おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

乙女 九

2020年9月6日  2022年6月9日 

 


 昨年は行事などみな停止されていたが、今年は十一月の「五節」を催すこととなった。物寂しく沈んでいた諒闇の年を脱し、殿上人たちも常より気合を入れてかかるに違いなく、どこの家々も麗々しく競って用意をしているとの噂である。

 二条東院では、参内の夜の付き人の装束を準備する。ヒカルが全体の差配を受け持ち、中宮からも童女や下仕えの人々へと並大抵でない料が下賜された。

 五節の舞姫は四名、公卿と殿上人より各々二名ずつ出す。今上帝からは特に、

「舞姫たちはそのまま宮中に留め置くように」

との仰せもあり、年頃の娘を持ち宮仕えの道を探るものにとっては千載一遇の機会ともなった。

 殿上人からは、内大臣の異母兄である左衛門督の娘と、ヒカルの側近である良清……今は近江守兼左中弁……の娘。公卿からは、雲居雁の姫君の継父である按察使大納言の娘、もう一人はヒカルの所から出すことになっていたが、一人娘の明石の姫君はまだ五歳である。そこで、美人と評判の惟光朝臣の娘に白羽の矢を立てた。惟光は現在摂津守で左京大夫を兼官している。

「えっ……そんな大それた役割、ウチの娘が果たせるでしょうか。分不相応じゃないですか?」

 愛娘が心配な惟光は渋る。

「按察使大納言だって妾腹の娘御なんだよ?惟光の大事な大事な実の娘を差し出したところで、不都合なことなんか何もない。頼むよ」

「うーん……」

「何だよ。何が不満?」

「いや、不満というのではなくてですね、その……帝が仰ったじゃないですか、そのまま宮中に残せって。アレどういう意味なんですかね?后にするってことなんです?」

「后にしたいの?」

「いやいやいや!滅相も無い!そうじゃなくてあの、普通の宮仕えっていうか」

「ああなるほど。じゃあ、よさげなポスト見繕って宮仕えさせてあげればいいわけね?了解。というわけで、舞姫ヨロ☆」

「はい……」

 半分ムリヤリではあるものの、最後の一人は惟光朝臣の娘に決まった。


 舞の稽古は二条院でみっちりと行った。介添え役など身近で面倒をみる女房も丹念に選び出して、その日の夕方二条院に集めた。

 二条院・二条東院にいる女君たちそれぞれに仕える者の中から、見目良く優れた童女や下仕えをも選り抜く。中でも、舞姫に従って帝の御前を歩く役割の童女を選定するため、本番同様に歩かせてみようということになった。

 どの童女もみなそつなくやり遂げ、容姿や立ち居振る舞いなども優劣つけがたい。

「うーん困ったな。とても選べない。もう一人分の舞姫の料をこちらから差し上げたいくらいだよ」

 ヒカルは苦笑しながらも、態度や心構えの僅かな違いをみて何とか決めた。


 冠者の君……二条院では大学の君、と呼ばれている……は、ただただ胸がいっぱいで食事も喉を通らず、酷く塞ぎ込んで、漢籍も読まずに無為な時間を過していた。

 五節の準備で賑やかな二条院内に、すこしは心も慰められようかと、部屋を出て人目に立たないようぶらぶらと歩き回る。その姿形はこの上なく美しく、上品で落ち着いているので、若い女房などはみな目を奪われている。

 大学の君は、普段紫上のいる西の対には近寄ることを許されず、女房なども殆ど知らない。が、今日は準備などでバタバタしていて全体が手薄になっており、ふっと入りこめてしまった。

 妻戸の間に屏風を立て込んだだけの仮普請に人の気配を感じ、そっと近寄って覗いてみると、舞姫その人が疲れた顔で物に寄り臥していた。

(雲居雁の姫君と年は同じくらい?背はもう少し高いか。スラっとしてて、綺麗な子だな……暗くてあんまり見えないのが残念。でも、似てるよね……)

 大学の君も男である。心が移ったというほどでもないが、もっと見たい気持ちを抑えかねて、舞姫の衣の裾をそっと引く。

 思いもかけない方向からの衣擦れの音に、舞姫は驚き、不審がっていると、

「天にまします豊岡姫の宮人も

私の心ざすしめを忘れるな

『乙女子が袖振る山の端垣の』以前から思いをかけていました」

 突然に歌を詠みかけられた。

※みてぐらは我がにはあらず天にます豊岡姫の宮のみてぐら(拾遺集神祇-五七九)

※乙女子が袖振る山の瑞垣の久しき世より思ひそめてき(拾遺集雑恋-一二一〇 柿本人麿)

 若々しく美しい声だが、舞姫にはどこの誰なのかわからない。薄気味悪く思い、声も出せず固まっていると、

「姫、いらっしゃいますか?お化粧直しますね!」

 と、女房達が大声で近づいてきた。大学の君は後ろ髪を引かれながらも、名のることなく立ち去った。

 大学の君はとにかく浅葱色が嫌でたまらず、内裏へ出仕するのを億劫がっていた。それが五節だからと、直衣なども特別に色を許されての参内となった。まだ幼さの残る美少年は、一気に大人らしく意気揚々と歩く。帝をはじめ、参上した先々で丁重に扱われるさまは並大抵でない。ただ着ている服の色が違うだけで、世にも不思議なもてはやされぶりである。

 五節の舞姫たちが参内する儀式は、いずれ劣らぬ舞い姿でそれぞれに素晴らしかったが、

「特に、ヒカル大臣と按察使大納言のところの二人は美しい!」

 ともっぱらの評判であった。さらに二人を比べると、あどけなく可憐なさまは惟光の娘が勝っている。今めいた化粧をし贅を尽くした衣裳を着せ、誰の娘なのかわからないくらい飾り立てたことで、かえってその美点が引き立ったようだ。例年の舞姫よりは皆少しずつ大人びた雰囲気で、なるほど特別な歳と思われた。

 ヒカルも宮中に参内して五節の舞を観た。遠い日に目を留めた少女の姿に思いをはせ、辰の日の暮れ方に手紙を遣わす。

「往年の乙女子も今は神さびたか

天の羽衣をまとって舞っていた君をみていた、昔の友も年月を経たので」

 積もった年月を数え、こみ上げる懐かしさと切なさに背中を押されて出した手紙に、胸ときめかせるかつての舞姫の心もまた、はかないことである。

「五節で舞った日々がまるで今日のことのように蘇ります

 日陰の霜が袖の上で溶けるように」

 青摺りの紙に合わせ、誰の筆跡かわからないように書いてある。濃く薄く、草体を多くまじえているのも、あの身分にしては出来過ぎなくらいだ、と感心して眺める。


 冠者の君も、あの舞姫の少女に人知れず思いをかけ歩き回るが、近づくことすら出来ず、女房に当たりをつけることもなく、無関心を装っている。何かと恥ずかしい年頃であり、どう動けばいいのか皆目見当がつかないのだ。ただ少女の美しさは胸に焼き付いていて、何とか手に入れられないものかと思う。身分への不満、望む相手に逢えない苦しさ、さまざまな鬱屈を慰めるものを必要としていたのだ。

 舞姫たちはそのまま宮中に留め置くようにという帝の仰せではあったが、良清の娘は辛崎で、惟光の娘は難波で祓いを行うため揃って退出、按察使大納言も日を改めて出仕させたい旨奏上した。左衛門督から出した舞姫は、実の娘ではなかったことが判明して咎めを受けたが、そのまま宮中に残すことで許された。

 続いて良清の娘、按察使大納言の娘も入内の運びとなったが、惟光はあくまで通常の宮仕えを望んだ。

「典侍の定員が空いているようなので、是非そちらへ」

「ふむ、惟光のお蔭で面目も立ったし、望みどおりにしてやるか」

 ヒカルがそう呟くのを冠者の君が耳にして、ああ、あの子も手の届かないところに行ってしまうのかと残念に思う。

「自分の年齢や位に何も問題がなければ、父君に願い出てみたいけど……このままじゃ、思っていることさえ何も知られずに終わってしまう」

 さほど強い執心というのでもないが、雲居雁の姫君のことも重なって余計に悲しくなる。

 しかし、あえて息子をこの地位に留めて自力で昇れという父に頼ることはできない。自力で何とかするしかないと悟った冠者の君は、今更ながらに思い出した。童殿上のかたわら時折こちらに参上して、自分に仕えている同年代の家来は惟光の息子である。つまりあの舞姫の弟なのだ!

 いつものようにやって来たその少年に、常よりも親しげに声をかける。

「そういえば君のお姉さん五節の舞姫やってたよね。いつから宮中に参内するの?」

「今年中には、と聞いております!」

「すごくキレイな子だったから気になってるんだよね。君はいつも見てるんだろう?羨ましいよ。どうにかして会えない?」

「エエっ?!ど、どうしてそんなことができましょうか……私だって思うようには会えませんのに。男きょうだいは近寄るのも禁止みたいな感じで……まして、貴方さまに会わせるなど」

「そっか……そうだよね。じゃあせめてこれだけでも」

 すかさず手紙を渡された弟は、

(以前から、こういうことは絶対にしちゃダメ!って父君にも母君にも言われてるんだけど……でも、断るのも申し訳ないし)

 困りながらもこっそりと姉に届けた。

 舞姫は年齢よりませていたとみえて、興味しんしんで手紙を開いた。緑色の薄様に良い感じの色を重ね、筆跡こそまだまだ幼いものの一人前に体裁をととのえて、

「日の影にもはっきりとおわかりになったでしょう

天の羽衣を翻して舞う乙女の姿に思いをかけた私のことを」

 二人で見ていると、父の惟光がひょいと覗き込んだ。いきなりだったので隠すこともできない。

「何の手紙だ?どれ、父にも見せてみろ」

 さっと取り上げた。姉は真っ赤になって俯き、弟は逃げ出そうとした。

「これ、待て。お前が持ってきたのか?けしからん!」

「お、大殿の、冠者の君が……かくかくしかじかと仰って、私に渡されたんです」

「何!本当か!」

 惟光は一転、満面の笑顔で、

「何とも可愛らしい若君のお戯れよ!それにひきかえ、同じ年回りのお前たちはお話にならないくらい頼りないなあ。しっかりせい」

 浮かれて妻にも見せる。

「この公達が、すこしでも我が娘を一人前に思ってくださるならば、宮仕えよりそちらに差し上げてもいいよなあ。わが殿のこれまでのご配慮からすると、一度見初めた女性は決してお忘れにならない鉄板の頼もしさなんだよね。わーどうしよう。第二の明石の入道ってやつかなコレ!」

 一人はしゃぎまくるが、妻も他の女房たちも準備に忙しく、誰もまともには取り合わないのであった。

 

 当の冠者の君の方は、その後続けてこの舞姫に手紙を書くでもなく、ただ逢えない人を恋い焦がれるばかりの日々を過ごしていた。

(もう二度と逢えないのかも)

 くよくよ悩んでばかりで、大宮のもとへ参上する気にもなれない。行くと嫌でも姫君の居室だったところや、長年一緒に遊び馴れた場所などが目について、大殿邸そのものさえ疎ましく思われた。よって自室に籠りきりである。

 東院では西の対の、花散里の御方が母代わりとして何くれとなく面倒をみていた。

「祖母である大宮さまもご高齢ゆえ、いつ世を去られてもおかしくない。どうか今のうちから息子に親しんでお世話をお願いできないだろうか」

 というヒカルの依頼を快く受け、それは甲斐甲斐しく世話をする。冠者の君も穏やかで優しいこの御方を慕っていたが、その容貌が決して美人とはいえないことにも気づいていた。

(こういう方でも、父君は見捨てることなく長いことお世話しているんだな。顔ばっかり思い出して恋しい恋しいっていう自分、ダメダメだよね。やっぱり性格も良くないと。こんなに柔和な方と細く長く愛し合えたらいいな……)

(でも、この方と面と向かってもなあって思われてるのも、女性としては気の毒だな。これだけ長年連れ添っておられるのに、『浜木綿ばかりの隔て』……きっちり几帳を間に置いて、直に顔を見ないように何やかや誤魔化してるもんね)

※み熊野の浦の浜木綿百重なる心は思へどただに逢はぬかも(拾遺集恋一-六六八 柿本人麿)

 冠者の君が面食いなのも仕方ない面はある。祖母の大宮も美形で、高齢ながら容色はまだ衰えず、周囲の女房達も粒揃いという環境で、女性というものは皆器量のよいものと幼い頃から刷り込まれたのだ。花散里の御方は、もとよりさほど良くもない容貌が盛りを過ぎ、痩せて髪も薄くなりはじめていた。つい難が目についてしまうのも無理はない。


 年の暮れには、大宮が正月の装束などを余念なく準備した。冠者の君一人だけのために、いく組もの贅を尽くした衣裳を仕立てられたが、当の本人は憂鬱なばかりである。

「お年賀などには参内するつもりもありませんのに、ここまで準備なさらなくても」

「どうしてそんな……まるで引退したお年寄りのような言い方ですこと」

「老いてはいませんが、何もしたくない気持ちです」

 そっぽを向くその目には涙が浮かんでいる。

(まだあの姫君を思っているのね……可哀想に)と、大宮も涙ぐんでしまった。

「男は、どんなに取るに足りない身分の者でも気位を高く持つもの。あまりに沈み込んでばかりいらっしゃいますな。どうしてそこまで思いつめられるのか……縁起もよろしくないですよ」

「さあ、どうしてでしょうね。六位などという人が軽蔑する身分ですので、少しの我慢とは思いつつも、参内するのが億劫なのです。お祖父さま……故大臣がご存命でしたら、他人から侮られることなど冗談にでもなかったでしょうに。父君は今近くにおられるとはいえ、これまで他人同然に放任してこられたので、気安く対面するわけもなく、東院にいらっしゃる時だけお傍近くに参上するくらいです。西の対の御方だけは優しくしてくださいますが……母君がおられたならここまで思い悩まずともよかったのかもしれない」

 こみ上げた涙を隠す冠者の君があまりに哀れで、大宮もほろほろと泣く。

「母に先立たれた人はその身分身分に応じた辛さがあるものですが、その先の運命は人それぞれで、成人してしまえば誰も軽蔑する者などいなくなります。あまり思いつめないでいらっしゃい。ああ、故大臣がせめてもう少しだけ長生きをしてくれれば……貴方の父君も庇護者としては申し分なく、故大臣と同じように信頼できる方ではありますが、思い通りにはいかないことが多いですわね。我が息子の内大臣の気性にしても、並の人とは違って立派だと世間は褒めますが、このところ昔と違う事ばかりで……長生きしたのがいいのやら悪いのやら。生い先の長い貴方まで、些細なこととはいえ何かと身の上を悲観しがちとは、何とも恨めしいこの世ですこと」

 ついつい話が長くなるのだった。


 ともあれ、元旦はヒカルも参内することなく二条院でのんびりと過した。名誉職たる太政大臣には特に政務もなく、用がないのだ。

 七日の白馬(あおうま)の節会には、臣下から初めて太政大臣になった良房の例に倣って、宮中から二条院に白馬を牽いてきた。儀式は伝統を踏まえつつ、新しい試みも様々に加えて盛大に行った。

参考HP「源氏物語の世界」他

<乙女 十 につづく
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