おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

若菜下 三

2021年3月18日  2022年6月9日 


 冷泉帝の譲位により、桐壺女御は春宮の母となった。「国母」=帝の母、となる未来はほぼ確実である。

 今こそ明石入道から贈られたあの文箱を開けるべき時、と中をあらためてみると、どれもこれも大層な願文ばかりであった。

「年毎に捧げられる春秋の神楽とともに必ず長久隆運を祈願すべし」

 などは、今のような身分と境遇でなければ到底果たすことはできない。

 とはいえ、サラっと走り書きしたような文面には深い学識が窺え、論旨も通っている。

(簡潔にして明瞭……これなら仏神も聞き入れて下さるに違いない。田舎に引き籠った世捨て人の心に、どうしてここまで大それた志が宿ったものか)

 ヒカルは半ば呆れつつも感心して眺める。

(前世は修験者か予言者か。何かの縁で仮初めに此の世に出て来た人だったのかもしれないな)

 そうそう軽んじる気にもなれなかった。

 今回の住吉参りは、この趣旨は伏せてただ「六条院の物詣で」とした。ヒカル自身が須磨から明石へと流浪した際の、数多の願文は果し尽くしたが、その後も一族栄えに栄えたことにつけ神慮めでたく忘れがたい……という名目である。故に桐壺女御の義母であり、長年苦楽を共にした紫上も同行させる。

 六条院あげてのこの計画は瞬く間に知れ渡った。これまで世間の迷惑にならぬようにと、何事も派手には行わず簡素を心掛けていたヒカルだったが、ここまで大がかりな参詣となるとさすがに身分に応じた格式が必要である。近年まれにみる盛大な道行きとなった。

 上達部も、大臣二人以外は全員供奉した。舞人は、各衛府から見目良く背丈も揃った中将クラスの若者を選り抜いた。選に漏れた者は口惜しがり、嘆いた。

 陪従と呼ばれる楽人は、石清水や賀茂の臨時の祭などに呼ばれる者の中から、特に諸道に優れたメンバーを揃えた。そこに近衛府から名高い名手二人も加わる。

 神楽方はさらに多い。内裏、春宮、六条院の殿上人が方々に分かれて、それぞれ奉仕する。上達部の乗る馬、鞍、馬副の従者、随身、小舎人童、以下の舎人どもまで誰もが綺羅を尽くし、着飾った姿で練り歩く。華やかな行列はいつ終わるとも知れず延々と続き、見物人の目を大いに楽しませた。

 桐壺女御と紫上は先頭の車に同乗、二番手の車には明石の御方と大尼君がひっそりと乗り込む。その次は、ヒカル直々に明石に派遣したあの「宣旨の乳母」の車。それぞれにたくさんの供の車も続く。紫上、女御に各五台、明石一族に三台、目も眩むほど豪華な衣裳や装飾はえもいわれぬ素晴らしさである。

 明石の大尼君の同行を提案したのはヒカルであった。

「どうせなら、寄る老い波の皺さえ延びそうな思いをさせてやりたいね。うんと重い扱いにしてさ」

 明石の御方はとんでもない、という体で老母を止めようとした。

「このような世をあげての参詣に立ち交じるなんて……大願が果たされたその時まで待たれては?」

 だが大尼君にしてみればいつまで生きていられるかわかったものではない。元気でいるうちに是非ともこの目で!という気持ちは強く、娘の説得にも覆ることはなかった。

 紫上や桐壺女御の威勢は元より当然のことだが、明石母子の丁重な扱われ方はなお際立った。その類まれなる宿縁と強運を、世にはっきりと知らしめたのだ。

 日付は十月二十日。「神の斎垣」に這う葛の葉も色づき「松の下紅葉」もみえて、秋を知り顔なのは「吹く風の音」だけではない。

ちはやふる神のいかきにはふくすも秋にはあへすもみちしにけり(古今集秋下、二六二、紀貫之)

※下紅葉するをば知らで松の木の上の緑を頼みけるかな(拾遺集恋三、八四四、読人しらず)

もみちせぬときはの山は吹風のをとにや秋をきゝわたるらん(古今集秋下、二五一、紀淑望)

 大袈裟な高麗や唐土の楽よりも、耳慣れた東遊の方がこの季節にはしっくりくる。波風の音に響き合い、高い梢で鳴る松風に向け吹き立てた笛の音も、他の場所で聞く調べとは異なって身に沁み、琴に打ち合わせる拍子も鼓とは違う控えめな音で、繊細にしてクールな響きだ。海沿いという場所柄で、殊に趣深い。

 山藍で摺りだした竹の節模様の衣裳が松の緑に溶け込み、色とりどりの插頭の花は本物の秋草と見分けがつかない。何もかも見甲斐があって目が回りそうだ。

 「求子」の曲が終わりに近づいたころ、若手の上達部は肩脱ぎして舞の場に下りる。艶消しの黒い袍から、蘇芳襲の葡萄染の袖をさっと引き出し、深紅の衵の袂が時雨にさらさらと濡れる。松原を忘れ、紅葉が散りしいたような一瞬であった。

 誰も彼も見応えのある姿で、真っ白に枯れた萩を高々とかざし、ただ一さし舞って退く。いつまでも心の奥に余韻が響く東遊びであった。

 ヒカルは否応なく昔に引き戻される。

(ああ、須磨に流れて嵐に遭い、明石に移り……辛かったこと、恐ろしかったことも全部、つい昨日のことのようだ。当時の話を、隠し事なく気楽に語り合える人はここにはいない。致仕の大臣と飲みたいなあ。あの時も須磨まで来てくれたっけ)

 車に戻り、二の車にそっと手紙を遣わす。

「私の他に誰か昔の事情を知る方が

 住吉の神代からの松に問いかけるでしょうか」

 畳紙に書きつけられた歌を見た大尼君は感涙にむせぶ。今のこの威勢を見るにつけ、あの明石の浦で今日が最後と別れた時のこと、幼い桐壺女御が産まれた時のことなど次々に思い出され、

(本当に……わたくしの宿世はまことに尋常なものではなかった)

 俗世を去った夫も恋しく、さまざまな思いに涙がこみあげてくるが、さすがに縁起が悪いので堪え、言葉を慎みつつ、

「住の江を生きていた甲斐がある渚とは

 年老いた尼も今日思い知ることでしょう」

 遅くなってはいけないと、ただ思いつくままに詠んだ。家来が手紙を持ち去っていくと、大尼君は溜息をつき独りごちる。

「昔のことが何より忘れられない

 住吉の神の御業をこうも目の当たりにすると」


 一晩中神楽を奏して夜を明かした。二十日の月は遙か彼方に澄み、光に照り映える海面が美しい。霜が真っ白に下り、松原も同じ色に見え、何もかもが寒々しく、心が騒ぐような、逆にしんと沁みるような、不思議な感覚であった。

 紫上は常日頃六条院内に居て、折々につけ興趣ある朝夕の管弦の遊びに耳も目も慣れていたが、院の門外の物見は滅多にしたことがなく、ましてこんなふうに京の外に出たことはなかったので、何もかもが珍しく興味深かった。

「住の江の松に深夜下りる霜は

 神のおかけになった木綿(ゆふ)かづらかしら」

 小野篁が「比良の山さへ」と詠んだ雪の朝を思いやると、奉納した祭物を神が受け取ったしるしかとますます心強い。

 桐壺女御も詠む。

「神主が手に持つ榊の葉に

 木綿(ゆう)をかけ添えた深夜の霜」

 中務の君が詠む。

「神に仕える人々の木綿かづらかと見まがうほどに置く霜は

 仰せの通り神の御霊験のしるしにございましょう」

 その後も延々と歌が詠まれた。数が多すぎてとても聞き覚えられない。こういった折節のテーマに沿った歌は得てして、常は名手の歌詠み男たちでも出来栄えがぱっとしないものである。松の千歳を祝う決まり文句から離れられない古めかしい歌ばかりなので、煩わしくて省略した。

 ほのぼのと夜が明け行く頃、霜はいよいよ深く下りる。酔い過ぎた神楽の面々は本方と末方も入れ違い、赤い顔を気にもせず、ただ一心に舞い踊る。篝火も燃え尽きかけている社前で、「万歳、万歳」と繰り返し、終わりの合図の榊葉をまだまだ、とばかりに取り返しながら祝い続ける。祝われた側はどれ程後々まで栄えることだろうか。

 何もかもが見飽きず面白いまま、千夜を一夜に凝縮したような夜が、何ということもなく明けていく。年若の者たちは、返す波と同じく帰らねばならないことを残念がった。

 松原に延々と立ち並ぶ女車、その下簾の隙間から風に靡く衣裳の色は、常緑の松蔭に添えた花の錦のようだ。それぞれの身分の色の袍を着た男たちが、洒落た懸盤に食事を載せて各車に配り歩いている。あざやかな色の洪水に下人どもは眩惑される。

 大尼君のところにも、朝香の折敷に青鈍色の紙をつけて精進料理が運ばれた。

「何と運の強い女性か」

 その厚遇ぶりに驚いた人々がつつき合い、ひそひそと囁き合う。

 行きは慎重に扱うべき神宝を運び、それらを守るための護衛も多く付け、堂々たる大行列で何かと窮屈だったが、帰りは荷物も人も減ってゆったりと物見遊山を尽くした。この辺はクドクド語るほどのことでもないだろう。

 このような参詣の様子を、明石入道が観ることも聞くこともないのだけは心残りであった。とはいえ、世を捨てた聖には難しい話だ。一緒になって祝うなど論外であろう。

 この参詣以降、世間では「理想は高く持つべし!」という風潮になっているようである。万事につけ明石の一族が羨まれ、世間話で幸福な人を例えて「明石の尼君」と呼んだりもした。   

 あの近江の君でさえ、双六を打つ時、

「明石の尼君!明石の尼君!」

 と唱えてから賽を振るのだという。

参考HP「源氏物語の世界」他

<若菜下 四 につづく 

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村
ー記事をシェアするー
B!
タグ

コメント

notice:

過去記事の改変は原則しない/やむを得ない場合は取り消し線付きで行う/画像リンク切れ対策でテキスト情報追加はあり/本や映画の画像は楽天の商品リンク、公式SNSアカウントからの引用等を使用。(2023/9/11-14に全記事変更)(2024/10より順次Amazonリンクは削除し楽天に変更)

このブログを検索

ここ一か月でまあまあ見てもらった記事