おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

胡蝶 五

2020年10月16日  2022年6月9日 

 


「ねえねえ右近ちゃん!」

「なあに侍従ちゃん、慌てて」

「こ、これが慌てずにいられますかって!ナニコレ!もう既にやばみ全開じゃん!」

「そうなんですよ……」

「はっ!少納言さんいつのまにっ」

「さっきからいらしてるわよ、侍従ちゃんがちょい席外してる間に」

 はーっと溜息をつく少納言。

「……とりまお茶入れてきまーす!」

 バタバタ用意に走る侍従。

右「お疲れさまね少納言さん。悩みが尽きないわね」

少「いえ、ウチの方は私以外に知ってる人いませんから、漏れる心配はないのでそこは気楽なんです。玉鬘の姫君にお仕えしてる右近さんこそ大変でしょう」

右「いやまあ、あちらの右近さんは私自身てわけじゃないから。別人格だから。メインは紫上だし」

侍「お待たせ―!今日はあじさい餅でーす!」

少「ありがとうございます。いつもいつもすみません」

右「いいのよー、六条院イベント続きだったもんね。ここでぐらいゆっくりしてって」

侍「そうそう!愛と癒しのサロン、右近と侍従の部屋!」

右「なんかアヤシイ響き。石とか壺とか売りつけられそう。ま、それはいいとして少納言さん、お話どぞー」


 はい、では……。

 ヒカルさまは、玉鬘の姫君が世の男性の注目の的になり、すっかり有頂天になっておられます。紫上にも、

「不思議に人の心を惹きつける人柄なんだよね。亡き母君はそこまで打てば響く感じはなかったな。あの姫君は物の道理もよく弁えたうえに人懐こいところもあって、完璧だよ!」

 などと手放しで褒めちぎられるんです。しかもしょっちゅう。

「そこまで分別がおありの姫君なら、貴方にすっかり気を許してご信頼しきっているのもお気の毒ですわね」

「エッ、どういうこと?!なんで私が信頼できないなどと。父親だよ?」

「さあ、どうなのかしら。わたくしも堪えきれずに悩んだ折々がございましたから、何となくあの時の貴方のご様子に似ているような気も、なきにしもあらずと

 微笑んでそう仰って。


侍「うわあー紫ちゃんてば……」

右「洞察力ヤバいわね……」


 ええ、ヒカルさまも図星を突かれたんでしょうね。そうとう動揺してらしたと思うんですが、そこはすぐ持ち直して、

「だからー、そういうのやめてくんない?気の回し過ぎ!そんなわけないじゃん娘なのに!」

 とはいいつつ、お渡りになるのはやめられないんですよね。それも結構夜更けてまで長居なさってる。正直、危ないなと思ってます。


侍「右近ちゃん……何とか止めないと」

右「いや私に言われても。別人格だし。まあ努力してはみるけど(どうやって)」


 というわけで、右近でございます(別ですよ、別)。

 仰る通り、このところお二人の距離が近すぎて案じております。実の父娘としてみても違和感ありますね。まあ、十何年も離れていたからってことになってますけれども。

 少し降っていた雨が止んで、湿気を含んだ空気が庭先の若い楓や柏木の緑を鮮やかに際立たせ、空もすっきりして気持ちの良い夕暮れのことでした。

「和してまた清し」

 と白氏文集の一節を口ずさみつつ、いつものようにヒカルさまが夏の町にお渡りになりました。

 玉鬘の姫君は手習いなどされながらくつろいでいらしたところで、慌てて居ずまいを正されました。少しお顔を赤くされた、そのあどけなく柔らかな物腰は夕顔のお方さまそのままに見えました。ヒカルさまも同じように思われたのでしょう、

「初めてお会いした時には、それほど亡き母君に似てらっしゃるとは思わなかったのに、不思議だね。時々本当に間違えそうになる。今もそうだ。切ないね。息子の夕霧の中将が少しも母親の美しさを継いでいないものだから、親子とは似るものとも限らないと思っていたんだけどね。やはり、血というものはあるんだね」

 涙ぐまれながら仰いました。箱の蓋に置いた果物の、橘の実をいじりながら、

「橘の薫りし袖になぞらえると

 とても別の人とは思えない

 世が移り変わっても忘れられなかった。ずっと心にかかったまま、慰むものもなく長年過してきた。こうして貴女をお世話出来るとは夢かとばかり……夢ではない、現身だという実感がほしい」

 すっ、と手を握られました。

 姫君、よく大声を出さずに堪えられたと思います。顔色こそ変わりましたが落ち着いた表情で、

「袖の香になぞらえていただくと

 私の身までが同じようにはかなくなってしまうかもしれません……!」

 一気に詠んでうつ伏してしまわれました。ヒカルさまは手をとったまま、さらに近くに身を寄せられます。もう、父と娘どころではありません。はっきり男女です。姫君はもう全身震え出してしまわれました。

「なぜそんなにお厭いになる?私は今まで心を押し隠して、誰にも咎め立てされないように気をつけてきた。貴女もそうすればいい。元より浅くはない私の心に、なお新たな思いが加わりそうで……こんなことは初めてだ」

 姫君の震えは一向に止まりません。

「私を、懸想文を寄越す男たちより軽く扱うということ?私ほど深く貴女を愛する人は、この世にはいないはず。心配でたまらないよ」

 親への愛情と、殿方へのそれとはまったく違いますからね。何と言いますか……比較しようのない、すべきでないものを並べて罪悪感を持たせ手を握ることを正当化しようなどと、実に都合のいい親心にございますこと。


少「ああ、やはり。とんでもないことですわね(怒)」

侍「右近ちゃん……本音が出てる出てる!」


 あら、ごめんなさい。つい。

 雨はすっかり上がり、風が竹林を吹き抜けていきます。月の光が眩しいほどに照らし出す、美しい夜にございました。女房達はお二人の仲睦まじい語らいに遠慮して、近くには誰もおりません(潜んでる私以外は)。

 滅多にないこの機会、逃すヒカルさまではございません。衣擦れの音も上手に誤魔化しつつ上衣を脱いで、うつぶせのままの姫君に添い寝です。

(誰かに見られたら何としよう。実の親なら、冷たく見放されることはあっても、こんなこと絶対にない。どうしよう、どうしたらいいの……?)

 あまりの困惑と焦燥と絶望とで、姫君はとうとう泣き出してしまいました。それでも声は一切出さず、ただ涙をぽろぽろと零されます。私はどうやってお助けしようかとタイミングをはかっておりましたが、思わず飛び出したくなるほどに不憫でした。

「そんなに嫌がられちゃうと辛いなあ。恋愛というのは、お互い住まいも別で顔も見たことがなくても全てを任せるものなのに。同じ邸に住んで、長く一緒に過してきたんだから、この程度のこと普通でしょ。心配しなくてもこれ以上は何もしないよ。ただ堪えきれない思いのたけを晴らすだけのこと」

 優しい声で諭すように仰っておられましたが、これ、何処かで見たような光景ですわね。


少「ええ本当に。そっくりそのまま、紫上がまだ若紫と呼ばれていらした頃、三日夜の餅を惟光さんに頼まれた時のヒカルさまですね……」

侍「右近ちゃん早く助けてあげてえ泣」


 そこに、一陣の風がさっと吹き抜けました。御簾がまくれ上がるほどではありませんでしたが、違う人の香りがしたのでしょう。ヒカルさまは小さく溜息をつくと、

「急にこんなこと言い出してびっくりさせちゃったね。ごめんね」

 姫君の手を放し、起き上がられました。

「どうか嫌わないで?他の男ならこれじゃ済まないよ。私の愛は限りなく底が深いから、他人が変に思うようなことは決してしない。ただ昔の思い出を……貴女の亡き母君を恋うる心の慰めに、些細なことでもお話したいだけなんだ。わかってもらえるかな」

 穏やかで情愛のこもった言葉ではありました。普通の女なら思わずほだされてしまうような。けれど姫君は我を失ったようなご様子で、とても口をきくどころではありません。

「それほどまでに予想外だったんだね。少しは通じているのかと思っていたのに。ここまで疎まれるのはキツイなあ」

 と嘆くふりをなさって、

「ゆめゆめ、誰にも気取られないようにね」

 と言い残されてお帰りになられました。


侍「……えっと、一応ナニも無かったってことでいいのかな?」

少「だと、思います。いくら女房さんたちが遠巻きにしてるっていっても、壁はないですからね……真夜中というわけでもないし、さすがに気づきます。にしても、玉鬘の姫君の反応が心配ですね。相当ショックを受けられてるみたい」


 そう、姫君は年齢こそもう二十歳を過ぎておられますが、まったく男女の仲というものをご存じありません。普通は、女房の惚れたはれたの片鱗でも見聞きして、何とはなしにこういうものだとおわかりになるものですが、長く年寄りばかりと暮らし、色めいたことはとにかく触れさせないように周りが固めていましたので……男性と体が触れるほど接近されたことも生まれて初めてのことで、それ以上のことはまして思いもよりません。

「わたくしという者は……想定外のことばかり起こる人生なのかしら」

 と呟かれると、極度の緊張状態から解放された姫君は腑抜けのようになってしまわれました。


侍「右近ちゃん、実は見てました!とか言っちゃう……わけにもいかないか。何で助けてくれなかったのってなるよね」

少「女房の立場だと難しいですね、相手はトップですし。あからさまに止めたり邪魔したりすれば、下手をするとお傍付きを外されちゃうかもしれない……姫君ご自身がこの調子で抵抗されれば、サポートは出来ると思いますが」


 幸いにして、と申し上げた方がいいのかどうかわかりませんが、女房たちは皆「ヒカル大臣は姫君のご不調を気遣って早めに帰られた」と思いこんだようです。乳母の娘の兵部の君が感激のあまり、

「殿のお心遣いの、何と勿体なくも行き届いていることか。実の父君であってもこれほどまで完璧に、至れり尽くせりでお世話なさることはありますまい」

 などとしたり顔に耳打ちしたりして、姫君はなおさら気分を悪くされたのでしょう。その日はそのまま寝込んでしまわれました。


 翌朝、ヒカルさまからお手紙が早々に届きました。姫君は見向きもせず臥せっておられましたが、女房たちが硯を差し上げて「早くお返事を!」と催促するものですから、渋々起き上がってご覧になりました。白い紙に、表面上はごく生真面目な感じで見目良く書かれておりました。

「たぐいなきご様子が、つらくもあり忘れがたくもあり。女房達はどう思ったでしょうか。

 『うちとけて寝も見ぬものを若草の』

 どうして事があったかのような顔で思い悩まれているのか

 子供っぽいお振舞いですよ」

 父親ぶった書きぶりが癪に障ったのか、表情こそ変わりませんでしたが、急にしゃんとなさって、

「お返事を書かねばなりませんね。書きます」

 と一言仰って、厚ぼったい陸奥紙を選び一気に書き上げられました。

「頂戴いたしました。気分が悪うございますので、お返事は失礼いたします」

 とだけ。


少「ああ!そういえば、陸奥紙のお文覚えがあります!『なるほど、こう来たか。さすがにしっかりしたものだ。やる気出るわ』ってニヤニヤされてましたね」

侍「玉鬘ちゃんつよい!なるほど、同じ色気のない紙でもこういう使い方あるのねん。常陸宮のお方さまとは一味も二味も違うわ(げっそり)」


 それで挫けるようなヒカルさまではございません。隠し通していた気持ちをいったん吐き出しておしまいになった後は「太田の松の」ようにそれとなく匂わせるというのではなく、はっきり姫君を女として求めていると意思表示なさることが多くなりました。姫君はますます身の置き所がなくなり、どうしてよいかわからず、本当に気を病んでしまわれそうに思い悩んでおられます。

※恋ひわびぬ太田の松のおほかたは色に出でてや逢はむといはまし(躬恒集-三五八)

 真相を知る知らないに関わらず、殆どの者がみなお二人をまったく実の親子のように思っていて露ほども疑わないので、誰にも相談などできるはずもありません。


侍「確かにねー。ちょっとでもあの二人アヤシイ?ってなったら早いからね。実の娘じゃないって話も光の速さでバレて広がって、結局養女じゃなく愛人なんじゃん最初からって確定事項になっちゃうのは見えてるもんね」

少「そんなことになったら姫君、六条院の中で一気にお立場が悪くなりますよ……紫上にも、花散里の上にも、他の女房達にもどう思われるか。まして父君の内大臣のお耳に入ったら……ああ、考えるだけで私まで頭痛が……」


 一方、兵部卿宮さまと鬚黒右大将のお二人は、ヒカルさまのご意向が満更でもないと伝え聞かれて、なお熱心にお手紙を遣わされます。例の「岩漏る」のお文を出された内大臣の御子息も、ヒカルさまに期待の若手として認められていると小耳に挟まれたのでしょう、一途にお喜びになり、何かと六条院周辺をうろうろなさっています。真相を何も知らぬまま……まことに、お人の悪いなさりようでいらっしゃいますこと。


侍「最後にコッチの右近ちゃんキター!って、もう同一人物じゃん(笑)」

少「困りましたわねえ……いつまでも体調不良を通すわけにも、お渡りを禁止するわけにもいかないし、なるべく二人きりは避けるにしても人払いされちゃったら女房は離れるしかない。気づかれないよう近くに控えて、時々気配を醸し出す、くらいですか取り得る対策としては。とりあえず私も噂には気をつけて、それとなく火消しはしようと思いますが……厄介ですわね」

右「まあ収まるところに収まるしかないわね。多分だけど、王子は本当に自分の女にしたいとまでは思ってないのかもしれない。そうなったら面倒なのは見えてるから。ただ若くておぼこいモッテモテの娘を独占して、普通ならありえない距離感で接する自分に浮かれてる。自宅で出来るお手軽恋愛!って感じ?それはそれでタチ悪い気もするけどね」

侍「嵐の予感……じゃなく嵐の渦中」

少「真っ只中ですわね……」

参考HP「源氏物語の世界」他

<蛍 一 につづく 

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