若菜上 七
如月(二月)十余日、朱雀院の姫・女三の宮が六条院に到着した。
輿入れの準備は並大抵ではない。玉鬘が取り仕切ったあの祝賀で若菜を食した西の放出に帳台を立て、西の対、二の対から渡殿、女房達の局に至るまで、念入りに整え飾らせた。宮中への入内さながら、朱雀院から続々と調度類が運ばれてくる。本人が移る儀式はまして盛大だったこと言うまでもない。
供奉には大勢の上達部が参列した、例の、姫宮の家司を望んでいた藤大納言の姿もある。内心面白かろうはずもないが、表情からは窺えない。
女三の宮を乗せた車が寄せられる。ヒカル自ら出て、車から宮を抱き下ろす。前例のないやり方だ。ヒカルは帝でもなく春宮でもないのでやはり入内とは違う、しかし婿取りでもない。実に奇妙な婚姻であった。
三日間は結婚を祝う客が多く出入りし、朱雀院方も、また主である六条院方でも、雅やかかつ厳粛に応対する。
六条院全体が騒がしく忙しい中、紫上もまた細々とした仕事に携わり、甲斐甲斐しく立ち働く。輿入れに際し、あれほどの華やかさと威勢を見せつけられて居心地の良いはずもないが、おくびにも出さない。
(大したものだ。本当に滅多にいない、これほどの女性は)
しみじみ感心するヒカルである。
(それに比べて……)
女三の宮は頼りない、子供っぽいとばかり聞いていたが、まさにその言葉通り本当に「子供」だった。
体も小さく発育も未発達な上、内面もまるで幼稚なのだ。
(紫上がまだ若紫と呼ばれていた頃……妻にしたのはたしか同じくらいの年齢だったはず。打てば響く才覚があり機転もきいて、此方がドキドキするくらいの手応えがあったものだが……この宮はどうしてこうなった?)
ただただ、幼いとしか言いようがない。
(……まあ、いいか。こんな感じなら、憎々しく強気に威張り散らす、なんてことはないだろう。しかし何とも張り合いがないな)
結婚の儀である以上、三日間は夜離れなく妻のもとに渡らねばならない。ついぞそんな状況を経験したことのない紫上の心中を思うと胸は痛む。黙ってヒカルの衣装に念入りに香を焚き染めている姿は、この上なくけなげで美しい。
(なぜこんなことになってしまったんだろう。のっぴきならない事情があったとはいえ、そもそも要らぬ関心を持ったこと自体ダメだったよね……病身の朱雀院、しかも出家したばかりの痛々しいお姿を見たら最後、断れるはずもないのはわかってたのに、いい人ぶってノコノコ出かけてってさ……ああ、情に流されやすい自分がホント嫌。でも……あんな様子の宮じゃ、確かに若い夫じゃキツイかもしれない。あの真面目男の夕霧ですら無理だと思われたっぽいから、まして大勢の人目に触れる内裏なんてとんでもないってことだったんだろうな。結局私しかいなかったってことか)
考えれば考えるほど、今更ながらに自分が情けなく、涙さえ滲んで来る。
「今宵だけは仕方ない事と許してくれない?その後にも途絶えるようなら私は自分自身に愛想を尽かす。……こんなこと朱雀院には聞かせられないけどね」
煮え切らない言い方に紫上はすこし微笑んで、
「ご自身のお考えでさえお決めになれないのに、まして私が仕方ないのかどうかなんて決められるわけがありませんわ」
と、言っても無駄でしょといった体で軽くあしらわれたので、恥ずかしくなり頬杖をついて寝転んでいると、紫上は硯を引き寄せて歌を書きつけた。
「目に近く移れば変わる夫婦仲でしたのに
行く末長くとあてにしていましたとは」
同じような意味の古歌など書き散らしているのを見てとったヒカルは、
(何気ない歌だけどホントその通りだよね。言われて当然)
「命は尽きることがあっても仕方のないことだが
無常な此の世とは違って二人の仲は変わらない」
と詠みかけてぐずぐずしている。
「さあ、早く。わたくしが引き留めているのかと思われてしまいます」
促されてやっと重い腰を上げるヒカル。自らの手で焚き染めた衣裳を優美に着こなした後ろ姿を見送る、紫上の心の内が穏やかであるはずもない。
(殿と過ごしたこの長い年月……もしやまた新たに誰かを求めておられる?と思ったことも一度や二度ではない。それももう今は済んだこと、すっかりそんな悩みからは離れられたのだと安心した矢先のこの体たらく……今になってここまで外聞の悪い事がわが身に起ころうとは。結局はそれだけ脆い関係だったということ。これから先も、何があるやら知れたものではないわ)
表面上は何気ない風に、いつもと同じように装っている紫上だが、伺候している女房達は黙っていない。
「思いがけないことになりましたわね。囲われている女君は数多おられるけれど、どの方も皆、此方のご威勢には一歩譲られて遠慮なさって来たからこそ、何事もなく平和でしたのに。あんなに派手に鳴り物入りでいらした方が、負けたまま大人しく引っ込んでいられるものかしら」
「あちら様からすると、些細なことでも勘に障ることが積み重なれば、面倒事も持ち上がりかねないですわね」
ひそひそ愚痴りあっている声は聞かない振りで、あくまでゆったり優雅に、関係のない話をしながら夜更かしする紫上であった。
参考HP「源氏物語の世界」他
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