おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

梅枝 二

2020年12月19日  2022年6月9日 

 


 裳着の儀式当日の戌の刻(午後八時前後)、秋の町に渡る。

 秋好中宮の住まう寝殿の西面、簾などを撤去して広い放出とし、調度類を置いて飾り立てた。このまたとない機会に紫上も春の町を出て中宮と対面する。それぞれの女房たちや御髪上げの内侍などもそのまま参集し、放出は着飾った女たちがひしめいた。

 子の刻(午前0時前後)に裳をつける。ほのかな灯りの下に立つ明石の姫君の物腰を、

「なんとお可愛らしい」

 と中宮は感心しつつ腰結の役を果たす。ヒカルは御礼かたがた挨拶をする。

「ご恩顧を頼りに、畏れながらわが娘の姿をご覧に入れました。せめて後世の試しになろうかと、僭越にも考える次第です」

「何の弁えもなくいたしたことですのに。そこまで大袈裟な仰りようをされますとかえって気が引けてしまいますわ」

 御簾の向こうから、若々しく愛らしい声が応える。

 各町は普段から密に交流しているので、中宮と紫上は勿論のこと、集まった女たちもみな和気あいあいと過ごしている。まさにヒカルの理想通りの状況であった。ただひとつ心残りは、冬の町に住む明石の御方の参列を見合わせたことである。

(このような場に出しても扱いに困るし、要らぬ詮索を生んでしまう。我が子の晴れの儀式を見られないのは気の毒だが、仕方ないな……)

 その後の饗応も管弦の遊びもはなやかに催され、裳着の儀は滞りなく、満足いく形で終了した。


 同じ月の二十余日、春宮が元服した。

 十三歳になる春宮は年齢より大人びていて、女御なり更衣なりの入内を心待ちにしているという。しかし、太政大臣たるヒカルが我が娘の入内準備を進めているのを見てとった重臣たちは、とても敵わないと手を引き始めた。特に左大臣などは、中途半端な扱いになるくらいなら……と決めていた宮仕えを取りやめる気でいるらしい。それを聞いたヒカルは苦言を呈した。

「いや、それはないんじゃないの?そも宮仕えというものは、大勢いる中で僅かの優劣を競うのが本来の形。優れた姫君たちがみな家に引き籠められてしまったら、後宮は何とも面白くない場所になってしまう……よし、ならばウチは当面の間延期する!」

 やきもきと足踏みしていた左大臣はようやく三の宮を入内させ、春宮の麗景殿女御と称すことになった。

 ヒカルの娘の入内は春宮の希望もあり、二か月後の四月と定められた。殿舎として賜るのは「桐壺」、ヒカルがその昔宿直所として使っていた淑景舎である。

 この際なので改装した上に元からあった調度類も総入れ替えすることにした。ヒカル自ら道具類のひな型や図案などに目を通し、優れた諸道の専門家たちを呼び集め、隅から隅まで整えて磨き上げる。

 さらに冊子箱に入れる草子類を用意する。そのまま手習いの手本にできるレベルの、古の名筆家たちが後世に残した筆跡類も六条院には山とある。ヒカルはあれこれと手に取って選び出しながら紫上に語る。

「今は昔に比べて何でもイマイチで軽いノリになってく気がして、これが末世っていうものかなとも思うけど、仮名だけは例外だね。随分と発達したものだ。昔書かれた仮名文字って筆跡は確かだけどどうも力が入り過ぎてて、どれもこれも似たような書法しかない。これは!って見事な仮名文字を書ける人が出て来たのは、ごく最近の話なんだよね。私が女手(平仮名)を熱心に習っていた最中のことだけど、数多の手本の中に、秋好中宮の母御息所が何気なく走り書いた一行ほどの筆跡があってね、あれは本当に素晴らしかった。感動したね。もしかして私はあの文字に恋してしまったのかもしれない。結果としてとんでもない浮名を流すことになってしまって、悔しいことと随分思い詰めていらしたが、私はそれほど薄情でも無いよね。まあ思慮深くいらした方だから、こうして中宮をご後見申し上げている私を、草葉の蔭で見直してくださってるかな」

 ヒカルは一旦話を切り、声を潜めた。

「ここだけの話、中宮のご筆跡は繊細で趣はあるんだけど、故母君ほどの才能はないんだよね」

 反応に困る紫上の前で、ヒカルの語りは続く。

「藤壺の女院……故入道宮のご筆跡は、お心の深みそのままの優雅な手蹟ではあったけれど、ちょっとパンチが足りないというか、メリハリに欠ける感があったね。その点、朱雀院のところの尚侍の方は、当代の名手の一人といって差し支えない。ただあまりに洒落のめし過ぎて癖が強いきらいはある。あとは朝顔の……桃園式部卿宮の前斎院かな。もうお一方は、紫上、貴女だ。素晴らしい手蹟だと思う」

「まあ、そんな方々の数に入れていただくなんて……気が引けますわ」

「謙遜には及ばないよ。貴女のもの柔らかな筆遣いの好もしさは、誰にも真似ができない。いやまったく、仮名と漢字は別ものだね。漢字が上手くなればなるほど、仮名の方は逆におぼつかなくなって来たりするし……ああしかし、こりゃ大変だ。数が多すぎる」

 まだ書き写していない冊子類の山を前に唸るヒカル。表紙や紐なども凝りに凝って作らせるつもりなので、とても自分ひとりでは無理な作業だ。

「そうだ、兵部卿宮や左衛門督などにも書いてもらおう。私自身も二帖くらいは書くけどね。何、幾ら自信がおありのあの方々でも負ける気はしない……!」

 ここでも何故か競う気満々である。

 ヒカルは墨や筆も最上のものを選び出した上、特に気合を入れていつもの方々に依頼の手紙を出した。いやいやとても無理です、と辞退してきた者にもなお押す。

「若い感覚も欲しいところだな」

 さらに夕霧、式部卿宮の兵衛督、内大臣の長男である柏木中将に、 

「葦手、歌絵を各自思い通りに書くように」

 と声をかけ、薄様に似せた優美な高麗紙を配った。皆それぞれに工夫して挑んでいるようである。


 ヒカル自身はいつもの春の寝殿に一人離れて書く。花盛りを過ぎたうららかな浅緑色の空の下、心静かに古歌を読み、選り抜く。草仮名も、普通の仮名も、女手も、思いのまま見事に書き尽くす。

 そこは女房が二三人ばかりと人少なである。墨を擦るだけでなく、由緒ある古い歌集を繰って選び出す仕事の相談ができる者だけが伺候しているのだ。

 御簾を上げ渡し脇息の上に無造作に草子を開く。ごく端近にくつろいだ格好で、筆の尻を口にくわえて思案をめぐらすヒカルの姿は、目を離せない美しさである。白や赤などはっきりした色の紙は、筆を取り直して丹念に書いている。もののわかった人にはたまらない情景であろう。

「兵部卿宮がお越しです」

 という声に、ヒカルは慌てて直衣を着た。来客用の設えをさせそのまま待ち受ける。ただ歩いて来て階段を上がるだけの所作もすっきり美しい宮の姿を、御簾の内から女房たちが覗き見ている。丁重な挨拶をかわしお互いに威儀を正しているのも良い感じだ。

「することもなく籠り切りで、飽き飽きしたところだったんですよ。なんとちょうどいい折にお越しくださいまして」

「何、ご依頼の草子をお持ちしましたんですよ」

 ヒカルは受け取ってすぐその場で開いてみた。筆跡はさほどでもないが、ただ一途に垢ぬけた風に書いてある。和歌も一風変わった古歌を選んで三行ほど、極力文字を少なめにしているのが何とも好ましい。

「おお、こんなにまで上手くお書きになるとは……いやまったく、筆を投げ捨ててしまいたいほどですよ」

 悔しがるヒカルに兵部卿宮は笑って、

「またまた。こんな名手揃いの中で臆面もなく書かれるくらいですから、そこそこの腕はお持ちなんでしょう?」

 軽く切り返す。

 ちょうどその場に置いていた、さまざまな人が書いた草子類を二人で鑑賞することとなった。

「ほう……こんなにしっかりした唐の紙に草仮名の組み合わせか。絶妙だね。こちらは高麗紙か……きめ細かくて優しい手触り、色も抑えめで優雅な紙に、なよやかな女手で端正に、筆先まで神経を使って書いている。見事だ」

「おお、まさに流れるような筆跡……見る人の『涙さえ、水茎に流れ』るといったところか。また紙がね、我が国の紙屋院の色紙っていうところが憎いね。色合いもパッと華やかで、乱れ書きの草仮名の和歌を筆の向くまま自在に書き散らしてるのがピッタリ嵌ってる。型に囚われない天真爛漫さがいい。ずっと見ていたい気がするよ」

※亡き人の書きとどめけむ水茎はうち見るよりぞ流れそめける(歌仙家集本伊勢集-三八五)

※亡き人の影だに見えぬ遣水の底は涙に流してぞ来し(後撰集哀傷-一四〇二 伊勢)

「これは左衛門督?うーん、上手いけどちょっと仰々しすぎかな。何でこう、肩ひじ張った書風ばかりを使うのか……かえってあか抜けない感じだねえ。技巧に偏り過ぎなんだよね。和歌も選び方がありがちだし」

 六条院の女主たちの分は何気なく隠して見せない。朝顔の斎院のものはまして言うまでもなく、おくびにも出さない。

「この葦手の冊子類は……そうか、息子さんたちのだね。それぞれに個性が見えて面白いな。どれどれ、これが夕霧くんの?ほう、水の表現がいいね。勢いがある。みっしりと乱れ生える葦のこの感じ、難波の浦を連想させるね。密な部分と疎らな部分のバランスが取れていて気持ちがいい。……おお、かと思えばこっちはガラリと趣をかえたね。字体から、石ひとつの佇まいから、形や配置をとことん考え抜いて書いてる。いや、とても全てを語り尽くせないほどのすばらしさだ。相当手間がかかったろうね」

 自他ともに認める風流人の兵部卿宮は、どんなことでも興味を持ち、面白味を見出して鑑賞する性質なので、どれもこれも大変な褒めちぎりようだ。

 そのまま書の話を一日中続け、継紙をした手本を幾巻か選り抜いた。兵部卿宮は更に、宮邸所蔵の手本類を息子の侍従に持って来させた。

 嵯峨帝が「古万葉集」を選んで書かせた四巻と、延喜帝が「古今和歌集」を書かせた二十巻である。唐の浅縹の紙を継ぎ、同色の濃い紋様の綺の表紙、同色の玉軸、だんだら染めに組んだ唐風の組紐など、装丁の優美さもさることながら、巻ごとに書風を変えあらん限りの書の美を書き尽くした逸品だ。ヒカルは灯りを低い台に下ろしじっくり見入った。

「いくら見ても見飽きない。近頃の名人は、ただ部分的な趣向を凝らしているだけにすぎないのがよくわかるね」

「それは差し上げますよ。私には娘がおりませんし、見る目のない者には伝えたくないので。このまま埋もれてしまうよりずっといい」

 宮は侍従に命じて、特に入念に書いてある唐の手本なども沈の箱に入れさせ、立派な高麗笛まで添えて献上した。


 その後もヒカルの仮名論評は留まることを知らず、世間で能書家と聞こえる人々は上下を問わず、相応しい内容のものを見繕い、探し出して書かせた。ただ娘のための箱には、身分の低い者のそれは入れない。家柄や地位もはっきりと分けて、草子、巻物などすべて揃えた。

 ヒカルが準備した珍しい宝物類、外国の朝廷でも滅多に見ないような品々の中でも、これら冊子をひと目見てみたいと興味を惹かれる若者は多かった。

 例の「須磨の日記」はヒカル自身、子孫代々に伝えていきたいものではあるが、

「娘にはまだ早いかもしれない。もう少し世間というものを分かってから」

 と考えて、手元に残した。

 参考HP「源氏物語の世界」他

<梅枝 三 につづく

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