「妻を帽子とまちがえた男」

 積読消化。

「妻を帽子とまちがえた男」オリバー・サックス(1985)

 数年前のことだが、子供の学校の広報誌の表紙が毎回、支援級の子の作った「切り絵」だった。広報委員になった時に初めてその原稿を目にしたが、これがまあ凄いこと凄いこと。モチーフは何でもない日常の風景や静物だったりするんだけど、その角度とか構図とか、その子の個性というものが全開で出ている。何とも言えない吸引力があって、いつまででも見ていられる感じがした。

 この切り絵の作業が出来る子は限られているようで、今やってる子が卒業してしまうと難しいんだよね、という話だった。

 その後、その支援級の演劇を見せていただいたこともあるが、こっちも凄かった。結構な長台詞を全く噛まず、元気いっぱい役になり切って堂々と演じる子供達。ボーイソプラノで歌う子のくだりなんか美し過ぎて不覚にも涙が。親御さんなら号泣だろう。いやこれ、ウチの子が出来るとは思えない。というか、普通級の子が束になってかかってもこのテンションと熱を観客に伝えられるかどうか。紛れもない演劇、エンターテイメントだった。

 さてこの本が出版されたのは80年代。まだ「サヴァン」という言葉がようやく出て来たくらいだろうか?あえて一般向けに書かれたこの「物語」の数々は、きっと事故や病気で脳や神経に障害を負った方、発達障害や知的障害と呼ばれる子たちの特性を理解する大きな一助になったことだろうと想像する。

 脳という精密機械に何らかのエラーが生じたらどうなるか。考えると恐ろしくはあるが、すごく興味深いことでもある。

 特に面白かったのは記憶媒体としての脳の可能性。一度見聞きしたものは勝手に記録されているらしい、ということは知っていたが、十桁を超える素数を瞬時に「思い出す」というか「見る」事の出来る双子のエピソードは凄まじかった。計算能力はまったくないのにも関わらず、なぜか当時のコンピュータでも難しい作業を瞬時にやってのける。頭の中に数の並びがあって、それを高速サーチして捉える能力?がある、というような感じらしいが、想像を超えてる。

 今、目の前にある情報やら数式やらは、実は全部脳の中にあって、稀にそれを外に出して来られる人間が体系化して、思い出せない凡人が学問として唸りながら勉強してるんだろうか?などと考えてしまった。

 作家が物語を紡ぐのも、自分の記憶の奥底をサーチして、引っ張り出してまとめ上げる作業だもんなあ。精進しよう、脳を大事に。

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