おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

行幸 三

2020年11月20日  2022年6月9日 


 ヒカルの訪問の知らせを受けた内大臣はびっくり仰天した。

「えっ、ヒカルが三条宮に?!マジか……あんな寂れた邸で、どうやってあんなハイクラスの客を応対するのよ……前駆どもも接待しなきゃだし、お座敷を調える女房だって大して人数いないよね。そもそも殆ど尼だしさ。夕霧中将だって今日はヒカルのお伴だよね。迎える側に誰も男手がないってことだ。そりゃマズイ!」

 急ぎ、子息の公達や側近の廷臣達を邸に差し向ける。

「御果物やら酒やらガッツリ持ってってね!頼むよ!……私も行くべきなんだろうけど、太政大臣と内大臣が揃い踏みって、メッチャ大袈裟になっちゃいそうだしどうしよう」

 などと言っているところに大宮から手紙が届いた。

「六条院の太政大臣がお見舞いにいらしてますが、人少なな邸では外聞もよろしからず、またもてなしも行き届かずに勿体なく。事々しくではなく、また此方から要請したということでもなく、お越しくださいませんか?対面にてお話したいこともおありのようです」

「話したい事って何だろう……雲居雁のこと?夕霧の苦情?」

 思い当たることは一つしかない。

(母君も先が短いからずっとあの二人を心配しっぱなしだもんなあ。ヒカルが大人しく一言口に出してお願いしてくるんなら、コッチが反対する理由は何もない。とはいえ、涼しい顔して大して悩んでないよーんって感じだったら面白くないし、適当な機会があったら、向こうの言葉に従った体で二人の仲を許すかな)

(これって、ヒカルと母君が示し合わせてるんだろうか。そうなるとますます反対しようがないけど、だからって待ってましたー!って飛びついてOK出すのも何か悔しい)

 この辺はやはり面倒くさい性分である。

(とはいえ母君がこういう手紙を書いて寄越すってことは、ヒカルが会いたがってるのは本当なんだよね。何にし畏れ多いよね。うーん、とりあえず参上してみてから真意を聞いて、それから考えればいいや)

 内大臣は特に気合を入れて装束を整え、前駆の先触れは控えめにしつつ出かけた。

 子息たちをぞろぞろと従えて三条宮に入るその様子は、堂々として貫禄がある。背も高く均整の取れた体つき、面もち、歩き方、およそ大臣として相応しい落ち着きと威厳を兼ね備えている。葡萄(えび)染の指貫、桜の下襲、裾を長く引いて、しずしずと勿体ぶった振舞いは如何にも時の権力者である。

 対するヒカルは、桜の唐の綺の直衣に今風の色の衣を重ねたしどけない大君姿。この上なく美しく光り輝いているものの、まったくレベルが合っていない。内大臣は明らかに張り切り過ぎであった。

 内大臣家の一族は誰も彼も今を盛りと華やいでいる。大臣の異腹の兄弟もいまや藤大納言、春宮大夫などと称し、その子息たちもみな一人前に成長して供に加わっている。誰が召し出したというわけでもなく殿上人、蔵人頭、五位の蔵人、近衛の中将、少将、弁官など十余人が馳せ参じ、六位以下の者も大勢集まった。盃が幾度も廻り、皆したたかに酔っ払って、病気見舞いというより何かの祝いかという賑やかな宴となった。

 ヒカルと内大臣も久しぶりに旧交を温め合う。離れているととかく競争心が起こりがちだったが、差し向かいで話すうち思い出の数々がしみじみ胸に蘇る。昔のように遠慮ない間柄に戻った気になって、長年積もりに積もった話に花を咲かせつつ日が暮れた。内大臣はヒカルに盃をさしながら言う。

「六条院にも一度伺わなくてはと思いつつも、呼ばれてもいないのに何だよね、と遠慮してついついご無沙汰してしまった。今日、せっかくこの三条宮にお越しだっていうのにスルーしちゃったら、それこそお叱り事を増やすかなと思ってね」

「とんでもない。お叱りを受けるのは此方の方ですよ。きっとお怒りになるだろうと思うことが多くて」

 などとヒカルが意味ありげに言うので、

(雲居雁の姫のことかな。きっとそうだよね。いい話じゃないのかなもしかして)

 内大臣は気が気ではない。ヒカルはしんみりと、ごく真面目に語り始める。

「昔から公私に関わらず心に隔てなく、些細なことでもお話ししましたよね。いずれは二人、『羽翼』を並べるように朝廷のご後見を仕るとばかり思っていました。何年経ってもその心は変わっていません。もちろんお互いに行き違うようなことも少々は出てきましたが、ごく内々の些細な私事にすぎません。特に何を成し遂げることもなく年ばかり重ねた私ですが、往時を懐かしみたくても、今はお目にかかることさえ稀になってしまいましたね。身分柄何かと制約もあり、威儀ある振舞いをせねばならないお立場と承知はしていますが、せめて昔馴染みの間柄に免じて、気軽にお訪ねいただければよいのにと恨めしく思ったことも多々あります」

「仰る通り、昔はしょっちゅう顔を合わせては、今思うと怪しからぬほど馴れ親しんで、遠慮無用のお付き合いでしたよね。羽翼を並べるなど……朝廷に仕え始めた当初はそんなこと思いもよりませんでしたよ。嬉しいお引き立てがあって、こんな大したこともない男が位を昇り、朝廷にお仕えできていることと併せても、長年の感謝は言葉に尽くせるものではありません。ですが歳をとるとついつい何かと億劫になるもので……まことに、色々と不義理をしましたこと申し訳ない」

 内大臣も神妙な顔で頭を下げた。ヒカルが言った。

「貴方がまだ頭中将と呼ばれていた頃……宿直をご一緒して皆で長々と恋を語りましたよね。覚えていますか?」

「ああ、あったね!雨の夜だった。誰がいたっけ、メンバーは忘れたけど懐かしいね。ヒカルだけは全然口を割らなかった」

 二人で笑い、少し場が和んだところでヒカルはついに切り出した。

「常夏の女の話を?」

「よく覚えてるね。うん……若い頃の話ね」

 今思い出したという顔ではない。ヒカルはさらに畳みかける。

「その常夏の娘……撫子を、今私がわが娘として世話しているといったら?」

 その瞬間、内大臣は過去に引き戻された。あっけにとられ、やっとのことで声を絞り出す。

「それは……いったい、どういう」 

「私も常夏の女と出逢ったのですよ。残念ながら亡くなられて、行方の知れない撫子を長年探していたんです。さまざまな偶然が重なって私の元にやって来たのですが、神仏のご加護か、運命か……不思議なご縁でした」

「何と……信じられない、ずっと探していたんだ。あの宿直の時、ふと悲しくなってつい話してしまった……そうなのか、元気でいたのか……六条院に、そんな近くに」

 内大臣は頬を涙で濡らしつつ、堰を切ったように話し出す。

「かろうじて人並になれた今は、軽率な者どもがあっちにフラフラこっちにフラフラするのは体裁悪く見苦しいとわかるけれども……それはそれとして、大勢の子供達の一人ひとりを愛しく思う度に必ず、ふっと出て来たんだよね……あの撫子が」

 これ以降は、あの昔の雨夜の品定めを思い出して泣いたり笑ったり、お互いにすっかり打ち解けた。


 すっかり夜も更けた。そろそろ帰らねばならない。

「こんな風に最初から連れ立って参上したかのように過ごしておりますと、すっかり遠くなった古き世の事々が自ずと思い出されます。堪えられない懐かしさに、帰る気になれません」

 普段は決して気弱くはないヒカルも、酔い泣きなのか涙を流す。大宮はまして、亡き娘・葵上の身の上を思い出し、その兄と婿の昔に勝る容貌、威勢を目前にして悲しみが尽きず、涙も留めがたくしおしおと泣かれる。もう二度とはない、夢のような光景であった。

 ただ、このような絶好の機会にも関わらず、夕霧の件は話し合わないまま終わってしまった。ヒカルは内大臣のやり方をあまりに配慮がないと苦々しく思っていたが、口に出すのは何となく憚られて切り出せなかった。内大臣の方は内大臣で、自分から差し出た口をきくのはと躊躇いタイミングを逸した。お互いにモヤモヤしたまま、今日の所は時間切れである。

 内大臣が先に挨拶した。

「今夜も其方にお伴いたすべきですが、急なことでお騒がせしてもいかがかと。本日のお礼はまた日を改めて参上いたします」

 ヒカルもしっかり釘をさす。

「大宮さまのご病状もよろしいように見えますので、どうかお約束申し上げた日を違えず、必ずおいでください」

 二人とも上機嫌で、各々が帰る物音も盛大である。子息たちや供の人々は、

「何事だろう。この珍しいご対面に加え、お二方のご機嫌の良さは」

「なにやら政局に変化が……?」

 などと的外れな推測に忙しい。まさかあのような打ち明け話があったとは、誰一人想像もつかないのだった。

参考HP「源氏物語の世界」他

<行幸 四 につづく

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