に改めて正式にお申込みがベスト。ゼッタイ断らないってあの状況じゃ。判断間違ったよねー。宮さまと直に対面できて舞い上がっちゃったんだろうけどさ」
「ほんとそれよ。あそこまで待ったんだから、もう少しだけ辛抱して真っ当なルートを辿れば良かった話よね。宮さまを説得できるのはあの母君しかいなかったんだし、どう考えてもアタックするのはそっちだったわよ。そこを間違えちゃったから、もう後はことごとくタイミングも何も外しっぱなし」
「こんにちは」
「あっ少納言さん!こんにちはー!」
「こっちにいらっしゃるのは久しぶりね、どうぞ入って入って」
「ありがとうございます。ちょっと野暮用で、あと今仰ってたお話も……少々」
「だよね(笑)」
「あっ、美味しそうなくずもち!いつもありがとうございまーす、お茶いれてきまっすー♪」
 しばしお茶タイム。
侍「おいひーい。きな粉が香ばしいー見た目も味も黒蜜に映えるうー」
少「よかった。今六条院で流行ってますのよ」
右「六条院は今一番平穏よね。紫ちゃんもすっかり元気になったし」
少「御出家への想いはアリアリなんですけどね……今の内に、と思ってもヒカルさまがお許しにならない。それどころか、自分が先!あとはよろしくね的なことを度々仰るので困惑されてます」
侍「エエーそれこそ無いでしょ!せめて一緒に!っていう話じゃないのー?」
少「元は夕霧さまのお話に絡むんですけどね……」
右「さあさあ、遠慮なく!」
侍「わくわく♪」

 すみません、いつもいつも。
 ヒカルさまも父親として心配はしてらっしゃるんですよ。
「可哀想に……雲居雁の君と落葉の宮、どちらにとっても気の毒だよね。まったく関係のない人ならまだしも、故柏木の奥さんでしょ?致仕大臣もどう思われるやら。それぐらいのことわかりそうなものだけど、これも逃れられない宿縁ってやつなのかな。何にしろ息子っていってももう大人なんだし、私が口出すことでもないんだよね。うーん」
 などと困り顔で仰って、
「紫上、貴女のこともずっとお世話してきて、将来も安泰であるようにと考えてきたけど、こういう話を聞くと心配になるよ。私が亡くなった後誰かに言い寄られないかとかさ」
「まあ、何を仰いますの。そんなに長いことわたくしを置き去りにするおつもり?」
 紫上は顔を赤らめて抗議なさいます。
「まあ女性は元々身の処し方も限られてて気の毒だよね。もののあわれも折に触れた風流も、何も知らないわって顔で引っ込んでじっとしてるだけなんて、此の世を生きる晴れがましさも、無常の世の徒然を慰めるのも、どうにもやりようがないじゃない?だからって物の道理も弁えない面白みの無い女になっちゃったら、育てた親もガックリって感じでしょ。心の中にばかり思いを溜めこんで、ほら仏説にある無言太子とかいう、小法師たちが辛い無言の行をする話みたいに、悪い事も善い事も知りながら口に出さずにいるなんてつまんないよね。私としても、どうやって善い方に保つかは難しいところだよ」


侍「ん???」
右「相変わらず話がズレるっていうかわかりにくいんだけど、つまり自分の孫娘が心配!ってことじゃない?夕霧くんじゃなくてさ」

 はい、おそらくそうだと思います。紫上が預かって六条院で育ててらっしゃいますからね。
 そんなこんなで、夕霧さまがいらしたついでにそれとなく聞いてみようかな、なんて仰ってたんですけど……。

侍「エッまじで!聞きたい聞きたい!」
右「んーどうかなあ。王子が何か言うと全部ブーメラン来そうだし」

 ええ。結果から言いますと、何も聞き出せなかったんです。
 夕霧さまと対面されたヒカルさまは、
「御息所の御忌はもう明けたんだっけ。昨日今日と思っているうちにあっという間に三年を超えてしまう、という世の中だ。悲しくも味気ないものだね。夕べの露がかかる間だけの寿命を貪ってさ。私もどうにかこの髪を剃り落として、何もかも捨て去ろうと思っているのに、ダラダラとのんびり過ごしてしまってね。よくないね」
 と切り出されました。夕霧さまは、
「まことに、大して絆しもない人ですら中々捨てられないもののようです」
 と無難に受けられて、
「御息所の四十九日の法事は、甥御である大和守何某の朝臣がただ一人で仕切っているようで、実に気の毒です。しっかりした身寄りのない人は生きているうちはいいですが、亡くなった後は悲しいものですね」
 さり気なく小野の話題に触れられました。これを逃すヒカルさまではございません。
「朱雀院からも御弔問があったろう。内親王もどれほどお嘆きのことか。亡き御息所は……更衣として内裏におられた当時はあまり知らなかったが、ここ数年何かにつけて見聞きするに、どこにも難の無いしっかりした方とお見受けした。まったく、惜しい方を亡くしたものだ。生き永らえるべき人に限っていなくなってしまう。朱雀院も、たいそう驚いてお悲しみになっておられた。あの内親王は、此方で預かっている入道の宮の次に可愛がっていらしたから、人柄もきっと良いのだろうね?」
 カマをかけられましたが、夕霧さまは、
「さあ、どのようなお方なのか……御息所は申し分のないお人柄であり、心ばせにございました。さして親しく打ち解けていたわけでもありませんが、ちょっとした事から心配りというものは見えてきますもので」
 と仰って、落葉の宮さまのことは一切口に出されません。
 ここまでピシャリと心のシャッターを下ろされてしまうと、さしものヒカルさまもそれ以上は突っ込めません。
「あれほど頑固な男が強く心に決めているようなことを諫めるなんて無理だね。聞き入れるわけもないことを、分別臭くクドクド言ったところでどうにもならない」
 とこのように匙を投げておしまいになりました。

右「案外アッサリ引っ込んだわね。まあ雲居雁ちゃんとのゴタゴタも介入できなかった王子だから、まして相手が相手だし尚更よね」
侍「あーあの時もちょっと思ったけど、夕霧くんってかーなーり甘えベタだよね。弱みを見せないっていうかさー。内親王さまなんだし、この場合親に頼ってもいい気がするんだけどー」

 そうですね……案外、するべき相談をされてない気がいたします。父子だからこそ気楽に言えない部分もあるのかもしれませんが。
 ともあれ、御息所さまの法事は夕霧さまがかなりバックアップされたようです。特に隠し立てもしておられなかったので、すぐに致仕大臣のもとにも噂が流れ、
「えっ?!いつの間にそんなことになってんの?!柏木の妻だったのに、もう夕霧と?それはまた、何ともはや凄いね」
 などとすっかりお二人が何かあるかのように思い込まれてしまいました。

右「当たり前でしょ。外から見たら誰だってそう思うわ。本来最優先すべき元夫側の親族差し置いてさ」


 はい。柏木さまの弟君たちも総出で参会され、誦経なども相当大がかりだったそうです。あちらもこちらも負けじと色々なさったものですから、結果的にものすごく盛大な法事になったみたいで、いいのやら悪いのやらわかりませんが。
 私の話は以上です。

右「夕霧くんさあ……(溜息)」
侍「ま、まあいいんじゃない?最終的には皆でキチンとやってあげたってことっしょ?供養にはなるよ!うん!」
少「確かに故人に対してはそれで良いんですが……同じことでも、致仕大臣さまに対して事前に一言あったら違いましたよね。落葉の宮さまの身持ちに疑念を持たれるようなお振舞いは、正直感心しないですわ」
右「いや距離感おかしいよ元からして。根回しってさ、別にズルイ立ち回りとかじゃなく、周囲への思いやりでもあるからね?やっぱりこの辺は所詮ボンだね。自己中を自覚してないぶん厄介だわ」
 こんにちはー、と声。
侍「あっ王命婦さん!」
右「今日は千客万来ねえ」
王「ああ、少納言さんもいらしたのね。残念、今日はちょっと急ぎの用があって、これだけお届けに来たわ(バサー)いつもより短いけどどうぞ」
右「……何コレ。まさか」
王「そのまさかよ。じゃあね♪」
 王命婦、ササっと去っていく。
侍「いつもの典局さんのアレじゃん!」
少「私、初めてかも。ドキドキしますわ」
右「三人で読みましょ」


 ―――落葉の宮は、このまま小野の山里で一生を送ろうと心に決めていた。つまり、出家するということである。はっきり言葉に出したわけではなかったが、きっと心配した女房か誰かが注進したのであろう、朱雀院の耳にも入った。
「とんでもないことだ。確かに、あちらこちらとフラフラするようなことは好ましくないにせよ、後見のないまま尼になってしまっては、かえって浮名を立たせ罪に塗れる危険がある。現世でも来世でもどっちつかずで非難を浴びることになろう」

侍「え、ちょっとまって。朱雀院さま夕霧くんのこといつの間に?」
右「小野どころじゃない山奥の寺にいるのにねえ」
少「間諜を放っておられるんでしょうか……」


「私が世を捨て山籠もりをし、女三の宮が同じように出家した。ここでまた二の宮である貴女までがとなれば……あの一族は何をしているのか、誰か止めないのかと人は言うだろうね。元より俗世間を離れ去った私が思い悩むことでもないけれど、そうして先を争うように世を捨てるのは感心しない。辛い現状からただ逃げたいからという理由は、人目にも見苦しい。ご自分を見つめ直しもう少し冷静になって、心を澄ましてから改めてご判断なさい」
 つまりは出家許しませんよゼッタイというお手紙である。夕霧との一件がここまで広まったタイミングで尼になどなれば間違いなく、
「夕霧との関係がこじれて世を捨てた」
 となるだろう。噂を裏付けるばかりか、より一層宮の立場を悪くすることにもなりかねない。
「とはいえ公然と再婚するというのも如何にも軽々しいし、外聞も悪い。本人もこの件で私にとやかく言われるのは恥ずかしかろう」
 朱雀院が是非に、と表立つことはそれはそれで批判を受ける。出家した身でいつまでも俗世にかかずらわって、しかも行き場のないやもめ娘を臣下に押しつけるとは、となる。影響が大きすぎるのだ。決して自分が推したという形にしてはならない。宮が自ら心を決めるべき、というスタンスである。
 女三の宮の時とは全く違う対応だが、内親王たる成人した娘に対する出家した父など、本来こんなものであろう。女三の宮にはまずもって自分なりの考えというものが存在しなかった。生まれて初めて主張した望みが出家だった。さらに、ヒカルという「一度関わった女は絶対に見捨てない」人並外れて情の深い、経済力も地位も申し分のない男の確かな後見がある。まったく前提条件が違うのだ。
 出家という最終手段を封じられた落葉の宮にはもう他に選択肢はない。夕霧と結婚するしか道はないのである。
 朱雀院側からすれば、ヒカルの一族に二代続けて食い込める千載一遇のチャンスでもある。ヒカルが亡くなっても夕霧がいるから安心、とは最初から考えていたことだが、女三の宮の姉妹である落葉の宮が妻となれば尚更である。かくして姉妹二人、まんまと安泰の将来を手に入れたことになる。
 
侍「な、なんか怖っ。朱雀院さまって、何とも言えない怖さがあるよね……いやフィクションなんだけどさ!」
右「逃げたいってだけの出家許さんって、三宮ちゃんなんてまさにそれじゃん。相当扱いに差があるわね。ポヤヤーンの三宮ちゃんがとりわけ心配なのはわかるけど……」
少「どちらのお父様からも知らんぷりで、お二人ともお気の毒ですわね。大人といいましても親には頼りたいものでしょうに」

 一方誰にも何も言わず、言わせなかった夕霧は、自分なりに結論を出した。
(立った噂に何やかんやと言い訳してきたけど、今となってはもうどうでもいいよね。宮のお心を開かんと躍起になるより、故御息所が承知済みだったってことにしちゃう方が早い。もうそれ以外なくない?母君のお考えが少々浅かったがために、いつからともなく成り行きでこうなっちゃいました、て感じでウヤムヤのまま突き進む。亡くなった方に責任を負わせるのは申し訳ないけど、年甲斐もなく恋だの愛だの涙ながらに縋りつくなんて自分にはやっぱり無理……)
 日取りを決め一条宮邸の整備を始めた。宮の従兄弟である大和守を巻き込んでの、一大婚姻プロジェクト発動である。
 何も言わずして思う方向に人を動かす、まさに朱雀院独自の能力がここで如何なく発揮された体だ―――。

侍「エッ、ここで終わり?!今からがいいとこなのにい!」
右「確かに尻切れトンボねえ。典局さんらしくない」
少「あ、タブレットが点滅してますわよ?」
右「いっけない、音消してたんだった!(ポチ)」

 ピコーン♪

 こんにちは、小少将です。今……一条宮邸に来ております。

侍「はやっ!!!」
右「何コレ、今まさにプロジェクト進行のライブ配信ってやつ?」
少「王命婦さんが後ろに!」

 そうなんです。お引越しと荷物整理のお手伝いに来ていただいていて。もう大体終わったので、こうしてご報告を。
 久しぶりの一条宮邸ですが、見違えるように綺麗になっておりました。以前は女所帯でどうしても行き届かないところがございましたが、草ぼうぼうだったお庭もスッキリ整備され、壁代、屏風、几帳、御座に至るまで一新されております。兄の大和守が夕霧さまの命を受け、急ぎ準備したようです。
 お引越し当日は夕霧さま自ら一条宮にいらして、車や前駆のご家来などを小野に差し向けられました。
「いやよ、絶対に行きたくない!ずっとここで暮らすの!」
 頑として動こうとなさらない宮さまを、私たち女房も懸命に説得しましたが、まったく聞いていただけません。兄の大和守が見かねて前に出てきました。
「宮さま、いけません。是非とも一条宮邸にお帰りください」
 きっぱりと言い放ち、懇々と語りかけました。
「宮さまの心細く悲しいご様子を拝見し、胸を痛めつつも、精一杯お世話させていただきました。ですが私には任国の公務もございますし、もう下向せねばなりません。一条宮邸の管理を任せるに足る者がおらず、どうしたものかと心配しておりましたところ、夕霧左大将殿が万事完璧に整えてくださいました。ご身分を考えますと、必ずしもご結婚すべきというものでもありませんが、やむなくご再婚をされた内親王の事例は昔から数多くございます。どうして宮さまお一人だけが非難されたりいたしましょうか?あまりに幼稚なお考えに存じます。いくら強情を張られても、女一人で衣食住を賄い身を護ることなどできましょうか。やはり大事に庇護してくださる男性の助けがあってこそ、深いお心からの立派なご方針も実現できるというものです」
 宮さま、ぐうの音も出ません。大和守は更に左近の君と私に向かって、
「君たち女房も、もっとよく言い聞かせて差し上げないと。手紙のやり取りは独断で勝手にやる癖に、肝心なことは言わないなんてどうかと思うよ?」
 我が兄ながら全てがごもっともにございました。
 すっかり大人しくなった宮さまは、寄ってたかった女房達にさあさあと促されるまま、晴れ着へのお召替えです。ひと思いに削ぎ落としてしまいたいと、長い黒髪を前に寄せて呟く宮さま。その、ゆうに六尺はあろうかという髪はご心労続きでやや量は減っていますが、私たちから見れば十分に見事なものでした。
「ずいぶん衰えてしまったわ……とても殿方にお見せできるような代物じゃない。情けないこと……」
 宮さま的にはご不満なようで、また突っ伏されてしまいました。
「遅くなってしまいました。夜も更けてしまいますわ」
 皆が騒ぎ立てます。時雨も急かすように吹き乱れ、何とも物悲しい有様に宮さまは歌を詠まれました。
「母君が昇っていった峰の煙に立ち交じって
思わぬ方に靡かずにいたいものよ」
 宮さまの出家の願いは未だ強くございましたが、その頃には鋏のような刃物はすべて取り隠し、女房一同目を離さないでおりました。
「そんなに厳重にしなくても、どうせ惜しくもないわが身なのだもの。愚かしく子供じみた真似はしない。人聞きも悪いし」
 何が何でも髪を下ろす、という気まではなかったのです。そこは、父君のお言葉が効いていたのではないでしょうか。
 女房達は皆引っ越しに先立ち、それぞれに櫛、手筥、唐櫃、他ありとあらゆる道具類を適当に袋詰めして一条宮邸に運んでしまっておりました。宮さまお一人で残るなどということはもう、ありえないのです。泣く泣く車に乗られたものの、隣の空席にばかり目が行かれて、新たな涙にくれておられました。
(小野に移って来た時はここに母君がおられた……ご気分がすぐれなかったのに、下りる前に私の髪を撫でて繕ってくださった)
 御佩刀とともに経箱も、片時も離れずお持ちでした。
「恋しさを慰めがたい形見の品として
涙に曇る玉の筥ですこと」
 黒塗りの経箱はまだ調えておらず、亡き御息所さまが愛用しておられた螺鈿の箱をそのまま使ってらっしゃいます。病のための誦経の布施として作られた品ですが、そのまま形見としてお手元に残されたのです。浦島太郎のように大事に抱えておられました。

 そんなこんなでようやく一条宮邸に着いたのですが、邸内は明るくはなやかで人も多く、以前とはまったく様相が変わっていました。宮さまにしてみれば、母君と過した懐かしい空間はもうどこにもなく、まるで余所の家に来たような心地がされたのでしょう。車を寄せても中々下りようとなさいません。
「困ったこと。ここまで来てこんなに子供じみたお振舞いとは」
 女房達も口々に囁き合っています。
 夕霧左大将さまは、東の対の南面をご自分のお部屋として仮に設え、すっかりこの邸の男主という顔でいらっしゃいました。

侍「エエーっ!マジか!いきなり?!」
右「夕霧くんさあ……(呆れ)そりゃダメでしょ。うんダメ」
少「うーん……いつもは気遣いすぎ!ってくらい細やかな心配りをなさる方ですのに。三条のお邸の方はいったいどうしてらっしゃるんでしょう……」

 そうそう、大騒ぎになってるわよ三条じゃ。あ、私王命婦。割り込んでごめんね、少しだけ。
「あまりに突然すぎて訳がわかりませんわ。いつの間にこんなことに?」
 って女房さんたちも全員ビックリよ。
 あんまり恋愛経験ない、好いたはれたなんてクダラナイ、俺はそんなん興味ないぜーみたいな顔してる人ほど、急に深みにハマっちゃうし暴走しがちなのよね。まさに夕霧くん。
 たださ、事実として何もないわけだけど、周りは絶対にそうは見ないじゃない?何年もかけて隠し通してきたんだ二人してって考えるわよね普通。まさか宮さまがまるでその気がないなんて思いもしないわよ。とにもかくにも宮さまにはおいたわしいことだわ。
 ということで再び小少将さんに返します。

 はい、王命婦さんありがとうございました。やはり、ただでは済まなさそうですね。宮さまにはお幸せになっていただきたいのに辛いです。
 ご結婚の祝儀といっても喪中ですので形式も異なり、縁起の良いものでもないですが、一応お食事はいたしました。夜になり皆寝静まる頃、夕霧さまが此方にお渡りになりましたが……宮さまはお疲れのためか、ぐっすり寝込まれてしまいました。取次ぎに出た私は散々責められましたが、
「御愛情がまことに末永くと仰るのなら、今日明日はそっとしておいていただけないでしょうか。元の邸にお帰りになったことでかえって気持ちが落ち込んで、亡き人のように眠っていらっしゃいます。執り成し申し上げても、ただ辛いとしか思われないようで……これ以上無理を強いますと私どもにすら口をきいていただけなくなってしまいます。本当にもうどうにもやりようがなくて困っておりますの」
 と言うしかありません。
「おかしなことを仰る。もっと大人びた方かと思っていたが、あまりにも幼く理解しがたいお考えですね」
 夕霧さまは、いかに宮さまの御ために、そしてご自分のためにも、世間に非難されないやり方を考えていらっしゃるかを順を追って語られました。
「はい、重々承知してございます。ただ今は、宮さままでも儚くなってしまわれるのではないかと、気が気ではなく取り乱しておりまして何も判断がつきません。どうかお願いでございます、無理やり押し入るような、ご無体なことは何卒お控えくださいますよう」
 手をすり合わせて懇願いたしました。
「こんな仕打ち、見たことも聞いたことも無い。憎いのか嫌いなのか、誰と比べておられるのか知らないけど随分な貶めようだね。誰か是非を判断できる人がいたら聞いてみたいくらいだよ」
 なお言い募る夕霧さまが少々お気の毒ではありましたが、私も引くわけにはまいりません。
「見たことも聞いたこともないと仰るのは、やはり世づかぬお心構えでいらっしゃるからでしょう。道理がどちらにありますものか、判じられるお方などおられるのでしょうか?」
 とにっこり笑ってお答えしました。


侍「うっわーーー小少将ちゃん!やるねーハッキリ言っちゃった!」
右「そりゃアンタが女慣れしてないだけでしょ、ってね。ホントその通り。感情的にこじれちゃってるのにいっくら道理を説いたって無駄なのよね。逃げ道塞いでさあ観念しろ!ってやられて愛情云々言われてもハア?ってなるわよ」
少「本当にどうしちゃったんでしょうか夕霧さま……まだ喪も明けないうちから、さすがに性急すぎじゃないかしら。もう意地になっちゃってるんですね、お互いに。とはいえ、女房のガードなんてあって無きが如しですから逃げ切れるとも思えませんね……宮さまどうなさるのかしら」
 

 皆さまありがとうございます。しかし女房ふぜいの抵抗なぞここまでです。目的を達するためにはもうなりふり構わない体になられた、社会的地位も権力もある大人の男性に本気で逆らうことなど出来るわけがありません。夕霧さまは御簾の奥に引っ込もうとする私の後をついて、宮さまのお部屋に入って来られました。
 が、宮さまのお姿はどこにもありません。暗い中夕霧さまは目を凝らされ、そして―――
「まさか……あの中?!」
 塗籠です。
 宮さまは、
「どうしても嫌。あんなに情の無い、軽薄なお方とは思わなかった。このまま妻になるなんて真っ平。女房達も皆浮かれてて何なの?大人げないと言われようが構わないわ」
 と仰って中に敷物をしかせ、内側から施錠して一人寝ておいででした。障子のように華奢な掛け金ではございませんし、戸を外すことも出来ません。
「え……ここまでする?」
 夕霧さまはあっけにとられていらっしゃいましたが、
(いや、どのみちここから逃げ出すことはできないよね)
 とでも思われたのでしょうか、その場に座り込まれました。谷を隔てて寝るという山鳥の夫婦のように、お二人は別々のまま夜を過ごしました。
 夜明けが近づき、夕霧さまは、いつまでもこうして睨み合いを続けるわけにもいかないと立ち上がられました。
「ねえ……せめて少しでも隙間を開けてくれない?話がしたいんだ」
 と繰り返し懇願されますが、返事はありません。
「怨んでも怨みきれません、胸の想いを晴らしがたい冬の夜に
再び錠を鎖された関の岩門を
 何とも言いようのない、冷たいお心です」
 泣きながらお帰りになられました。


侍「ひゃーーーーー」
右「思い切ったわね。宮さま超絶強気じゃん」
少「さすがに夕霧さまお気の毒じゃないですか?でも宮さまのお気持ちもわかる……せめて喪が明けるまでご結婚の儀は待てなかったんですかねえ……」

 ホントそれです。一条宮邸に帰って来たその足で、なんてさすがに無理でしょって思いましたよ。お邸、確かに綺麗にリフォームされてて、夕霧さまが本当に隅から隅まで心を込めて調えてくださったのは痛い程感じられました。感じられましたが……ちょっと、いえかなりやり過ぎですね、昔の佇まいをあまりにも跡形なく消されてしまうというのは。ずっと母君と暮らして来られた、柏木さまと初めての結婚生活を送った思い出の場所でもありますのに、こんなに綺麗にしてあげたよ!さあ今から僕と新婚生活!なんて、気持ちが追い付くわけないじゃないですか……。

少「そうですね。仰る通りだと思います。……けれど、ずっとこのままというわけにはまいりませんよね?」

 ええ、そうなんです。そこは宮さまも良くわかってはいらっしゃいます。ですが、今はああしてせめてもの抵抗をなさらないことには心が持たないんです。

侍「うーーーん、何かどっちも可哀想。夕霧くんもまあ、失態続きとはいえ、でも塗籠を叩っ壊してまでは押し入らない優しさはあるわけで……」
右「何その、DV男の言い訳みたいな理論。ちょっとは痛い目みた方がいいのよあのボンは」
少「夕霧さまが持ち前の冷静さと辛抱強さを発揮してくださって、何とか収まるといいんですけどねえ」

 はい。宮さまも、本来は決してワガママなお方ではございませんし、物の道理もよく弁えておられます。最終的には受け入れられると思うんです。ただ、今すぐには無理!というだけで……これもワガママと言えばそうなんですけれども。
 夕霧さまにあんな口を聞いてしまってから言うのもなんですが、女房といたしましては、なるべく丸く収まるよう心掛けたいとは思います、ハイ。

右「そりゃ小少将ちゃんだって宮さまの従姉妹で、皇統に繋がる方なんだし、ただの女房と侮ってもらっちゃあ困るわよ。夕霧くんは適当にあしらって、とにかく宮さま第一で行動すればいいんじゃない?」
侍「うんうん!女房さんたちすごくしっかりしててイイと思う!頑張れ!」
少「何かありましたら、是非こちらにもご相談ください。お力になれるかどうかわかりませんが」

 ありがとうございます。そう仰っていただけるとつい涙が……。宮さまの幸せ第一に、頑張りますね。それでは、また。

 あっちょっと待って!王命婦です、今入った情報によると夕霧くんは三条のお邸じゃなく、六条院に向かった模様。おそらく夏の御殿、花散里の御方さまのところかしら?
 というわけでご報告終わります。それでは、また。

侍「王命婦さんのネットワークやばー!」
少「花散里の御方ですか。いいかもしれませんね、あの御方ならきっと夕霧さまのお心を癒して、それとなく進むべき方向を示してくださるかも」
右「あーもう、最初からそっちに相談しとけば……ことごとく後手後手」
侍「もう嵐はお腹いっぱーい!でもまだありそうー!」 
 
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過去記事の改変は原則しない/やむを得ない場合は取り消し線付きで行う/画像リンク切れ対策でテキスト情報追加はあり/本や映画の画像はamazonまたは楽天の商品リンク、公式SNSアカウントからの引用等を使用。(2023/9/11-14に全記事変更)

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