蛍 一
玉鬘への恋心が一気に噴出したヒカルだが、そうはいっても太政大臣という重い立場であり、外向けには「物静かで落ち着いた人格者」の仮面を外すことはない。六条院をはじめ各所で庇護された者たちは総じて、不満も不自由もなく暮らしている。
ただ玉鬘の姫君だけが困りはてている。
(この状況、どうしてもあの大夫監と重なってしまう……身分も容貌も立ち居振る舞いも、全てがまったく比べ物にもならないし、嫌悪感も危機感ももっと強かったけれど……ヒカルさまはヒカルさまでやりようが酷くない?)
(表向きは完全に『娘』扱いだから、誰もが露ほども疑わない。こんな立派なお邸にお部屋をいただいて、周りの方もよくしてくださって、何の文句があろうかと……感謝しかないでしょうと。その圧に何も言えなくなる)
(ああ、お母様が生きていてくださったら。そうしたらヒカルさまだって、わたくしにこのような邪な気持ちを抱かれることもなかったでしょうに)
ヒカルは相変わらず頻繁に夏の町に渡って来る。一度気持ちを露わにしてしまったことで、人前で怪しまれるような物言いはなくなったが、女房達が離れてすこし緩んだ時など狙って口説いてくる。厄介きわまりない。
(とはいえ大騒ぎしたり強く撥ねつけたりすれば周りに全部知られてしまうし、ヒカルさまの顔も潰す。ここにいられなくなる。わたくしだけではなく皆が)
(何を言われても、すべて冗談と受け止めた振りをしてかわし続けよう。それしかない)
元より明朗で人好きのする姫君なので、傍からは仲睦まじく戯れる父子にしか見えないのだった。
一方、兵部卿宮は至って真剣である。
「もう五月雨の頃だというのにまったく何の進展もない。せめてもう少しだけお傍近くに上がることをお許しいただければ……私のこの思いを些かなりとも晴らせるのに……!」
などという嘆きがヒカルの耳にも届いた。
「いったい何を遠慮してるの?この宮はおススメだって言ったよね。きっと、口説き文句も雅やかで見所があるよ?とにかく無視はダメ!時々でいいからお返事は出しなさい」
とうるさく促すのでウザイことこの上ない。姫君はますます嫌になり
「気分が悪うございます」
と筆を取ろうともしない。
西の対付きの女房たちは九条の町中で急きょ集めた者が殆どで、それなりの貴族で嗜みのある女房はただ一人、夕顔の叔父の娘「宰相の君」だけである。まあまあの筆跡で比較的心得もあるので、この女房に口述で書かせることとした。
姫君本人はヒカルの気持ちを知らされてからというもの、むしろ宮からの情愛の籠ったお手紙をじっくり読むようになった。特に気持ちが傾いたわけではないが、
(もしかしたら、この辛い状況から抜け出すよすがとなるかも)
と一縷の望みをかけてもいる。
兵部卿宮はそんな姫君の真意も知らず、返事が来たことに小躍りしつつ、こっそりと六条院にやってきた。
参考HP「源氏物語の世界」他
コメント
コメントを投稿