行幸 二
ヒカルは以前にもまして極力目立たぬようにと心がけたがそうもいかない。三条宮への移動でも先の行幸に負けず劣らずの威勢であった。加えて、三十七歳にしていよいよ光り輝くばかりの容貌はこの世のものとも思えない。大宮にしてみれば、御簾越しに対面するだけで悪いものが取り去られるようで気持ちも上向き、脇息に寄りかかってはいるもののしゃんとしている。
「おお、起きていらっしゃるのですね。よかった。どこやらの朝臣が早合点して大袈裟に嘆いていたものですから、如何なのだろうかと心配しておりました。私も今は宮仕え者らしくもなく、特別な用向きがない限り出仕せずに籠っておりますので、たまに何かしようとするとマゴマゴしてしまう始末です。もっと年寄りで腰が酷く曲がっていても、元気に歩き回る者は昔も今も少なくありませんのに、元よりぼんやりな性分のものですっかり怠け者になってしまいました」
「態々のお越し、まことに恐縮に存じます。年寄りの病ながら何だかんだと数か月が過ぎ……今年になってからは望みも少ないように思われまして、もうお目にかかりお話しすることも出来ないのではと心細くおりましたが、今再び寿命も延びた心地がいたします。まあ、惜しむほどの年でもございませんが……親しい人に先立たれながら年老いて残っている方をよそ目に見苦しく思っておりましたら、我がことになってしまいました。来世への旅の準備も気がかりですが、夕霧中将がまことに真摯に、どうしてここまでと思うほどお世話してくださるので……何かと引き留められつつ、今まで生き延びております」
大宮は長々と話しながらしまいには声を震わせる。ただ一人の内孫である夕霧を頼りに、残り少ない日々を寂しく過ごす大宮にとっては、時の太政大臣たるヒカルの訪問は嬉しいサプライズで、晴れがましい出来事であった。ヒカルも哀れに思い、しばし昔話につきあう。
「ところで……内大臣は再々此方に参上されておられるのでしょうね?この機会にお会い出来ればどんなに嬉しいことでしょう。実は、是非ともお耳に入れたいことがあるのですが、お互いに中々対面も難しい立場なので困っています」
「わが息子は……公務が忙しいのか、孝心が深くないのかわかりませんが、殆ど見舞いになぞ来ませんよ。仰りたいこととはどのような?夕霧が恨めしく思っていることもございますから、
『事の始めは存じませんが、今となってはあの二人を引き離そうとしたところで、一度立った噂を取り消せるものでもなし、愚かなことでしょう。却って世間が口さがなく取り沙汰しますわよ』
などと言い添えたりもしましたが、昔から一度言いだしたことは後に引かない性格ですから、納得したようには見えませんでしたね」
すっかり夕霧と雲居雁の話だと勘違いしているようだ。ヒカルは笑って、
「今更言っても詮無い事ですし『そろそろ許さなくもない』と仰せだと伺って、私からもそれとなく口添えしたことがありましたが……何やらたいそうお怒りをかってしまったようで。余計な口出しをしてしまったといささか恥じ入っております」
「まあ……あの子ったら。本当にどれだけ強情なのでしょう」
「何事につけても『清め』ということがございます。どうにかして元通りに、きれいさっぱり水に流してくださらないだろうかと思いつつも、ここまで濁り澱んでしまっては、残念ながらいくら待ち受けても深く澄んだ水は出て来にくいものでしょう。後になればなるほどこじれるものですから。困ったことですね」
そろそろ本題に入らねばならない。ヒカルは少し間を置くと、一気に話し出した。
「実は……内大臣が面倒をみるべき人を、手違いで私が引き取ってございます。思いがけない縁で探し出したものの、その時は人違いとも明かしてくれなかったものですから……私には子が少ないもので、あえて深く詮索もせず、間違いであってもかまうものかと大様に構えておりました。何、大して親身なお世話もしていなかったのですけれどね。そのまま年月が過ぎるうち、どこからどうお聞きになったのか、帝から『尚侍にどうか』とのご下命がございまして」
大宮は身を乗り出して聞いている。
「それといいますのも今、内裏には尚侍として宮仕えする者がおりません。内侍所の仕事を取り仕切る者が不在では、女官なども公務を勤めるのに頼り所がなく、事務も滞るようです。現在、帝付きの老齢の典侍二人、その他何人か申し出ておりますが、なかなか適任と申し上げるような方がいらっしゃらない。昔から尚侍といえばやはり、家格も高く世間の声望もあり、かつ生活の心配のない者が就任しております。ただ仕事が出来るかどうかという観点で選ぶのなら、長年の功労によって昇任するという例もございますが、そういった人もいないとなると……広く世に問うて、人望厚き者を選び出そうとの内々の仰せでした。その候補とされた私の娘が内大臣の実子であったとしても、何の差支えがありましょうか」
ヒカルは更に言葉を継ぐ。
「そも宮仕えというものは然るべき筋に沿って、身分の上下に関わらず出仕するが誉れというべきもの。ご下命をいただいて、尚侍として内侍所を司り統べるものにございます。何となく頼りない、軽々しいようなことと女の身には思えるかもしれませんが、どうしてそんなことがありましょうか。ご寵愛の何のという問題もただ自身の心がけ次第で万事決まるもの、と私も心が傾いてまいりました。そこで改めて本人に確と尋ねましたところ、どうも年齢が合わない。これは内大臣がお探しになっていた娘御だ、とその時はっきりわかったのです。どうしたものか、やはりご当人と直接ご相談申し上げなくてはと思いました。何とか内々で対面する機会をもうけ、事情を説明せねばと思いめぐらし手紙を差し上げたところ、大宮さまのご病気を口実に辞退されてしまいまして……なるほど時機が悪かったかと退いていたのですが、お加減もよろしいようですから、急ぎ話を進めようかと存じます。大宮さまからその旨お伝えくださいませ」
「それはそれは……一体どうしたことでございましょうか。息子の方でも、名乗り出て来る者を委細構わず迎え取っているようですが、その方はどういったお考えで貴方さまのところに申し出たのでしょう?内大臣が探しているとの噂を取り違えて、そちらに行かれたということでしょうか?」
「それにも理由がございます。詳しい事情は内大臣ご自身がよくご存じでしょう。何かと面倒な低い身分の女との間によくある話ですから、みだりに明かして世の人に騒がれるまいと、私も夕霧にさえまだ何も知らせておりません。どうか他言無用でお願いいたします」
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「ねえねえ右近ちゃん」
「なあに侍従ちゃん。って途中で乱入久しぶりねえ。ヒカル王子このところ話長すぎない?回りくどいっていうかさ、本題に入るまでどんだけかかってんの。考えてみれば『雨夜の品定め』で長々くっちゃべってたオジサン方と同年代になってきたんだもんね。月日を感じるわあ」
「ぐっ。た、確かにこのところのヒカル王子って……いいじゃん、中身はギッチリ詰まってるんだし大人の語りってやつよ!見た目はまだ二十代、は言いすぎかな……いやまあギリ後半いける!うん!」
「見た目はむしろ若い頃よりイイわよ私的には。で、どしたの?」
「あのさあのさ、王子が夕霧くんと雲居雁姫の件で内大臣に口添え、なんてエピソードあったっけ???全然覚えがないんだけど」
「あー、それね。多分だけどアレよ、ほら『常夏』で釣殿BBQ@六条院してたじゃない?内大臣のご子息たちも途中から来てさ」
「うん、何か面白い話なーい?って言っても何も出なくて、結局王子が弁の少将に近江の君の話を振って」
「そうそう。で、聞いて笑ってた夕霧くんに『どうせ内大臣のお覚えもめでたくないんだから、その子拾ってやったら?曲がりなりにも姉妹なんだしさ(笑)』って吹っ掛けたじゃん。アレが『口添え』の中身よ」
「へ?」
「ご子息たちの前でそれを言ったのがポイント。君らの父君さ、自分の娘とウチの夕霧の恋路を『ガキの癖に許さん!』ってぶった切ったわけだけど、ご自分はどうなのかね?まさに若気の至りの結果が近江の君でしょ?何なら姉妹もろともコッチで引き取ってあげなくもないよ?って強烈にカウンター返したと」
「ヒエー!深読みしすぎじゃないそれ!っていうか、そもそも全然『口添え』じゃなーい!」
「内大臣にどう伝えたかどうかはわからないけど、匂わせるレベルでも絶対に怒り狂うキッツイジョークよね。でも物は言いよう。いやーそんなつもりなかったんだけどねー怒らせちゃった、自分が悪いんですよ余計なことしたからショボン、みたいな、上手にへりくだった言い方で完全に内大臣を悪者にして、大宮さまを一気に味方につけた、と」
「す、すごい……さすがは王子。人タラシにかけては右に出るものがいない……やっぱり永遠のいち推しだわ」
「大宮さまにとっては会ったこともないポっと出の外孫より、亡き娘の忘れ形見で手塩にかけて育てた内孫の夕霧くんの方が百万倍大事だからね。これで王子もぐっとメインの話がしやすくなった」
「そっか、これから内大臣も三条宮に来るんだもんね。プライベートで顔合わせるのってひっさびさじゃないのもしかして。イケオジ二人の秘密会談……ワクワクしちゃうわあ」
「なるほど侍従ちゃん、やっとオジサンってことを認めたわけね(笑)」
「あ!しまった!つい!でもいいの、ヒカル王子が永遠の推しであることに変わりなし!」
「ファンの鑑ね~」
参考HP「源氏物語の世界」他
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