おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

若菜下 二十一

2021年5月19日  2022年6月9日 

 


 さて試楽当日。

 六条院の女君達がこぞって見物するとあって、皆の気合も充分である。

 御賀本番は赤い白橡に葡萄染の下襲を合わせた衣裳を予定しているが、今日は青色に蘇芳襲だ。楽人三十人は白襲を着て、辰巳(東南)方の釣殿に続く廊を楽所とし、築山の南側から御前に出る辺りで「仙遊霞」(せんゆうか)を演奏する。

 雪がちらつく中、「春の隣近く」でほころびかけた「梅のけしき」が如何にも見応えある情景であった。

※冬ながら春の隣の近ければ中垣よりぞ花は散りける(古今集俳諧-一〇二一 清原深養父)

※匂はねどほほゑむ梅の花をこそ我もをかしと折りてながむれ(好忠集-二六)

 ヒカルは廂の間の御簾の内に座を構える。式部卿宮、鬚黒右大臣の二人だけが傍に付き、以下の上達部は簀子席である。内輪の催しとして饗応も手軽なものを用意した。

 まずは右大臣の四男、夕霧の三男、兵部卿宮の孫王二人の舞う「万歳楽」である。

 四人ともまだ小さくあどけないが、いずれ劣らぬ高貴な家柄の上に見目麗しく飾り立てているせいか、幼いながらも気品さえ感じられる。

 夕霧大将と藤典侍の次男、式部卿宮の息子・兵衛督……今は源中納言……の子は「皇じょう」を。右大臣の三男は「陵王」、夕霧の長男は「落蹲」、その他「太平楽」「喜春楽」など、同じ一族の子供達や若者が舞う。

 夕暮れには御簾が巻き上げられ、宴はますます興に乗る。愛くるしい孫君たちの容貌や姿、舞い踊る様子、またとない妙技が尽くされる。師匠たちが惜しげもなく教え込んだ技に深い才覚が添えられて、実に素晴らしい。誰も彼もみな愛おしく感じられ、年配の上達部たちはそろって涙を落す。式部卿宮も我が孫の成長を目にして、鼻が赤らむほど泣きむせんでいた。

 主のヒカルは、

「年を取る程酔い泣きというものは止められなくなるね。なあ衛門督!面白いか?ああ、恥ずかしい、柏木に笑われちゃったよ。だけどそれも今だけだからね?年月は逆さまには進まない。老いは誰しも逃れられないんだから」
※さかさまに年も行かなむとりもあへず過ぐる齢やともに返ると(古今集雑上-八九六 読人知らず)
 柏木にひたと視線を当てたまま言う。
 誰よりも大人しくかしこまっていて、事実気分もすぐれず、素晴らしい楽も舞も楽しむどころではない柏木なのに、ヒカルはその後もわざとのように
「柏木!柏木!」
 と名指しでやたらと絡んでくる。
 一見、酒の席でよくある冗談めかしたイジリという体だが、名を呼ばれるたびに生きた心地がしない。頭がガンガン痛んで、盃が巡って来ても口をつける真似だけで精いっぱいだ。ヒカルはそれも見逃さず、
「全然飲んでないじゃないか。さあさあ」
 しつこく酒を注がせる。
 柏木は困惑しながらも、礼を失さない程度に品よくかわす。
 その応酬が何度となく繰り返され、ついに柏木は酔い潰れた。堪え難いほど具合が悪くなり、まだ宴たけなわのうちに六条院を辞した。
(キツイ……大して深酒したわけでもないのに何故だ。後ろめたい気持ちがあるせいで変にのぼせてしまったんだろうか。ここまで怖気づくほど心弱い自分ではなかったはずなのに……何とも不甲斐ないことだ)
 一時の悪酔いではなかった。
 柏木はそのまま酷く病みついてしまった。
 父の大臣や母の北の方は心配して、別居では不安だからと自邸に呼び戻そうとした。妻の女二の宮が悲しむのがまた柏木には心苦しいことであった。

 何事もない月日の間は呑気に、いつかどうにかなるだろうと思い込んで、さして愛情も持たなかったが「今は限り」となる門出……死ぬかもしれないとなった今は、二の宮を後に残していくことが悲しく、どんなに嘆くことかと思うと申し訳なさに身も縮む。
※かりそめの行き交ひ路とぞ思ひ来し今は限りの門出なりける(古今集哀傷-八六二 在原滋春)
 同居している宮の母御息所もたいそう心を痛め、
「世の習いとして、親は親として立てるにしても、夫婦は何があっても離れないものだというのに……大臣方が仰るように、二人離れ離れになって回復なさるまで彼方で過ごされるのでは、宮はどんなに不安なことでしょう。しばらくはこの二条宮でご療養なさいませ」
 と几帳のみを隔てとして親身に看病してくれている。
 柏木は、
「ごもっともです。取るに足りない身の上の私に、及びもつかない方とのご結婚をお許しくださいました事、感謝のしるしに長生きして、不甲斐ない身の程もそれで少しは人並になろうか、その姿をご覧にいれようと思っておりましたが……どうにもかなえられそうにありません。私の心ざしの深さすら何もお見せできないまま終わってしまうかと思うと、死んでも死にきれない気持ちです……」
 と言って、ともに涙にくれた。
 柏木が中々帰ってこないので、母親はやきもきして、
「どうしてまず親に顔を見せようと思ってくださらないのかしら。私なら、少しでもいつもと違った体調で心細い折は、大勢の兄弟の中でもまず柏木に会いたいし頼もしくも思っているのに……なんと寂しいこと」
 と恨み言をいう。これもまた親としてはもっともなことである。
「私が一番先に産まれたせいでしょうか、とりわけ大事にされておりまして、今もなお母は私を可愛がり、暫くの間も会わずにいることは辛いようです。ましてこんなに悪くなれば、顔を見せずにいることは罪深く、親不孝なことでしょう……戻るのもやむを得ない。ただ、もう望みはないという時には、どうぞこっそりとおいでください。必ず、またお目にかかりましょう。どうにもぼんやりした愚かな男ですから、何かにつけ不愉快な思いをさせてしまって後悔しています……こんなに短い命だとは知らず、いつかは、とばかり思っておりました」
 柏木は泣き泣きそう言って、大臣邸に移った。
 残された女二の宮は言葉もなく、夫を慕って泣くばかりだった。
 父大臣も母の北の方も柏木を待ち受けて、やれ祈祷だ何だと大騒ぎしていた。柏木の病はただちに急変するような様子ではないが、何か月もまともに食べていない上に、ちょっとした柑子のようなものさえ口にしなくなった。じわじわと死に引き込まれていくようにも見える。
 今を時めく有職の若者が、と世間も大いに惜しみ、見舞う人は引きも切らない。内裏からも朱雀院からも遣いが頻繁に行き来する。両親の悲嘆ぶりは言うまでもなかった。
 六条院方にもこの知らせは届いた。ヒカルは、
「あの柏木が?なんてことだ」
 と驚き、たびたび父大臣に懇切丁寧な見舞いの文や品を送った。夕霧にとってはまして仲良しの従兄である。傍近くで柏木の容態を目の当たりにして、いたく心を痛めていた。
 そんな中、六条院主催の朱雀院の御賀が二十五日に催された。
 家柄も良く才気溢れる上達部・柏木の重病で、親兄弟や親類縁者、親しくしていた多くの人々が憂いに沈む最中に祝い事を行うのは何やら冷淡なようではあるが、延期に次ぐ延期を繰り返した事情もあり今更止めることもできない。ヒカルは、
(女三の宮も可哀想ではあるが……)
 と思いつつも決行せざるを得なかった。
 予定通り五十か寺での誦経、また朱雀院の隠棲する西山寺でも大日如来への祈祷が執り行われた。
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