おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

若菜下 六

2021年4月4日  2022年6月9日 


 こんにちは、右近でございます。

 正月も二十日を過ぎまして、ええと現代で言うと二月末くらいですかね。ぐっと春めいてまいりました。空模様もうららかにあたたかな風がそよそよと吹き、御前の梅も今を盛りと咲き誇ってございます。 花の木も皆つぼみが膨らみ、一面に霞んでおります。

「二月に入れば朱雀院の五十賀の準備で忙しくなるし、ただチョロっと弾き合わせてるだけでも『すわ、試楽か?』なんて騒がれそうだから、今のうちにこそやるべきだよね」

 というヒカルさまの鶴の一声で、六条院で初の「女楽」が催されることになりました。

 紫上をはじめ主だった方々は寝殿へと移ります。

 滅多にない一大イベントですから、皆が我も我もと供を願い出てキリがありません。昔からの馴染みで、ごく近しい者だけに留められました。結果、少々年はいっておりますが落ち着きのある女房ばかりが選ばれたわけです、少納言さんのような。ええ、勿論私もその一人ですの、オホホ。

(特等席に陣取る王命婦、侍従に手を振る) 

 さて選ばれし者の勤めとして、しばし実況をさせていただきますね。


 六条院の女君たちが一堂に会するこのまたとない機会、楽しみの一つとしてはやはりそのファッションにございます。ご本人、女房たちのみならず、可愛い童女たちの装いが華を添えます。 

 まずは紫上方の童女たち。見目麗しきこの四人、赤い上衣に桜の汗衫、薄紫の織紋様の衵、浮紋の表袴などなど、全体的に紅をベースとした色合いにございます。如何にも春らしい、目を惹く鮮やかさですね。ちょっとした立ち居振る舞いにも非の打ちどころがありません。流石は六条院随一のお部屋、と申し上げるべきでしょう。

 寝殿の隣・東の対の明石女御さまのお部屋も、新たな装いにて完璧に整えられております。お付きの皆さまもそれぞれ競い合うように贅を尽くしたお姿で、眩く華やかなことこの上ありません。こちらの童女たちは、青い上衣に蘇芳の汗衫、唐綾の表袴、山吹色の唐錦の衵をお揃いで着ています。明石の御方から出された童女たちは……流石ですね、女御さまの所よりやや控えめに抑えてらっしゃいます……、紅梅襲二人、桜襲二人、下は青磁色を基調とした濃淡のある衵で、打ち目の柄が何ともいえず良い感じです。クオリティ高いですね、溜息が出ます。

 西の対・女三の宮さま方も負けてはいらっしゃいません。童女の見目かたちは言うまでもなく、青丹の上衣に柳の汗衫、葡萄染の衵など、いわゆる定番のコーディネートにて新奇性こそありませんが、やはり全体に漂いますハイクラースな雰囲気は他の追随を許しません。

 廂の下、一番外側の障子は全部取り払ってございます。どこもかしこも几帳だけを隔てとして、中の間はヒカル院の御座所が設けられています。

 本日の拍子合わせには子供を、というヒカル院の意向にて、鬚黒右大臣さまの三郎君……玉鬘の君のご長男ですね、この子が笙の笛、夕霧左大将のご長男に横笛を吹かせるということです。それぞれ十歳と八歳、やや緊張した面持ちで簀子にて出番を待っておられます。

 内側にはたくさんの茵が並べられ、一面に琴が並べて置いてあります。麗しい紺地の袋に入っていた秘蔵の琴を次々に取り出し、明石の御方に琵琶、紫上に和琴、明石女御さまに筝の琴が配られました。女三の宮さまにはまだそのような仰々しい琴は荷が重くていらっしゃるだろうと、いつもの弾き慣れた琴を調弦して置いたとのことです。

「筝の琴はふつう緩むことはないけど、こういう合奏をやる場合は他と合わせようとして、琴柱の位置が乱れちゃったりしがちなんだよね。その辺を考慮した上で調弦するんだけど、女の人の力だと中々しっかりは張れない。うん、やはり夕霧を呼ぼうか。この可愛い笛吹さんたちはまだまだ幼過ぎて、拍子を調えるには力不足だからね」

 ヒカル院はニッコリ笑って、

「夕霧左大将をこれへ」

 と命じられました。

 ああ、一気に緊張が走りましたね。ヒカル院以外の成人男性の目と耳が入るとならば、心構えはおのずと変わります。内輪という体は崩さず、場に適度な緊張感を与えるには、夕霧さまという存在はまさにうってつけといえるでしょう。

 こと音楽にかけては、明石の御方さまを除き、どなたも皆ヒカル院の愛弟子といっても過言ではありません。夕霧左大将さまのお耳にもきっとかなうものと、確信を持たれてはいらっしゃるでしょう。とはいえ、

「明石女御は普段から帝の前で、何かに合わせて弾くってことをしてるから安心だけど、和琴は大して音に変化がないし決まった型ってものもないから、女の人にはやりづらい楽器だよね。また春の琴の曲ってみんな合奏するようなのばっかりだから、合わせ切れないかもなあ……」

 などと密かに心配もしておられましたことを、申し添えておきます。

 

 さて、日も西に傾いてまいりました。

 夕霧左大将さま、ようやくのご登場のようです。お顔がいささか緊張気味にございますね。改まった試楽の場よりむしろ、ほぼ内々の、自分ひとりだけ特別に呼ばれたというこの状況は逆にプレッシャーかもしれません。何より目立ちますからね。現に、入られた途端一斉に視線が集まりました。

 今日の夕霧さまのいでたちは色鮮やかな直衣に、香をたっぷり袖先まで焚き染めた衣裳、頭のてっぺんから足の先まで気合十分と言った趣にございます。

 日は沈み、何とも雰囲気ある黄昏時の空にございます。梅の花が去年見た雪と見まがうばかりに、枝もたわむ程咲き乱れています。ゆるやかな春風が御簾の内にも吹き渡り、御殿全体が「鶯誘うしるべ」にもできそうな香りに満ちております。

花のかを風のたよりにたくへてそ鴬さそふしるへにはやる(古今集春上、一三、紀友則)

 今、ヒカル院が御簾の下から夕霧さまに、筝の琴の先を少し差し出されました。

「いらっしゃい。軽々に呼び立てて申し訳ないね。この琴の弦を調節して、調音してみてくれない?此処は赤の他人を入れていい場所ではないからさ」

 夕霧さまは恭しく受け取られました。親子だというのにこの辺りまことにキチンとしてらっしゃいます。早速「壱越調」の音に発の弦の柱を合わせて、あっ、何とそのまま返される……やはり、ヒカル院に止められましたね。

「さすがに調子合わせの曲くらいは弾いて貰わないと。無粋だよ」 

「とんでもない。今日のような演奏会に、差し出がましく交ぜていただく程の腕ではございませんから」

 勿体ぶる夕霧さまにヒカル院は笑って、さらに畳みかけます。

「そりゃそうかもしれないけど、女楽の相手もできずに逃げ帰ったと噂される方が不名誉ってもんだよ?」

 ここまで言われては仕方ありません。調弦を終えた夕霧さま、弾き始められました。お子さまたちも懸命に笛を吹き合わせています。ああ、見事ですね……え、あら……もう終わり?夕霧さま、御簾の向こうに琴を返されました。ああ、もうちょっと聴きたかったですね。残念です。子供たちも上手でした、将来が楽しみですね。

 さてすべての琴の調弦が終わりました。いよいよ、六条院初の女楽の始まりです!

 ほぼ一斉に弾き始められましたね。

 ああ、美しゅうございます。

 優劣つけがたい中にも、ひときわ際立つのはやはり琵琶……明石の御方さまです。神々しくも思えるその手さばきから繰り出される、曇りなく澄み切った音。まさに名手の名に相応しい響きにございます。

 そして和琴。紫上のお人柄そのままの、慕わしく心惹かれるその爪音、掻き返す音の斬新なこと。この頃の名人たちが物々しく弾きたてる調べや調子に劣らない華やかさに

「大和琴にもこのような表現が……!」

 夕霧さまも驚きを隠せません。ここまでのレベルに引き上げるまでは、さぞかし練習を積まれたことでしょう。ヒカル院も満足そうに頷かれ、じっと耳を傾けてらっしゃいます。

 明石女御さまの弾く筝の琴は、他の音との隙間に繊細な音を響かせるのが特徴にございます。何と美しくなまめいた調べでしょうか。

 琴の琴は女三の宮さま。未熟ではあれ、今ぐんぐん成長している真最中でございますので、危なげなく他の音に響き合わせてらっしゃいます。 

「随分と以前より上達されたのではないか?そういう音だ」

 夕霧さまは呟かれると、ついに我慢が出来なくなったのでしょうか。拍子を取って唱和されました。ヒカル院も時々扇を打ち鳴らしつつ合いの手を入れられます。ああ、声が……ようございますね。若い頃より何といいますか、生硬さがなくしっかりした柱のある声といいますか……私の好みドストライクにございます。すみません個人的な見解でした。

 夕霧さまのお声もまた素晴らしい伸びやかさにございます。

 夜が更けて静けさが増していくにつれ、言葉で言い尽くせないほどの音楽の真髄に触れる、そんな今宵の「女楽」にございます。


 月も出が遅い季節にございます。灯籠があちらこちらに懸けられて、程よい明るさに保たれております。ここでこっそり、女君たちのお姿を観てみましょう。

 女三の宮さまのお姿は、人より一段と小柄で可愛らしく、まるで衣装だけがそこにあるかのようです。正直、年相応の色香というものには欠けますが、いかにもお姫さまといった気品がございます。まるで二月二十日ごろの青柳がようやく芽を吹き出したような、鶯の羽風にも乱されてしまいそうな、そんなはかなくか弱い感じ。桜の細長に、髪が左右からこぼれかかるさまは、まさに柳の糸のようです。これこそが最高の身分の女性といったものなのでしょうね。

 一方、年回りも同じ明石女御さまはやはりほっそりしておられますが、もう少し女性らしく艶やかでいらして、立ち居振る舞いも奥ゆかしく風情がございます。春から夏にかけて咲き続ける藤の花、他に並ぶ花もなく静かに佇む朝ぼらけ、といった感じでしょうか。

 もうお腹もふっくらとなられた女御さま、お疲れなのか、琴もおしやって脇息に寄りかかってらっしゃいます。小柄なお体でぐったりなさっておられると、普通の大きさの脇息では無理に背伸びしておられるように見えます。もう少し小さめのサイズのものを特注して差し上げればよいのに、などと思ってしまいますね。紅梅の衣裳に髪がはらはらとかかっている様子はまことに清らかで、火影に映る姿はこよなくお可愛らしゅうございます。

 紫上は葡萄染めでしょうか、濃い色の小袿、薄蘇芳の細長。裾に余るほどの豊かな髪がゆるやかに流れ、背丈もちょうどよく申し分のないスタイル。辺りが光に満ちているような心地がして、花に例えれば桜、それでも足りないくらいの美しさにございます。まさに女性としての格の違いを見せつけられますね。

 このそうそうたる面々の中で気圧されると思いきや、明石の御方さまはこれまた別格にございます。控えめな態度から滲み出るその教養と嗜み、心の底を覗いてみたくなる奥深さ、そこはかとなく漂う気品と色香。柳の織物の細長、萌黄色らしき小袿を着て、ああ、薄い羅の裳を付けてらっしゃいますね。さり気なく、自分は女房の身分だと示してらっしゃる。嫌味なく謙遜するその高度なテクニック、本当にいつも感心します。侮るどころではない、決して敵に回したくないお方でございますね。高麗の青地の錦で縁取りした茵の中央を外して座り、琵琶を置いてさらりと弾きかける、使い慣らした撥を扱うそのしなやかな手つきは、音色以上に比類なく、心惹かれる仕草にございます。まるで五月を待つ花橘、花も実もともに折り取った際に広がる、あのきりりとした香りを彷彿とさせます。


 あちらもこちらもこのようにピシっとよそゆき顔でございますので、夕霧左大将さまも色々と気になるのか、心なしかそわそわなさっております。あまり表には出さない方ですけどね、だからこそ感じるものがあるといいますか。きっと、以前垣間見た紫上のお姿が今どうなのかとか、想像なさっておられるのでしょう。……ほら、心の声が聞こえてまいりましたわ。

(女三の宮だって、ほんのちょっと運命が掛け違えば、私のものになっていたかもしれない。うかうかしていた自分が悔やまれるよ。朱雀院だって度々此方に水を向けて、蔭で色々仰っておられたっていうのに。ちょっと残念……ただ、あの宮はちょっと軽い感じもするから、侮るってほどじゃないにしてもそこまでいいとは思わないな。それより)

(やっぱり紫上だよね。どうやっても手の届かない高嶺の花のまま長年過ぎた。今はせめて義理の息子としてどれ程心を寄せているか、僅かなりとも知って貰えたらと思うけど……無理だよね。切ないな)

 とはいえ、絶対に実行には移さないことには定評のある夕霧さまです。さまざまな思いは内に秘め、何事につけてもまことに立派なお振舞いをなさっておいででした。

 夜も更けてまいりましたが、「女楽」の宵はまだまだ続きます。

参考HP「源氏物語の世界」他

<若菜下 七 につづく 

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