藤袴 一
フジバカマ(みんなの趣味の園芸より) |
再び、右近でございます。
玉鬘の姫君が尚侍として宮仕えをされる件、今や誰も彼もが待ち望んでいるようです。
当のご本人はどういうお心持ちでしたか……二十三歳、分別盛りのお年頃にございます。悩みもさぞかし多かったことでしょう。お傍にそっと控えている女房なら、ややもすると独り言など耳にしたかもしれませんね。これ、このように---。
「どうなのかしら……親と思う方のお心でさえ手こずる今だというのに。まして宮中、人交じらいに思わぬトラブルが生じることもあるでしょう。秋好中宮さま、弘徽殿女御さま、それぞれに気まずい思いをさせてしまったら立つ瀬がない……どちらの親からもさほど深いご縁も無く、世間からも軽く見られているわたくしなど吹けば飛ぶような存在なのだもの。その癖何かと取り沙汰されたり、物笑いの種にしようと呪う人も沢山いる。きっと嫌なことばかりあるに違いない」
「だからといって、このままの状態で良いかというとそれも微妙……ヒカル大臣の、わたくしへのお気持ちが厄介だし厭わしい。これをすっきり断ち切って、世間の人が邪推しているような事実はないと、身の潔白を晴らすようなチャンスはないかしら」
「父君の内大臣さまもヒカルさまに遠慮なさってか、我が娘だから!とここから引き放してきっぱりとした態度をとられることもない。とにもかくにも、みっともなく色めいた境遇で心を悩まされる、世間の人からも騒がれてしまう身の上なのね、わたくしは」
裳着の儀式で内大臣さまとの再会を果たした後、かえってヒカルさまの言動は大胆かつあけすけになりました。もちろん人前ではなさいませんが、既に噂は流れているのです。実の娘ではない姫君を引き取ったのは、自分の恋人にするためなのだと。宮仕えに出すのも、六条院の方々の手前、関係を誤魔化すためなのだと。
返す返す、夕顔のお方さまが生きていらしたら……と思ってしまいます。悩み事をすべてとは言わずとも、ほんの一部でも吐き出すことのできる女親がいらっしゃらないのは、まことにお気の毒です。二人の父君はどちらもお偉方すぎて、とても気軽に話は出来ませんし、この手の不安をわかっていただくことも無理でしょう。
世間一般の人とはまったく違った身の上でいらっしゃる玉鬘の姫君……あわれを誘う夕暮れの空の景色を、端近に出て眺めていらっしゃるそのお姿は憂いに沈み、ひときわ美しくもあったのでした。
姫君の裳着の式から程なくして、三条宮の大宮さまがこの世を去られました。三月のことにございました。玉鬘の姫君も孫の一人として五か月間喪に服されるため、宮仕えも秋まで延期となりました。
春が過ぎ夏も終わり、そろそろ喪明けといった頃のことでございました。
薄い鈍色の喪服をしっとりと身にまとわれた玉鬘の姫君は、いつもと違う色合いにかえってそのご容貌が引き立ち、いっそうはなやかに見えました。仕える女房達も思わず笑みを誘われるところに、夕霧さまが同じく喪服で参上されました。大宮さまに殊の外可愛がられていた夕霧さまですので、さらに色の濃い直衣をお召しになっておられます。この秋の除目にて参議になられたため宰相中将と称され、纓を巻いた冠姿もキリリと優雅にお美しく、まさに前途洋々の若者といった風体でございました。
もとより礼儀正しく誠意を以て「姉君」に接しておられました夕霧さまです。姉弟ではないと判明したからといって急に態度を変えるのもおかしなことと、これまで通りの方式……御簾と几帳越しに、取次ぎ無しでお話する形……で対面されました。夕霧さまはヒカルさまの使者として、内裏からの仰せ事の内容を伝えにいらしたとのことでした。
姫君はおっとりと応えられますが、言葉遣いから態度から、どこにも難がありません。ふんわりした女性らしい柔軟さと打てば響く才気とを兼ね備えた、聡明な方でいらっしゃいます。
夕霧さまは表情を変えないまま仰いました。
「ところで、誰にも聞かせるなというお言葉も承っております。如何いたしましょう」
そう仰られては、お傍に伺候している女房達も下がらざるを得ません。みな几帳の後ろに隠れて顔も横に背けました。私?はい、もちろん移動しましたよ。彼方からは見えませんが、声がはっきり聞こえる場所に。
内容はいかにもヒカルさまが仰いそうな、それらしいことを細々と。例えば、主上の姫君へのご執心が並大抵ではなさそうなのでご注意下さい、など。わざわざ夕霧さまに託すようなこととも思えませんでしたが、玉鬘の姫君は黙って聞いてらっしゃいました。時折そっと溜息をつかれるご様子が何ともなまめかしく、少し心配になったところで、夕霧さまが少し間をおかれて仰いました。
「ご服喪もこの月の内にお脱ぎあそばすことになります。ただ、後半にはよい日がございません。少し早いですが十三日に賀茂の河原へお出であそばされますように、とのことです。私もお伴いたそうと存じております」
「ご一緒すると何かと仰々しくございませんか?人目に立たないほうがよろしいでしょう」
たしかに、喪明けの禊の儀式に夕霧さまを伴われることは、世間にこのややこしい事情を思い出させ、新たな燃料を投下するようなものです。姫君のご配慮は当然のことにございました。が、夕霧さまは気色ばまれます。
「そうやって漏らすまいと隠し立てなさるのが、たいそう情けないのです。私にとって大宮さまは大切なお祖母さま、その形見のような喪服を脱いでしまいますのも忍びませんのに、同じ孫である貴女のお伴を控えよとは。初めは異腹の姉君と言われ、いや違うのだと言われ、いったいどう考えたらいいのか、まったく腑に落ちないのでございます。この、同じ色の喪服を着ることがなかったら、このような気持ちにもならなかったでしょうが……」
「分別を弁えないわたくしにはまして、どういうことなのか筋道も辿れませんが、喪の色は不思議に、あわれを感じさせられるものでございますね」
玉鬘の姫君にしてみれば、お祖母さまといっても面識もなく、ギリギリのところでようやく名乗りを上げ認められた血縁の方に過ぎません。生まれてからずっと母代わりとして馴れ親しんできた夕霧さまとはどうしても温度差があります。とはいえ喪の色はたしかに同じ血筋を物語るものでもある、姫君のご返答はそっけないようで中々的を射た内容で、憂いに満ちたお顔は可憐でお美しゅうございました。
夕霧さまは何を思われたか、持参されたあでやかな蘭の花を御簾の端から差し入れられ、
「これも由ある花です、ご覧になってください」
何の気なしに手に取ろうとした姫君の袖を捕らえました。
「同じ野の露に濡れて萎れている藤袴です
せめて優しい言葉をかけてください」
ついに夕霧さままで……これがいわゆる「道の果てなる」ともいうべき事態なのでしょうか。姫君は内心修羅場でいらしたでしょうが、動揺はみせず、素知らぬ風でそっと御簾から離れつつ、
※東路の道の果てなる常陸帯のかごとばかりも逢ひ見てしがな(古今六帖五二-三三六〇)
「尋ねてみて遙かに遠い野辺の露ならば
薄紫の御縁などただのこじつけでしょう
こうして直に対面してお話する以上の深い因縁がございましょうか?」
見事にかわされました。夕霧さまは苦笑されながらも、意を決したように口を開きました。
「浅くも深くも、きっとご承知にございましょう。まことに畏れ多い筋にお仕えされる方と存じながら、この鎮め難い心の内をどうお知らせしたものか。かえって疎まれてしまってはと強いて押し籠めておりましたのを、『今はた同じ』と思い余って申し上げました。
※侘びぬれば今はた同じ難波なる身を尽くしても逢はむとぞ思ふ(後撰集恋五-九六〇 元良親王)
内大臣のご長男、頭中将のお気持ちは貴女もご存知だったでしょう?あの時どうして他人事だと思っていたのか……その愚かしさ、今では身に沁みてよくわかります。今となってはあちらの方が落ち着いている。実のご姉弟という強い絆を頼みに、すっかり心を静められた。それが羨ましいし、妬ましい。こんな私をせめて哀れとでも、お心に留めてくださいませんか?」
細かい所は聞き洩らしましたが、まあこんな感じです。話すうちにじりじりと後じさる姫君の気配を察してか、
「なんと、冷たい素振りを。私が、過ち事は決して起こさない性格であること、今までの言動からしてご存知でありましょうに」
なおも言い募ろうとした夕霧さまですが、姫君の方はもう限界でした。
「何だか、妙に気分が悪くなってしまって。失礼を」
と仰ってすっかり奥に入ってしまわれました。夕霧さまはいたく嘆かれつつ、退出されました。
参考HP「源氏物語の世界」他
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