若菜上 六
年が明けた。
朱雀院方では、女三の宮の嫁入り支度に大わらわである。候補者たちは皆意気消沈、今上帝もその一人であったが、こうなってはもうどうにもならない。諦めるしかないのであった。
それはそれとして、朝廷の最大の関心事はヒカルの「四十の賀」である。
さぞかし世をあげての祝い事になるだろうと兼ねてから評判になっていたが、ヒカル自身はまったく関心がない。とかく堅苦しい厳粛な儀式は煩わしくて嫌なのだ。内裏をはじめとした大がかりな祝賀行事はことごとく辞退した。
ところが正月二十三日の子の日、鬚黒左大将の北の方……玉鬘より
「春の若菜を献上したく」
との旨申し入れがあった。子の日の慣習にかこつけた賀の祝宴を敢行しようというのである。前もっての予告も何も無い完全なサプライズで、突き返そうにもやりようがない。内々という体ではあるが、左大将の威勢よろしく訪問の儀式は大層なものであった。
南の御殿の西を開け放って放出とし、賀を受ける座席を作る。屏風や壁代をはじめ、すべて玉鬘が持参した調度や道具にすっかり取り換えられた。格式ばった椅子などは立てず、地敷(じしき)四十枚、褥、脇息などが麗々しく並べられていく。
螺鈿の厨子二具に衣箱四つを据えて、夏冬の装束、香壺、薬の箱、硯、ゆする杯、掻上の箱など、どれも目立たないところまで贅美を尽くした逸品である。かざしの台には沈や紫檀を使い、珍しい紋様を凝らし、同じ金でも色使いに趣があって今風でもある。
玉鬘の尚侍の君は風雅の心得が深く才気がある。調度や道具こそ凝りに凝って調えたが、儀式全般としては仰々しすぎない程度にごくシンプルに抑えた。これも、格式ばったことを嫌うヒカルの意を慮ってのことだ。
参会の人々が徐々に集まって来ている。ヒカルは客の応対に出る前に玉鬘と対面した。最後に会ったのは、男踏歌見物に参内する前。お互いに、心中ではさまざま昔の思い出がよぎったことだろう。
(なんと、ますます若々しくお美しくていらっしゃること。四十の賀だなんて数え間違いではないの?子を持つ父親には見えない優美な方……わたくしはどうご覧になられているかしら)
玉鬘は恥じらいながらも、やはり隔てもそこそこに直接話を交わす。
「おお、息子さん二人もご一緒か。いくつになった?」
「三歳と二歳です。わたくしは二人ともなんて、と思ったんですが、殿が……左大将が
『いや、せっかくの機会だからご覧に入れよう』
というものですから」
二人の男児は同じような振り分け髪、子供用の直衣姿で、神妙な面持ちである。
「ひとつ年を取ったところで自分では特に気にもならないし、昔と同じように若ぶっていたけど、こんな可愛い孫たちの前じゃもうダメだね。間違いなく四十の爺いだ。夕霧なんか早々に子をもうけた癖に、何だかんだと分け隔てして中々見せてくれないんだよね。今日のこの子の日に、誰より先に私の年を数えて祝ってくれた貴女のお心が恨めしいよ。せっかく老いを忘れてたのに。なんてね、いや本当によく来てくれた。嬉しいよ」
ヒカルの言葉に微笑んだ玉鬘はひときわ大人びて美しく、左大将の妻として相応しい貫禄をも身に付けていた。
「若葉が芽吹く野辺の小松を引き連れて
育ててくださった元の岩根を祝う今日の子の日ですこと」
と殊更に母親めいた歌を詠む。沈の折敷(おしき)四つに載せた若菜の羹が運ばれてきた。ヒカルは盃を取りつつ歌を返す。
「小松原の将来のある年にあやかって
野辺の若菜も長生きすることだろう」
そうこうしているうちに、上達部たちが続々と南の廂の間に到着する。
式部卿宮は、自分の娘の後釜に座った玉鬘が催す宴に出ることを渋っていたが、招待された以上ここまで近しい親族にも関わらず欠席というのも外聞が悪かったのだろう。日が高くなってからようやくやって来た。鬚黒左大将が得意然と、すべてを取り仕切っているのも癪に障ったが、孫の男子二人……真木柱の君の弟たち……はどちらからも縁続きゆえ、骨身を惜しまずてきぱきと立ち働いている。
左大将が用意したのは果物を詰めた籠物四十枝、肴を詰めた折櫃物四十。夕霧権中納言の指揮下で、男たちが次々に受け渡す。盃が下され、若菜の羹が振る舞われる。ヒカルの御前には沈の懸盤四つと坏類が並ぶ。いずれも玉鬘のセンスが光る品々であった。
朱雀院の病状がまだ思わしくないので、楽人を召し出すような大がかりな演奏は控えたが、太政大臣は、
「今の世に、このヒカルの四十の賀ほどやり甲斐のある催しってないよね」
と気合を入れて前々から準備し、由緒ある名器ばかりをずらりと揃えてみせた。内輪とはいえ中身の濃い、豪華な管弦の遊びである。
それぞれ楽器を手に取り演奏する中、和琴は誰も手を出さない。第一人者である太政大臣が、日頃入念に弾き鳴らしている秘蔵の和琴ゆえである。大臣の息子・衛門督が固辞するのを無理に催促して弾かせると、これが実に見事で少しも父に劣らない。
「素晴らしい。名手の後嗣といえどこれほどとは」
と皆が感動に震える。それぞれの調子に従う楽譜の整った弾き方や、決まった型のある唐土渡りの曲目は練習次第で何とかなるが、和琴の場合そうはいかない。気分に任せてただ掻き合わせる菅掻きに、すべての楽器の音色がひとつふたつと合わさっていく、まさに妙なる調べ。不可思議なまでに響き合う。
父の太政大臣は、琴の弦をとても緩く張って柱(じ)も低く下ろし、存分に余韻を響かせて掻き鳴らす。それに対して息子の衛門督は、はなやかな高い調子で親しみやすい朗らかな音色である。名演を聴き慣れている親王たちもいたく感じ入って、口々に褒めそやした。
琴の琴は兵部卿宮。宜陽殿の御物で、代々受け継がれる中でも随一との評判の琴である。故桐壺院の晩年に琴を嗜む一品宮に下賜したのを、この御賀のために太政大臣が願い出て借り受けたという。ヒカルにとっても思い出の琴であり音色である。
酔い泣きが止まらない親王たちから巡り巡って、琴がヒカルの前に置かれる。感無量のまま普段あまり弾かない曲目を一曲だけ。滅多に見られない聞けない、今宵限りのスペシャルな楽器と演奏。皆この場に居合わせた幸運を噛みしめる。
器楽の後は歌曲とばかり、美声の殿上人を階段の所に集めて謡わせる。夜が更けゆくにつれ音色は馴染み、最後の「青柳」に至る頃にはねぐらの鶯も目を覚ましそうなほどに盛り上がる。宴が果てると、六条院からも見事な禄や引き出物が用意された。
夜明け方、玉鬘一行も帰る。ヒカルは贈り物など山と持たせながら、
「私はご覧の通り世捨て人同然に過ごしているから、普段は年月の行方も知らないよって感じなんだけど、貴女がこうして年を数えて祝ってくれたことで急に心細くなってきた。時々は、私が前より年を取ったか見比べに来てほしいな。何かにつけ窮屈な老人の身だから、思うさまお逢いできないのが本当に残念だよ。まだまだ話足りないことが山ほどある気がするのに、ほんの少し顔を見せてくれただけでもうお帰りとは……寂しいね」
しんみりと語りかける。
玉鬘にしても、実の親はただ血がつながっているというばかりでさしたる情はない。ヒカルが如何に親身に心をこめて世話をしてくれたか、それがどんなに稀有なことであったか、妻となり母となり年月が経ったことで改めて身に沁みる。並々ならぬ感謝の気持ちをどうにか伝えたいという心からの、今回のサプライズであった。
参考HP「源氏物語の世界」他
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