若菜上 十三
年が改まり、桐壺の女御の産み月が近づいてきた。六条院では正月朔日より御修法を絶やさず、寺社に山ほど祈祷もさせている。出産にはトラウマのあるヒカル、おそろしくて仕方がないのだ。
(葵上は苦しんで苦しんで、やっと産まれて、これで安心と思ったら突然亡くなっちゃったよね……紫上が私の子を身ごもらなかったのは残念だし不本意だけど、正直それでよかった。あんな風に逝ってしまったら、と想像するだけでも耐えられない)
(娘もやっと十三歳って幼さで、身体も大きくないし心配だな……)
二月に入ると女御の腹はぐんとせり出し、寝ても覚めても苦しそうにしていたので、皆が心を痛めた。
陰陽師たちは場所を変えて安静にするようにと進言するが、六条院外ではもっと心配だからと、冬の町の中の対に移した。こちらは大きな対の屋が二棟あるばかりで、あとは廊をめぐらせてあるだけだ。御修法の壇をその廊のいたるところに立て、霊験あらたかな修験者を集め大音声で祈祷させた。
冬の町の主である明石の御方はもちろん懸命に女御を世話した。実の娘だからというだけではない。この出産が無事に済むか否かに、自身の宿命の行方もかかっているのだ。
あの祖母の大尼君もすっかり年を取り耄碌はしたに違いないが、孫娘を間近で世話できるのが嬉しくてたまらず、毎日夢心地で傍にいる。今まで明石の御方が女御に対して昔の経緯を聞かせたことはなかったが、この大尼君は喜びを抑えきれず、顔を合わせるたびに涙しつつ震え声で語り続けた。
(この人は誰?わたくしを以前から知っているかのように……もしや、以前ちらっと聞いた、母方のお祖母さまという人?)
朧げに事情を察した女御が親身に話を聞いてくれるのをいいことに、大尼君は喋り続ける。女御が産まれたばかりの時の事、ヒカルが明石の浦に滞在していた様子など細々と。
「今でも忘れられませんわ……ヒカルさまが遂に京へとお帰りになられたあの日。誰も彼も気が動転してしまって、もうこれで最後なのだ、ただこれだけの御縁だったのだと嘆いておりましたが……若君が、貴女がお産まれになってお助けくださった。そのご運勢のすばらしさ、まことに今も身に染みて感じられますこと」
とほろほろ泣く。女御も心打たれ、涙をこぼす。
(そうだったの……それほどに皆が大変な思いをする中わたくしは生まれて来たのね。こんな風に聞かせてくださらなかったら、きっと知らずに過ごしてしまったに違いない)
(本来、こんな大きな顔をして栄華を極めるような身分でもなかったのに、お母様……紫上のご養育のおかげで磨かれ、世間の風当たりから守られていたのだわ。他の女御更衣たちなど気にもならなかった。すっかり思い上がっていた。事情を知る人は蔭で噂することもあったのではないかしら)
もとより紫上が養母であること、実の母の身分が低いことは承知していた。だが、自分の産まれた場所が都から遠く離れた明石の地だとは知らなかった。蝶よ花よと育てられた深窓の姫ゆえにさして興味も持たず、想像すらしていなかったのだ。特に、祖父である入道が今や人里離れた山奥で、独り仙人同様の暮らしをしているとの話は哀れを誘った。
女御がすっかり考え込んでしまったところに、ちょうど明石の御方が参上した。日中は加持祈祷に集められた僧たちの配置や手伝いの人員の割り振りなど取り仕切っていたが、部屋に戻って来てみれば女房達が一人もいない。ただこの大尼君だけが得意顔で、女御の傍近くに居座っている。慌てて、
「まあ、なんということ。せめて短い御几帳でも傍に引き寄せてからお付きなさいませ。風が強いのですから、気づかないうちに姿が見えかねないですわよ?医師ではないのですから、本来はそんなお近くには寄るべきでは……ああもう、ほんとうにお年を召されておいでだこと」
と窘めたが、当の尼君は十分気を付けて品よく振る舞っていると思い込んでいる。老いて耳もよく聞こえないとばかりに「ああ」と生返事して首を傾げた。
実際、それほどの年齢ではない。せいぜい六十五、六歳である。すっきり品よく清潔感もある尼姿で、目が涙を含んで赤らんでいる。
(いったい何の話を)
明石の御方は内心ドキっとしたが、おくびにも出さず冷静を装う。
「おおかた年寄りがいい加減な昔話でもしたのでしょう。この世にありそうもない記憶違いのことをまじえては、辻褄の合わない、まるで夢のようなことを申しますものね」
苦笑しながらそっと女御の方を窺うと、いつものように優雅で美しいが、何か思いつめたような、神妙な顔である。我が子とはいえ畏れ多く、
(出自に関してお聞き苦しいことを申し上げたのかしら……酷くお悩みになってらっしゃるように見える。最上の地位を極められた時にこそお話ししようと思っていたのに。身分の低い母から生まれたのは残念なことではあるけれど、それで見捨てられるようなことはない……とはいえ、さぞ幻滅されたことだろう。おいたわしいこと)
言葉には出さないが心配な明石の御方であった。
加持祈祷が終わり僧たちも退出した後、明石の御方は果物など女御の傍に取り寄せて、
「すこしだけでもお召し上がりください」
何かと気を配る。
「なんと……なんとお可愛らしく、尊いお姿だこと……」
大尼君は涙を止められない。顔は笑っているので口元が見苦しく歪み、目の辺りは涙に濡れてグシャグシャである。明石の御方は見るに見かねて、
「みっともない。お控えあそばして」
と目くばせするが一向に頓着せず、歌まで詠む。
「長生きした甲斐のある浦に立ち出でて
潮たるる海人(尼)を誰が咎めましょうか
昔の時代にも、このような老人は大目に見てもらえるものでございます」
これに応える形で、女御が硯箱にある紙に書きつける。
「潮たるる海人(尼)を波路のしるべにして
尋ねてみたいものです、浜の苫屋を」
明石の御方もとうとう我慢できなくなり、こみあげた涙を隠すように歌を詠む。
「世を捨てて明石の浦に住む父も
子を思う心の闇は晴れることもないでしょう」
女御は、
(お祖父さまとお別れしたという暁も、夢の中にさえ見えないのは残念なことだわ)
と思う。
弥生(三月)の十余日、桐壺女御は無事子を産みおとした。
かねてから仰々しく大騒ぎしていた割にはさほど苦しむこともなく、母子ともに健康、しかも男子である。これ以上ない結果に、ヒカルも胸を撫で下ろした。
冬の町は六条院の裏側に当たり、廊が巡らせてあるため奥行きのある部屋などはない。大尼君にとっては「甲斐ある浦」にしろ、産養の式など次々行うには威儀も整わず、些か不便なため移ることになる。
紫上も早速此方を訪れた。白い装束を着て若宮をしっかり胸に抱く女御は既に母の姿であり、殊の外美しい。紫上は自身に出産経験がなく、間近に見たこともなかったので、何もかもが珍しく喜びもひとしおだった。生まれたての抱きにくい赤子を可愛い可愛いと放さないので、大尼君は手を出さず湯殿の世話などに回った。
春宮からも、宣旨を務めた典侍はじめ女房たちが湯殿奉仕に派遣されていた。迎え湯を盥に注ぎ入れる役は明石の御方である。
「なんと、実の母君みずからこのようなお役をなさるとは。欠点など何一つなく、驚くほどの気品を備えた方なのにおいたわしい。それにしてもこんな素晴らしい宿縁をお持ちの方でいらしたとは」
春宮付きの女房達は感嘆して、ひそひそと囁き合う。
産後六日目には母子ともに春の町に移った。七日の夜、内裏からも産養がある。
出家した朱雀院の名代も兼ねてのことか、蔵人所より頭弁が宣旨を承り、例のないほど手厚い奉仕をした。秋好中宮からも禄の衣装など慣例以上のものが出された。親王方、諸大臣家からも贅美を尽くした祝いの品々がひきもきらない。
ヒカルもこの時ばかりは「なるべく簡素、簡略に」という常の主義もかなぐり捨て、世にも華やかで盛大な儀式を執り行った。あまりに凄すぎて、細かい繊細な優雅さまでは目に留まらないまま終わってしまい、書くことができない。
ヒカル自身もたいそう喜んで、産まれたばかりの若宮をすぐに抱きあげ、
「夕霧大将は大勢子がいるのに、全然見せてくれないんだよね。でもこんなに愛らしい子がここで産まれてくれた!」
と手放しの可愛がりようである。
若宮は日に日に、引き延ばすようにすくすく成長していく。乳母も、気心の知れない者を急いで召し出すようなことはせず、元から伺候している中から家柄がよく教養もある者を厳選して仕えさせた。
その中でも明石の御方の存在は光った。聡明で気品もあり、大らかなその人柄、毅然としているが下がるべきときには下がるその謙虚さ。決して小憎らしく我が物顔に振る舞ったりはしない。皆が感心して褒めそやした。
紫上は若宮が産まれて以来、この明石の御方と直接顔を合わせることも多くなった。すると、あれ程許せないと思っていたにも関わらず、ぐっと仲良くなり、かけがえのない人と尊重するようになった。元より子供好きな性分の紫上は、天児などをいそいそと自作したりして、日々若宮中心に若々しく過ごしている。
あの大尼君は、若宮をゆっくり傍で見られないことが残念で仕方ない。なまじ湯殿の世話をしたばかりに、なおさらもう一度、という気持ちが強くなり、死ぬほど切ない思いをしているようである。
参考HP「源氏物語の世界」他
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