若菜上 九
こんにちはあ、中納言でございます!えっもう忘れちゃったー?ほら、朧月夜の尚侍の君の一の女房ですよ!ご無沙汰してまーす!あ、「朧月夜の尚侍の君」って呼び名長すぎだし玉鬘さんと紛らわしいんで「朧月夜の君」もしくは「女君」に統一しますね。そこんとこヨロシクです!
今ですか?もちろんまだ、朧月夜の君に仕えてますよ!トーゼンじゃないですか!
そうそう、朱雀院さまが西山に籠られた後は、故后の宮(大后さまですね)のいらした二条宮邸に移りました。
ホントいうと、女君もご一緒に尼になるおつもりだったんですよ。だけど朱雀院さまが
「貴女のことは私も心配ではあるけれど、あまり勢い込まれるのも後を追われるようで気ぜわしいよ。ゆっくり準備をしてからでも遅くはないのでは?」
ってやんわり諫められたんで、今少しーずつ仏道修行を始めてるところです。
ヒカルさまですか?お手紙のやりとりはずーっと続いてますね途切れなく。二条宮に移ってからは、とみに頻度が高くなったかなあ。あっでも特に色めいた内容ではなかったですよ?通り一遍のご機嫌伺いって感じ。でもまあ……あれほどの騒動になった熱愛の恋人同士でしたからねー、このところなんとなーく、焼けぼっくいに火?的な感じはなきにしもあらず、かなあと思ってました自分。ちらほら危うい感じのお願いはありましたもん。あっもちろん華麗にスルーしてましたよ!トーゼンじゃないですか!
なのに……なんと、ウチの兄が呼ばれて相談されたっていうじゃないですか!ビックリですよ!誰って、ヒカル院さまに!
兄は和泉の国の国司だったんで和泉前守と呼ばれてるんですけど、次の赴任地がまだ決まってなくて、どうもそれをエサにお願いされたみたいですねー。あっエサとか言っちゃった!ナイショですよう。実際、今のヒカル院さまなら指先ひとつで地方受領ごとき思いのままですもんね。お偉くなられて何よりです、ええ。
「人伝てではなく、直接物越しに申し上げなければならないことがあるんだ。適当に言い成してご承知いただいた上で、ごく内密に伺いたい。今はその手の忍び歩きも中々やりにくい身分だからね。超隠密のことだから、あちらも他の人には漏らさないだろうと安心はしてる。というわけでヨロシク!」
なーんて時の権力者自らのご依頼、断る選択肢なんてあるわけないじゃないですか。
速攻で朧月夜の君にお伝えしたら、ふっかーく溜息をつかれて、
「なにを今更……世間がどういうものかも思い知った今のわたくしには、昔からあの方がどれほど薄情だったか、この時も、あの時もとはっきり数えられる。挙句に、お独りで侘しく山籠もりなさっている朱雀院さまを差し置いて、どんな昔語りをするというのでしょう。たとえ誰にも知られないようにしたところで、わたくし自身の良心に問うならば恥ずべきことには違いない。お会いすることはいたしません、とお伝えして」
と、キッパリ断られました。
でも、そんなことで諦めるヒカルさまじゃないですよねー。そういうところは四十の賀を終えられてなおご健在ってかんじでー、じゃあ直接行っちゃお☆ってなったみたいです。
「大后がバリバリに睨みをきかせてて逢瀬も難しかった頃でさえ、心は通じてるって仲だったんだからね。そりゃ御出家された院に対して後ろ暗い気はするけど、実際昔はつきあってたわけだし。今になって殊更に清らかぶったところで、いちど立ってしまった浮名は今更取り消しようないでしょ?」
とかなんとか勝手なことを仰りつつ「信太の森」、つまり和泉前守の兄ですね、ムリヤリ道案内に仕立てて押しかけてこられました。紫上にはどう言い訳なさったのか知りませんけどね。……少納言さん、お願いしまッス!
※よも恋ひじ我をば恋ひじ和泉なる信太の森の雫なるらむ(出典未詳-源氏釈所引)
はい、少納言です。ヒカルさまの言い訳はこちらになります。
「二条東院におられる常陸宮の御方が、ここしばらく具合が悪いらしいんだよ。何やかや忙しかったからお見舞いのひとつも出来なくて、さすがに悪いかなーって。昼間だと人目に立ちすぎて面倒だから、夜の間にこっそり行ってこようかなって思ってる。というわけなんで、誰にも内緒ってことでヨロシク!」
よりによってあのお方を引き合いに出すとは、ミエミエすぎてビックリしちゃいました。今までほとんど話題に出なかった界隈ですのに、朝からえらくそわそわと、ガッツリおめかしもしてらして、子供でもおかしいと思いますわあれじゃ。日中はどこにもお渡りにならず籠ったまま薫物三昧、夜更けにいつもの側近のご家来を四五人連れていそいそ出られました。
紫上はもう何を仰る気にもならないようで、クールにやり過ごしてらっしゃいました。女三の宮さまのご降嫁以来こんな感じで相当心の距離が広がっちゃってる感じなんですけど、それでも行かずにはいられないんですね……ほんに、男の方というものは。
失礼しました、中納言さんにお返ししますね。
あざーす♪ヒカルさまったら相変わらずですねーホント。
地味な網代車に身をやつして往年の忍び歩き♪って体で、兄が戸を叩いて顔を覗かせた時は、薄々予想してたにせよエ?ホントに来たの?!って超驚きましたよ……昔とまるっきりおんなじパティーン。慌てて朧月夜の君に小声でお知らせしましたら勿論ビックリ仰天、
「どうして?!中納言、一体どういうお返事の仕方をしたの?!」
一気にご機嫌斜めですよ!でも、もうどうにもなんないじゃないですかー。だってもうすぐそこにいらっしゃるんですもん。
「おかしいですわねーキチンとお断りしたはずなんですけど……でも、ここで四角四面に追い帰して面目を潰しちゃったら、それはそれで世間の噂にもなりかねません。とりあえず中に入っていただきません?」
ちょい強引に了解を取り付けちゃいました。なんせ兄の出世もかかってますからねー必死でしたよ。夜とはいえ、邸内にも人はいますから、誰なのかわかんないよう誤魔化すのチョー大変でした。
ヒカルさまをお通ししたのは東の対・辰巳方の廂の間、つまり女君がいらっしゃる寝殿からは一番遠い場所です。ヒカルさまはご挨拶もそこそこに、
「物越しにしても遠すぎない?もう少し近くまで来てくれたって……もう昔の私ではないんですから。変に警戒されるのは悲しい……」
などなど切々と(しつこく)訴えられるものですから、朧月夜の君も面倒になったんでしょうね。大袈裟に溜息をつきつつ奥からいざり出ていらっしゃいました。
(ふふ、やはりな。すぐほだされるところは変わってない)
とばかりにニヤリとされたヒカルさま、自分は見逃しませんでしたよ。
あれほど燃え上がったお二人ですもん。もともと相性バッチリだったんですから、再びお顔を合わせてしまえば最後って気はしてました。
ヒカルさまの座っておられる目の前は障子で、ガッチリ掛け金をかけてあったんですけど、
「なんとまたお若い仕打ちを。あれからどれだけ年月が経ったか、間違いなく数えられるほどの思いなのに、まるで今初めて逢ったかのような扱いをされるのは辛すぎますね」
これでもかと恨み言の嵐です。
そうこうしているうちに夜もしんしんと更けてゆきます。玉藻に遊ぶ鴛鴦の声がしみじみと、人気のないしめっぽい宮邸内に響き渡ります。
「あれほど栄華を極めていた大后の宮がこんなに寂れて……世は無常だな」
女の心を動かそうと嘘泣きをした平中とは違って、本気の涙を流されています。ああ、やっぱり昔とは違って大人になられたのね~落ち着いてらっしゃる……とちょっとホロリとしたのも一瞬で、
「この隔て、やっぱり邪魔じゃない?除けちゃおうか」
コレですよ。油断も隙も無いですね。あっという間に障子外されちゃいました。
「長の年月を隔ててやっとお会いできたのに
このような関があっては堰き止めがたく涙が落ちます」
朧月夜の君は呆れられながら、
「涙だけは関の清水のように堰き止めがたく溢れても
行き合う道はとっくに絶え果ててしまいましたわ」
と返されてはじめは取り合わなかったんですけど、もう障子はないし御簾や几帳なんてあって無きが如しだし、超ー距離を詰められて泣ける昔話なんてしっぽり囁かれちゃったら、
(誰のせいでヒカルさまが京を出られるような世をあげての騒ぎになったか……わたくしにも非はあるわよね。ここで頑なに撥ねつける資格なんてないのかも)
って気持ちにもなりますよねー。ていうかそう思うように持っていきましたよね。いやマジで上手い!です。朧月夜の君の情の深さ、崩しどころをよーくわかっていらっしゃる。やっぱりそれだけのお二人の仲ではあったんですよね。
ヒカルさまに逢わないでいたここ何年間か、もちろんあの一連の騒動をとても後悔してらっしゃいましたし、公私につけて数えきれないほど物思いを重ねられて、朱雀院一筋に過しておられた女君です。でももうその院は俗世を捨てられた。その上で今、目の前にヒカルさま本体ですよ?昔と殆ど変わっておられないそのお顔、声、すぐ手の届くところに当時の美し~い恋が生身のままあるんですよ?据え膳食わぬはって男だけじゃない、女だってこれはもう行くしかないっしょって場面ありますよね!うん。
何しろ朧月夜の君自身も、昔とちっとも変わらない、いやむしろ年齢と共にぐっと洗練されて、更なる魅力を湛えた若々しい超絶美女!ですから、ヒカルさまにしてもただ元カノだからっていうだけじゃない、抗えない吸引力があったと思います。まさに吸引力の落ちないただ一人の元カノ……!世を憚る気持ち、朱雀院への後ろめたさ、火がついて燃えさかるばかりの恋心、すべてがないまぜになって、悩まし気に溜息をつかれる女君のお姿は、今初めて出逢った恋人のように……いや、それ以上に新鮮で得難いものと感じ入られたことでしょう。
お二人にとって、夜はあまりに短うございました。
朝ぼらけの美しい空に、百千鳥の声もうららかに聞こえます。花は皆散り終わって、浅緑に霞んだ庭の木立ちをお二人眺められる姿はまさに一幅の絵でした。尊いというしかないですね~ホント。
「昔、藤の宴があったのはこの頃だったね。貴女を見つけることができて、どれほど嬉しかったか」
「あの時、酔ったふりをして御簾近くまでいらっしゃいましたわね。あれからどれほどの年月が積もり積もったものか……今目の前にあるかのように蘇って来ますわ、本当に不思議なほど……」
とはいえ、さすがにもうそろそろお開きを願わねばなりません。お見送りをするため妻戸を押し開けて、ヒカルさまに御出立を促しました。
身支度を終えたヒカルさまは立ち上がられましたが、すぐ振り返って、
「この藤。どうやってこの色に染まったんだろうね?えもいわれぬ心惹かれる色合い……どうしてこの花影を離れられようか」
とかなんとかグズグズ仰って、中々足が進みません。
山際より朝日が差し出てきました。その明るい光に映える、目も眩むほどのお美しいお姿……ヒカルさま、確かに四十を超えたんですよね?いや信じらんないですよホント。年齢とお立場に相応の貫禄がついて……あっ太ったって意味じゃないですよ?むしろ若者特有の青さ固さがなくなったっていうかー、まさに今が旬!の大人ってかんじでー、ありえないくらいステキでした!
こうしてみるとつくづく、何でこのお二人は結婚しなかったのかなーって思いますよね。こんなにお似合いなのに……身分も年齢もちょうどいいし、宮仕えっていっても后としてじゃなかったし(そもそもヒカルさまと色々あったからですけど)。
亡き大后さまがぜーんぶ自分で取り仕切っちゃって、当時の右大臣さまですら思うようにはならなかったんですよねー。逆に言うとそこまでキリキリ妨害したことで余計に燃え上がっちゃって、あんな事件も起きたわけで……あの時ホント凄かったですもん、あることないこと噂されて針の筵状態で。挙句ヒカルさまは京を出られちゃうし、帝(朱雀院)のご寵愛はいや増して逆に辛いっていう。
結局はご縁がなかったってことなんですかねー。
こういうお泊りデートだって、お互い継続したい気持ちはおありだろうけど、そもそもヒカルさまがもう自由な忍び歩き出来るような立場じゃないですし、大勢の人目に触れたりなんかしたらそれこそ以前の騒動どころじゃなくなっちゃいますもん。どんどん日も高くなってくるしマジで焦りました。供人の皆さんも、廊の戸口のところまで車を寄せて早く帰りましょオーラむんむんです。
なのに、ご家来に命じて咲きかけている藤の花を一枝折らせて歌詠んじゃうんですよヒカルさまってお人は。
「須磨に沈んだことは忘れないが、また凝りもせず
この家の藤(淵)に身を投げてしまいたい」
この時の!ヒカルさま!藤の花を切なく見つめるそのお顔といったら……!思わず、ハラハラ気分も忘れてウットリですよ。女君は今になって身の置き所も無く俯きがちにおられましたが、「花の蔭」への思いは抑えようがありません。
「身を投げる淵も本当の淵ではないのですもの
懲りもせずそんな偽りの波に誘われたりしません」
ヒカルさまのお歌を受けてのこのお返し、恨み言っぽく仕立ててますけどその実超ラブラブって風情ですよね!もうねーヒカルさまウッキウキでしたよいらしてから帰られるまで。またきっと逢おうね!ってガッツリ約束してましたし。いや、無理でしょと思いましたけど……まさに青春よもう一度!この後ろめたさがたまらない!みたいな。朧月夜の君も何やかや言いつつ結局は受け容れちゃうから……でも、決してだらしない方ではないんですよ?ヒカルさまと朱雀院さま以外には、浮いた噂ひとつなかったですもん。誰でもいいってわけじゃないんです、要はヒカルさまと合いすぎなんです。
ここまで引き合っちゃう二人なのに、実は恋人として過ごした時間って僅かなんですよねー。だからこそ余計、久しぶりのこのレアな一夜で超盛り上がっちゃったんですねー。これから一体どうなるのかは自分にもわかんないですけど、これほどの恋愛ってやっぱりちょっと羨ましい気もします、ハイ。
では、再び少納言さん、締めをお願いしまッス!
はい、少納言です。たった今、ヒカルさまが六条院に帰ってこられました。
そーっと隠れて入ってこられましたけど、もうすっかり日も高うございますからね。明るい中、はっきりと「寝乱れ顔」であることは見てとれました。紫上はもちろん昨日から察しておられましたが、今朝は全く触れずにスルーしておられます。
人間って不思議なものですよね。一切何も聞かれない・責められないでいると、かえって苦しくなってしまうようです。まして昔からの色々をよくご存じの紫上ですからね。ヒカルさまは、
(うるさく焼餅を焼かれるより居心地悪い……何でこんなに普通にしていられるんだろ)
とでも思われたのでしょうか、唐突に
「ねえ、私は貴女のことを前よりもっと好きだと思う。日が経つごとにもっと好きになるよ?どこまで好きになっちゃうのかわかんないくらい」
「……突然ですわね。どうかなされまして?」
「いやどうかしたっていうか……つまり、昨日のことなんだけど」
「常陸宮の御方のお加減は如何でしたの?」
「あ、ああ……うん。そっちは全然大したことなかったから、ちょっとご機嫌伺いしてすぐ出たんだよ(嘘)泊まったところは別」
「それはようございました。ごゆっくりでしたから、余程お悪いのかと心配しましたわ」
紫上はにっこりして、視線を外されました。ヒカルさまは
(……何処に泊まったとか、聞かないの?)
というお顔をされて、暫くそわそわとしてらっしゃいましたが、
「あのね……実は、懐かしい人に逢ってきたんだよ。ほんのちょっとだったけどね。まだ話し足りない気がするから、どうにか人目につかないよう隠してもう一度逢いたいなーと思ってて」
アッサリ白状されました。いやもう、こちらがあっけにとられるほどあけすけに。紫上は思わず軽く笑われて、
「それはまた随分と若返られましたのね。昔の恋を更に改めて加えるなど、寄る辺ないわたくしには辛うございますわ」
語尾が震え、目がしらにうっすら涙が溜まっています。ヒカルさまは慌てて、
「ごめん……そんな風に寂しそうな顔されると私も苦しくなる。もっとストレートに、抓るくらいして叱ってくれればいいよ。これまでは何の遠慮も無く言いたいことを言える仲でいたと思うんだけど……何だか予想外の方向に変わってしまったね」
抱き寄せながらご機嫌をとるうちに、何もかもすっかり吐き出してしまわれたようです。
この日は女三の宮さまの御方には渡られず、終日紫上の相手をして過ごされました。宮さまご本人は何とも思っておられないようですが、ご後見の女房たちはご不満だったようです。
来ないからと怒ったり泣いたりするわけでもなく、ひたすらにおっとりと可愛らしいばかりの宮さまを、ヒカルさまもさほど相手をしなくても平気!と見くびってらっしゃるふしがございます。それもまたどうかと思いますけどね……六条院からは以上です、少納言でした。
参考HP「源氏物語の世界」他
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