真木柱 五
またまた右近でございます。ただいま、夏の町・西の対の几帳の蔭に潜んでおります。
いつになく長く此方に居座っ……失礼、お渡りになられました鬚黒大将さまのお耳に、北の方さまご一行が車に乗られ、ご実家に戻られたという噂話が届きました。
「なんということだ。若夫婦でもあるまいに、焼餅をやくようなお振舞いなど。ご本人の性分としては、それほど性急に白黒はっきりさせるところはないはず。大方、あの父宮の差し金なのだろう。まったく軽率なことを」
ぶつぶつ独り言をつぶやきつつ暫く思案してらっしゃいましたが、遂に意を決されたか、玉鬘の君に話しかけておられます。
「どうも妙なことが起きたようで……妻が邸を出て実家にいるようです。何、かえって気楽なものですが……そのまま邸の片隅に隠れておられても何ら支障ない方と安心しておりましたのに、いきなり舅の、式部卿宮がそそのかして連れていったのです。他人にあれやこれやと取り沙汰されるのも情けないので、ほんのちょっと顔を出してすぐ戻ってきますね」
立派な袍の衣に柳の下襲、青鈍の綺の指貫という、中々堂堂たるいでたちで、西の対を出て行かれました。
「やはりお似合いのお二人ですこと」
などと周りの女房達は囁き合っておりますが、当の玉鬘の君は能面のまま見向きもされません。まだまだその心は解けていない模様です。西の対からは、以上です。右近でした。
こんにちは、木工の君です。右近さんに引き続き、髭黒大将邸からお送りします。
大将殿は宮邸に行かれる前に此方に立ち寄られましたので、真っ先に応対してお方さまたちが出て行った際の話をいたしました。特に、姫君のおいたわしいご様子を重点的に。さすがに涙腺崩壊されてましたね。
「可哀想に……こんなに突然では、心の準備も何も出来なかったろう。だいたい、あのような……普通ではないお振舞いの数々を、長いこと見てみぬ振りで耐えて来た私の気持ちはまったく汲んでいただけなかったのか。気まま勝手な男ならばとっくに見限っている。まあよい、ご本人はどうなったところでもう終わった人だから……まだ幼い、将来のある子供たちをどうするつもりなのだ」
溜息をつき、ふと見上げた先にはあの真木柱があります。隙間に挟まれたあの紙を、そっと取り出されてご覧になりました。
「なんと……なんといじらしいお心か」
大将殿はその紙を手に、泣き泣き出て行かれました。大将邸からは、以上です。木工の君でした。
はい、此方は式部卿宮邸にございます。あっ、私は中宮の御許です。よろしくどうぞ。たった今、大将殿のお車が到着なすったところです。
「婿殿がおいでだ。逢うかね?」
お方さまは無言で首を横に振られました。宮さまは頷きつつ、
「うむ。時勢におもねる人の心変わりは今に始まった話ではないからね。この二年ほど、うつつを抜かしておられたご様子は聞いていた。改心する望みなぞないし、これ以上待つ甲斐もない。ますますみっともない姿を見せつけられることになるだけだ」
そう仰って面会を断らせました。大将殿はなお食い下がられます。
「なんと大人げないことを。見捨てようのない子供たちもいるのだからと、呑気に構えておりました私の怠りは何度でもお詫びいたします。しかし逢ってもいただけないのではどうしようもない。今しばらくは穏便にお許し下さって、罪は私一人と世間の人にも知らしめた上でこのようにされるのが筋では?あまりにも急すぎる。せめて、姫君のお顔を見せてください」
取次ぎの女房がそんなことを出来るはずもございません。意気消沈してらっしゃる大将殿の前に、男の子二人が連れ立って出てきました。
ご長男は十歳、童殿上されている愛らしい子です。顔立ちは普通ですが利発でいらして、物の道理もだいぶ弁えられており、人からよく褒められておいででした。
次男は八歳、こちらは姉君とそっくりで、女の子のように可憐な子です。大将殿は頭を撫でながら、
「お前を、恋しい姉姫君の形見としようか」
と涙を零されます。
宮さまにもご内意を伺われたようですが、
「酷い風邪を引き、養生しているので」
と体よく断られてしまいました。大将殿はご子息二人を連れて退出されました。ですが、さすがに六条院にそのまま連れていくわけにもまいりません。再び邸に立ち寄られて、
「お前たちは此処に住まいなさい。その方が私も気安く逢える」
と置いていかれたとか。心細げに父君の車を見送る小さなお二人の姿が、いじらしくお可哀想で、とてもまともに見ていられなかった……とは木工の君の言にございます。式部卿宮邸からは以上です。中将の御許でした。では、最後に右近さん、お願いいたします。
右近です。息子さんたちを自邸に置いて、こちら六条院夏の町・西の対に戻って来られた鬚黒大将さまは、全てがあまりにも違って素晴らしい玉鬘の姫君とその住まいに改めて感動を覚えたのでしょう。いよいよ熱心に通われるようになりました。
一方、この日を限りに、式部卿宮邸へのお便りはふっつりと途絶えたようです。
「冷たく追い返されて恥をかかされたから?どの口でそれを言うか、嘆かわしい」
宮さまはたいそうお怒りだとか。
こういった話はいくら隠そうとしても漏れ出るものでございますが、遂に紫上のお耳にも届いてしまいました。
「わたくしまで恨まれているようで……辛い事ですわ」
ヒカルさまも気の毒に思われたか、
「難しいね。私の一存ではどうすることもできなかったこの結婚で、帝もわだかまりをお持ちのようだ。兵部卿宮もお恨みと聞いたが、そこは思慮深い方だから、事情を知ってお心も解けた。男女関係はいくら隠そうとしても隠しきれるものじゃない。いずれ必ず露わになってしまう。だから誰であろうと苦にするほどの責任はない。私はそう思っているよ」
と仰いました。微妙に紫上のフォローになってるのかなっていないのか、はっきりしませんが……元よりまったく筋違いの恨みにございます。そのうち噂も消えることでしょう。
では、この辺で六条院からお別れいたします。右近でした。
参考HP「源氏物語の世界」他
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