胡蝶 三
楽舟の宴が明けた今日は、秋好中宮による「季の読経」の初日である。宴の客の多くはそのまま泊り、昼用の装束に着替えた。楽人たちは秋の町に移動させ、中門廊の一角を楽屋代わりに床几を置いて控えさせた。
午の刻(昼十二時前後)頃に、全員秋の町に参集しずらりと席に着いた。中廊を六条院の主にして太政大臣ヒカルが威信をかけたこの法会、盛大にして荘厳な雰囲気である。
春の御殿からは紫上の志として仏花が供えられる。鳥と蝶に装束を着分けた童子八人は年回りも体格も同じくらい、顔つきまで揃って美しい。天竺渡来の鳥の舞「迦陵頻」姿の童子は銀の花瓶に桜をさし、高麗楽「胡蝶」姿の童子は金の瓶に山吹をさして捧げ持つ。どちらも房がふっくらして、特に色つやのよいのばかりを選り分けた。
舟は南の山際から漕ぎ出して秋の町に向かう。風に吹かれて瓶の桜が少し散る。うららかに晴れた空の下、花霞の間から現れ出た舟の姿に秋の町からため息が漏れる。
童子たちが舟を下り寝殿前の庭を歩く。階の下にて花を捧げ奉り、行香の人々が取り次いで閼伽棚に供える。
秋好中宮への手紙は夕霧の中将が携えた。「春の主」紫上からの返しである。
「花園に遊ぶ胡蝶をご覧になりまして?
下草に隠れて秋を待つばかりの松虫はそれをつまらないと思いますの?」
中宮は「以前の、紅葉の歌へのお返しね」と微笑む。昨日遊覧を楽しんだ女房達も
「まことに、盛りの春には文句のつけようがありません」
と口々に褒めそやす。
鶯ののどかな声にまじって「鳥楽」がはなやかに響き渡る。そこはかとなく唱和する水鳥の囀りの中、童子たちが舞い踊る。続く「蝶楽」では、背に蝶の羽をつけた童子たちが咲きこぼれる山吹の籬の蔭から飛び出して、花びらとともにひらひらと舞う。
舞楽が果てると、中宮より禄が下される。鳥の童子には桜の細長、蝶の童子には山吹襲の細長。予め承知していたかのような見事な下賜である。楽師たちには、白のひと襲、巻絹などを身分に応じて。夕霧の中将には藤襲の細長に添え女装束一領を与える。
春の町への中宮の返しは
「昨日はお伺いできない悔しさに、声を上げて泣いてしまいそうでしたわ。
胡蝶につい誘われてしまいそうでした
八重山吹の隔てがなければ」
とあった。六条院に居を構えて以来の春秋対決は、春の町へと軍配が上がった形である。とはいえそれで関係が悪くなるということではなく、あくまでちょっとしたお遊びで競い合い、交流を深めているのである。
他の町同士でも手紙のやりとりは絶えず、みな何の屈託もなく平和に過ごしていた。
参考HP「源氏物語の世界」他
コメント
コメントを投稿