藤袴 三
九月。暦の上では冬の始まりである(現代でいう十~十一月)。
初霜がおりてしっとり風情ある朝、いつもの世話役たちが入れ代わり立ち代わり、人目を忍んで夏の町に文を届けに来た。
どの文も玉鬘自身で見ることはない。ただ女房達が読むのを聞くのみである。
鬚黒右大将からの文。
「なお望みをかけてきましたが、過ぎゆく空の景色も心尽くしに。
数ならぬ身ならば嫌いもしましょうに、九月を
命をかけるほどの頼みにしているとは、何と儚い身の上か」
「十月入内」という決定をどこからか聞きつけているようだ。どうやら太政大臣ヒカルより、実父である内大臣の意向を頼みにしている節もある。
兵部卿宮の文。
「言う甲斐の無い仲は、今さら申し上げても詮無いことですが
朝日差す帝のご寵愛を受けられたとしても
霜のように消える私のことを忘れないでください
この思いをおわかりいただけるなら、癒されることもありましょう」
たいそう萎れて折れた笹の下枝を霜も落とさず添える。風流人の宮らしい、如何にも凝った演出であった。
式部卿宮の息子・左兵衛督は、紫上の腹違いの弟である。普段から親しくしているので、自然と事情も知れて、たいそうがっかりしていた。長々と恨み言を綴った挙句、
「忘れようと思う、その思いがまた悲しいのを
如何様にして、如何様にすればよいのやら」
歌もくどくどしい。
紙の色、墨つき、焚き染めた香の匂いもさまざまなこの三通の文を見た女房達は、
「この方たちが皆すっかり諦めてしまわれることは、何とも寂しいことですわね」
などと言っている。
玉鬘は何を思ったか、兵部卿宮にだけ短い返事を書いた。
「自分から光に向かう葵でさえ
朝置いた霜を自分から消しましょうか」
うすく走り書きしたようなその文を、宮は驚きつつ眺めて、
(私の愛情をいくばくかは感じ取っていただいた)
と、たいそう嬉しい気持ちになった。
他にも多くの人から同じような内容の手紙が沢山届いたが、宮以外には誰にも返事は書いていない。
こういう場合の女の心の持ちよう、いなし方としてはパーフェクトである、とヒカルも内大臣も思った。
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