「続氷点」

衝動買いの一気読み。 

「続氷点」三浦綾子(1971)

ジェットコースター展開の前作とは違い、此方は平和に戻った日常を淡々と……って思ったら全然まったく平和じゃなかった。ある意味こっちのほうが、行動範囲が広がった分いろんな人を巻き込んでて酷い。今回も梗概は書かないが、何と言うか迷惑な一家としかいいようがない。まあでも面白くてまたもや一気読みしてしまった(笑)。


以下ネタバレ注意

テーマは「ゆるし」だというが、結局最後に陽子は自分自身を赦せたんだろうか。赦せたと思いたい。ここでの悲劇は、すべて陽子が自分の存在を赦し切れていないから起こったことだからだ。自分を赦せなければ他人を赦せるわけもない。順子との大きな違いはそこ。正しくあろうとしたいがため、その正しさを揺るがすものが許せない。自分が完全無欠な存在でないことを認めるのが受け入れられないその貪欲さはヤバイ。生い立ちが生い立ちだから仕方ない面もあるけど、彼女はこの執着心から逃れられたんだろうか?と、キリスト教には全く詳しくない私は思った。むしろ禅宗的な自己透徹と、それ自体を超越する強さの方が彼女には必要なのでは?いやこっちも詳しくないから何となくだけど。

 正直、今回は夏枝より陽子をはじめ周りの家族にイライラした。夏枝はある意味非常に素直な人で、自分大好きである。全てを自分中心に考える。むしろ、こんなわかりやすい人に皆何を期待しているのかと思ってしまう(特に徹)。しかも夏枝、最後の最後にただ一人陽子の逡巡を理解し、気にすることない、自分の気持ちの赴く方に進むべしと教える。なんだ、ちゃんと母親だったじゃないか。というか、なんだかんだで陽子とは表裏一体の似た者親子ともいえる。二人とも長生きしそう。

こうして「氷点」「続氷点」と通して読んでみて思ったのは、これもまた失われた(失われつつある?)文化だということ。言葉遣いがまず違う。今こういう言葉遣いする人って上流階級でもいないんじゃないだろうか、よく知らんけど。それと夏枝の完全無欠な専業主婦っぷり。和服をシーンに合わせて着こなし、お手伝いさんがいるとはいえ家事全般を取り仕切り、家の中の品々をきっちり管理し、夫の身づくろいまで全て受け持つ。衝撃だったのは、夫に靴下を履かせるシーン(数回出て来た)。生活全般夏枝に頼り切ってることの表現として、というのもあるだろうけど、きっとこの時代には当たり前のようにあったことなのだ……いや、靴下くらい自分で履こうよ。二十数年前、「ポットで湯も沸かせない」夫の話を会社で聞いたことがあるが、奥さんが全部まるっとやっていたんだろうなあ、夏枝のように。これは廃れていい習慣だよねえ。

 などと、現代人にも非常に楽しめる作品である。若者がこれ読んだらどういう感想になるのかなあ。興味あるところだ。

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