蛍 二
こんにちは……宰相の君と申します。語るなんて初めてで本当に緊張しますが、というより六条院に来てからというもの緊張しっぱなしですが、どうぞよろしくお願いいたします。
呼び名の通り、私の父は宰相として宮仕えしていました。私ですか?いえいえいえ、ぜんっぜん何の経験もなくて……内裏?とんでもない。親が亡くなった後は都の片隅で細々と暮らしてただけなので、六条院にお仕えするなんてビッグなお話がよくぞ届いたものよと、ただただ驚くばかりでした。というか、驚きっぱなしです今でも、ぜんぶに。
玉鬘の姫君はすっごくキレイでお品もあって、なのに少しも偉ぶったりせず、私のような気の利かない不慣れな女房にもお優しいんです。筑紫に長くいらしたとのことですが、どうやったらあんな風にご成長されるのか……私と僅かながらでも血が繋がってるっていうのが信じられません。ずっと都で育った私の方がよほど世間知らずで田舎びていると思います、ええ。
ヒカル大臣、ですか?それはもう、私なぞお傍に上がるのも畏れ多いほどの方で。いいえ、気さくにお声がけくださいますし、とっても良くしていただいてますよ?ただ、今回の兵部卿宮の件は困っちゃいましたね……はい、昨夜初めて姫君をご訪問されたんです。
大臣自ら隅から隅までお気を配られ、空薫物の組み合わせ、たきしめ方やタイミングまであれやこれやと世話を焼かれて、細かすぎて正直ウザ……いえ、大変でした。何でしょう、普通男親ってあそこまで干渉するものですか?姫君とは長い事離れて暮らしてらしたから可愛くて仕方ないのかもしれませんが、どっちかというと宮さまとの逢瀬を覗き見したい!って感じが強かった、かもしれません。
兵部卿宮さまはすこーしだけ開けた妻戸から、廂の間に入られました。敷物の前には几帳が隔てとして置いてあります。とりあえずそこに座られたのはいいんですけど、何をどうしていいのかがサッパリわかんなかったんですよ私。こんなお取次ぎとか、全然やったことないし、見たことすらないですもん……。
「何やってんの。さっさとコメント取りにいって姫君にお知らせするんだよ。早く!」
ってヒカルさまには急かされたものの、え?だって何も仰ってないですよ?私が何か聞くの?えええ?ってもじもじマゴマゴしてたら、いきなりきゅっとほっぺたつねられちゃって。ひどくないですか?!現代ならパワハラですよね?!でも、そのお手がすーべすべでなめらかで、ちょっとキュンとしちゃいました。オーラやばかったです、ハイ。
仕方がないのでとりあえず姫君の所に行って、兵部卿宮さまがおいでですーって申し上げました。そんなこと言われてもああそう、くらいしか返事ないですよね。で、そのまま戻って今度は宮さまに、姫君にお越しをお知らせしましたーって……こうやってイチイチ書くとますますバカっぽいですね……いやんなっちゃう。
元々曇りがちな空模様でしたから、夕暮れを過ぎるとすぐに暗くなっていきました。そんな中で物思わし気に座ってらっしゃる宮さまは、どことなくヒカルさまにも似てらして(腹違いのごきょうだいですもんね)やはり雅やか、まさに匂い立つという風情でしたね。ヒカルさまがあれだけ空薫物に凝られたのもわかります。宮さま自身の薫りも相まって、格別な雰囲気を醸し出しておりました。
それからやっと、思いのたけを口に出して仰ったんですが、それがまあ何といいますか、すっごい遠回しなんですけど落ち着いてて、イイ感じだったんですね。それで東面にいらっしゃる姫君にお伝えすべくいざり入っていったんですけど、いつのまにかヒカルさまが後からついてらして、
「姫君、あまりにも暑苦しいご対応ぶりじゃないですか?何事も、その場の雰囲気に応じて振る舞うのがよろしい。そこまで子供っぽくしていいお年頃でもないでしょ?宮さまほどのご身分の方を、余所余所しい取次ぎばかりで話すのはどうかと思うよ。返事を渋るにせよ、せめてもう少し近くにいかないと」
なんて小声でお説教ですよ。仕方がないので、姫君も母屋との境にある御几帳の辺りに移動されたんですね。宮さまもその気配に気づかれたようで、宮さまの目の前にある羅の帷子があるかなきかに揺れました。姫君ははかばかしいお返事を差し上げるでもなく躊躇っておられます。
ヒカルさまが姫君の傍らで御几帳の帷子を一枚上げられました。次の瞬間、辺りがパッと光りました。
初めは紙燭?と思いました。それぐらい急に明るくなったんです。
……蛍。蛍です。
一匹や二匹ではございません、大量の蛍が部屋の中を飛び交います。
眩しさに驚いて姫君は扇をかざしました。そのシルエットが、たった一枚の布越しにくっきりと浮かび上がります。宮さまのいらっしゃるところからは柱一間の距離、キレイに見渡せたと思います。
その時の、兵部卿宮さまのお顔!
人が恋に落ちた瞬間を、初めて見ました。(どっかで聞いたフレーズ)
すぐに帷子を下ろし、蛍も大半を捕まえて、元の暗闇に戻りました。時間にして一分もなかったでしょうね、ほんの束の間でした。それでも……いえ、だからこそ!宮さまのハートを掴むには十分な趣向であったのです。
「鳴く声も聞こえぬ蛍の火でさえ
人が消そうとして消えるものでしょうか
私のこの消えない思いを知って戴けましたか?」
宮さまからの熱いお歌に、姫君はいつになく素早く返されました。
「声は出さずひたすら身を焦がす蛍こそ
口で言うより勝る思いでいるのでは?」
割とキッツイひと刺しでしたね。よく知りませんけど、こういうのって最初はつれなく返すっていうのがお約束みたいです。玉鬘の姫君は見事に定石に沿われたという体で、そのまま返事も待たれず奥に引っ込まれてしまいました。突き放された宮さまは、型通りの恨み言を述べられながら、軒の雫に濡れつつしょんぼり帰られました。夜鳴くというほととぎすの声もきっとお耳には入らなかったでしょう。
※五月雨に物思ひ居ればほととぎす夜深く鳴きていづち行くらむ(古今集夏-一五三 紀友則)
それにしても、ヒカル大臣は何と言いますか、マメ?愛娘のために完璧にお膳立てするばかりか、よさげな殿方のお気持ちを確実に引き寄せるようなパフォーマンスまでやってのけられるとは。いくら父親でもここまでされる方は滅多にいらっしゃらないですよね?いやホント、凄いです。でも私がもし娘だったら、こんなパパはちょっと嫌かな。あっ、内緒ですよ!
え、もう終り?あれ案外はやーい。何だかあっという間で、ホッとしましたー。宰相の君、でした!ではではまた!
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「と、いうわけよ侍従ちゃん」
「なるほどー。右近ちゃんも大変だね、新人女房さんの研修まで」
「いやまあ……別に何も教えてないけど、行きがかり上ね。さすがにメインは春の町だから、恋文のやり取りまで私がやるわけにいかないし」
「つか玉鬘ちゃん、案外イマドキの女子って感じでイイね!兵部卿宮さま相手にシッカリやり取りしてんじゃん!」
「そうそう。案外さばけてるというか、賢いのよね。まったく物怖じしない。ますます王子の好みよね。ちょっと秋好中宮さまの感じにも似てる」
「た、確かに。でもさすがに自分の息子のお后だし、自分が入内させて中宮にまで昇らせたも同然だし、何より生真面目子ちゃんだから冗談にでも口説こうもんなら、マジでシャレになんないよね。ハア?って氷点下の冷たい目で一瞥されそう」
「だから玉鬘ちゃんに執着するんだろうね。外向きには娘、その実恋人にもなり得る他人、って微妙な関係性を楽しんでる。初めから内大臣に引き取られてたら、多分言い寄らない、っていうかできない、太政大臣って立場じゃ」
「そらそうよ。それこそいい年して何やってんのプッ、ってかんじで内大臣に揶揄われるよー。絶対ここぞとばかりにドヤ顔で意地悪言いそう。目に浮かぶー」
「何しろ危なっかしいわねえ。さすがに本気で恋人にするつもりはないだろうけど、引き続き警戒ね。……あ、そうそう明日のお休みなんだけど侍従ちゃん暇?」
「えっ暇よ?何何?」
「六条院の馬場御殿あたりで競べ弓やるらしいよ。女子は見物していいみたいだから、少納言さんにも誘われてたの。で、ついでに女子会」
「もっちろん!行く行く!キャッホウ初めての六条院!」
参考HP「源氏物語の世界」他
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