乙女 八
「ねえねえ右近ちゃん」
「なあに侍従ちゃん」
「何か……泣き声が聞こえない?」
「えっ?!怪談話?ヤダ私苦手なのよそういうの」
「違うよー、コレ生きてる人間だよゼッタイ」
侍従、隅の几帳を除ける。
「……あっ」
少女が突っ伏してシクシク泣いている。
「誰?見たことない子ね。どこの局?もしかして迷子?」
「そこまで小さい子じゃないっしょ。もしもし、どしたの?お腹いたいの?」
「……す」
「なあにー?もうちょっと大きい声で」
少女がむくっと起き上がった。
「わ、私!小侍従といいます!!!お話、聞いて貰っていいでしょうか!!!」
「(声デカっ)え、ええっ?!」
「キーンってきた……小侍従って、侍従ちゃん親戚か何か?」
「いや、全然知らない子……どゆこと?」
「とにかく中入って貰おうか。立てる?」
右近が手を貸して部屋の奥に連れて行く。侍従、例によってお茶の用意。
「すみません……おそれいります」
神妙に頭を下げる小侍従。まだ涙ぐんでいる。
「えーと小侍従ちゃんだっけ。まずどこから来たの?」
「……大殿、いえ、今は内大臣さまのお邸に……」
「内大臣さま?どなたのお付き?」
「姫君です……雲居の雁の。私、姫君の乳母子なんです」
「雲居の雁って、エエー!あの、王子の息子ちゃんの彼女?!」
「……王子って誰の事ですか?」
「いやあの、気にしないで。小侍従ちゃんは何の話がしたいの?」
小侍従の目に涙がぶわっと吹き上がる。
「もう、わかんなくて……これからどうしたらいいのか」
顔を見合わせる右近と侍従。
(どーすんの右近ちゃん)
(とりま聞くしかないんじゃない?)
(てゆーか、いつからここがそういうポジションに……)
(いつものことよ侍従ちゃん)
以下、オフィスにて小侍従語る。
冠者の君も、大宮さまに遠回しに注意されて、
「これからは手紙さえも難しくなるかも」
ってスゴク心配になったと思うんですよね。お食事もろくに召し上がらないまま寝たふりをされて、みんな寝静まった後こっそりコッチにいらしたんですよ。
かたん、って中障子を引く音が聞こえました。
でも、その日は固ーく錠をさしてたので、開きません。いつもは開けっぱのガバガバなんですけど、内大臣さまにこっぴどく叱られちゃったから、総員厳戒態勢!って感じで。
私も完全スルーしました。すぐ近くにいたんですけどね。ちょうど姫君も目を覚まされたそのタイミングで、風で竹が揺れてサラサラ鳴る中、雁の声が遠ーくの空から聴こえたんですよね、夜中なのに。
「雲居の雁……群れからはぐれて空の高い所で、独り飛んでいるのかしら。何も見えない暗闇の中を。まるで今の私のよう」
なんて独り言を仰って。すっごいちっちゃい声だったんですけど、冠者の君には聞こえたんでしょうね、やっぱそこは彼氏ですもん。
「ここを開けて。小侍従はいる?」
もう、待って?!ってかんじですよ!ウチの母とか、他の女房さんたちとか皆すぐ近くで寝てるんですよ?返事なんか出来る訳じゃないじゃないですか。姫君も、キャッマズイ!って感じで衾ひっかぶっちゃって、もう息するのも辛かったです。
「真夜中に友を呼び飛んでいく雁の声に
さらに悲しく吹き添える荻の上の風よ」
冠者の君のお歌、きっと姫君にも聞こえてたと思うんですけど、返歌どころか、ここにいますよって知らせることすらできませんでした。どのくらいそうしてたか、すっごい長くも感じたんですけど、実はそんなでもなかったのかも……気がついたらいなくなってました。
「なるほど……まあ、今日の今日じゃそうなっちゃうわよねー」
「いつもは小侍従ちゃんがお手紙受け渡ししてたの?(落としたりしてたのこの子か……)」
はい。でも、もうそれも無理になっちゃって。メチャクチャ厳しくなっちゃったんです……お手紙とか、どんなものでも外から来たものは絶対乳母に見せること!あ、ウチの母ですけど、そんなことになっちゃって。母って超超怖いんですよ……バレたらどうなるかわかりません、ハイ。
「なんか気の毒ねー。でも、冠者の君にとっては大殿が実家じゃん?目つぶっててもどこからでも入れるんじゃないの?適当に誤魔化して伝言ゲームしてもらえばワンチャン……」
「うーんどうかしらね。十二歳だもんね。中一男子なんてまだまだお子ちゃまだからそんな機転がきくとも思えない。まして堅物っぽいしお父様と違って」
そうなんです……だからといって私から何かアクションするなんて無理ー!だし、姫君がまたこれっぽっちも状況わかってなくて、何でみんな大騒ぎしてるの?ってキョトンとしてるし、どうにもなんなくって。
そうこうしているうちに、内大臣さまが動いちゃったんですよ……斜め上に。立后、梅壺の方に決まったじゃないですか。アレにかこつけて
「我が弘徽殿の女御が凹んじゃって見ていられないので、里に下がらせてのんびり休ませてやろうと思います。帝のお傍にずっと居っぱなしで、仕えている女房達も気が休まらずしんどいようですから!」
なーんて仰って、急にお宿下がりさせたらしいです。
「居っぱなしって……超喜ばしいことじゃん。帝のご寵愛は相変わらず一番だって聞いてるよ?いまだに凹んでるのは内大臣さまだけっしょ」
「女房の立場からしても、全然問題ないわよね。むしろ内裏にいる方が色々刺激があって楽しいのに」
そうなんです!そうなんですよ。女御さまご本人だって寝耳に水で、え?何でわたくし帰らなきゃいけないの?困惑……って感じで。毎日のようにラブラブしてた帝も、すっごいご不満そうなお顔でお許し出すのもしぶしぶで、ヤバかったらしいです。
そうしてムリヤリ内大臣さまのお邸に戻した女御さまの遊び相手として、雲居の雁の姫君を当てるっていうんですよ。要は冠者の君と引き離す、そのためだけに女御さまどころか畏れ多くも帝まで巻き込んで、ですよ?酷くないですか?!
急な話に大宮さまもそれは驚かれて、
「たった一人の娘が亡くなって、寂しくて心細くてたまらなかった時にこの姫を引き取って、どんなに嬉しかったか。命のある限りお世話申し上げようと誓って、朝な夕な、老いの憂さ辛さも慰められておりました。こんな仕打ちをするくらい、わたくしを信用ならない者と見做して疎まれるのですね……辛いこと」
内大臣さまに涙ながらに訴えられたんですが、
「とんでもない、疎むなどと。実は、内裏に仕えております我が女御が、ご寵愛が過ぎてお疲れのようなので(嘘)今里下がりしております。退屈そうでお気の毒なので(嘘)こちらの姫君を遊び相手にと思った次第で。なに、ほんの短い間だけですよ。母君がここまで手塩にかけて一人前にしてくださったこと、決していい加減には思っておりません。感謝しておりますよ」
もう決定事項!って感じなんですよね……。
「あーあるある。あの方ってそういう、思い込むと一直線!みたいなとこあるよね」
「だから王子……ヒカル大臣に今一歩敵わないのよね。あ、言っちゃった☆」
大宮さまもすっかりガックリされちゃって、
「本当に情けないこと。あのお二人も私に隠し事をしていたのは気に入らないけど、まだ子供だから仕方ない。だけど内大臣はれっきとした思慮分別のある大人でありながら、わたくしばかりのせいにして、こんな強引なやり口で姫君を連れ去ってしまうなんて。あちらが此処より安心安全という保証もないでしょうに」
泣かれてました。
「ひっどいなー今まで散々お世話になったお祖母さまに。引き離すにしてももうちょっとやり方あるよねえ。見事に誰ひとり嬉しくないし幸せじゃない」
「ねえ小侍従ちゃん?話の途中にこんなこと聞くのもなんだけど、ぶっちゃけお二人はその……男女関係はあったわけ?」
えっ?……いや、無い!と思います。そりゃ手を握る、くらいはありましたけど、常に周りに複数人いますからさすがにバレます。私が一番近くにいたので、そこは断言できますね。ただ、外から見たらありえないくらい距離近すぎで、何かあったとみられても仕方ないかもです。だってついこの間まで、十四歳の姫君のお部屋に十二歳の男君が入りびたり状態だったんで。一応几帳とかは立ててましたけど、まあ……飾りでしたね。
あれ以来さすがにもう面会は全くシャットアウトだったんですけど、冠者の君はちょくちょく大殿に顔を出されてたんですね。ええ、月に三度どころじゃなかったです。でも、私とか他の女房さんに繋ぎをつけるとか、手紙を何とか渡せるようトライするとか、そういうことは全然なくて、マジで来るだけ。お勉強は出来るみたいですけどこういうのには、創意工夫足りなくなーい?なんて……すみません、脱線しました。忘れてください。
ところが大殿に来てみれば、内大臣さまの車がある!顔合わせないようにそーっとご自分のお部屋に籠られました。
若手のご家来衆も参集されてましたけど、勿論この方たちは勝手にズカズカ中には入れないので、避けてお部屋に行くのは簡単だったみたいです。冠者の君にとって大殿は庭ですもん。実際、別格なんですよね冠者の君は。他のいとこさん達に比べたら全然イケメンですし、明らかに大宮さまの扱いも違う。内大臣さまもそこは認めるところだったと思うんですよ。姫君の婿としては理想的な相手だってことも。ただ意固地になっちゃってるだけで。
ともあれ内大臣さまは一旦参内されるってことで、夕方までお留守ってことになりました。
「あら、チャンス到来♪」
「絶対に見逃さないわね、お父様なら」
もちろん冠者の君も見逃しませんでしたよ。
ちょうど大宮さまからお手紙も来ていたので、姫君もお着換えしてお渡りになられたところでした。
「今までずっとお傍にいて、明け暮れの良い話し相手と思っていましたのに……寂しいこと。生い先短いわたくしですから、あなたの将来を見届けられずに寿命が尽きるのは仕方ないですが、まさか今更あなたの父君に取られてしまうのかと思うと……不憫でなりません」
大宮さまのお言葉に姫君は顔も上げられないようでした。不憫って、もちろん冠者の君のことですもんね。そうしてお二人とも泣いているうちに、冠者の君の乳母である宰相の君が出てきました。
「姫君は同じ主とお頼み申し上げておりましたが、お移りあそばすとはまことに残念でございます。内大臣さまはいろいろと考えておいでのこともありましょうが、どうかお心を強くお持ちになって」
なんてコソコソっと囁かれるんですよ。姫君も何とも反応しようがなくて困ってて、大宮さまが
「これこれ、厄介なことを。人の運命はそれぞれで定めがたいものなのだから」
たしなめられたんですけど、
「いいえ、内大臣さまは冠者の君を一人前でないと見做されて侮られておられるのでしょう。たしかに今はそうですけど、私どもの若君がいったいどなたに劣られているというのか、皆にお聞き合わせくださればよろしいのに!」
この怒涛の展開に内心激おこだったんでしょうね、言い放ってました。
そういう話を全部、冠者の君は隠れて聞いてらしたんですよ。宰相の君は最初から気づいてて、大宮さまと相談の上、少しだけ姫君と会わせてあげましょう……ってことになってたんです。その日はお引越しの準備もあって、大殿全体が人の出入りでバタバタしてましたし、内大臣さまがご不在の今でしょ!ってことで。
「あらあらまあまあ、粋な計らいじゃないのヒューヒュー♪」
「侍従ちゃん、何かオバサンくさいわよその反応」
私、見張り役でわかんないように傍にいたんですが、やっと二人きりになったのに、手のひとつも握るどころか物も言わずに泣いてるんですよね、それもけっこうな長い時間。あんまりゆっくりもしてらんないのに、早く何か話しなよーって、他人事ながらイライラのドッキドキでしたね。で、やっと冠者の君が口を開いたんです!
「内大臣さまのお気持ちが辛すぎて、いっそこのまま諦めようとも思ったりしたけれど……無理だった。朝も昼も夜も、君が恋しくてたまらない。どうして、もうすこし……逢えるときに逢っておかなかったんだろう。もっともっと一緒にいればよかった」
真剣な目をしてコレですよ!ヨシ!って感じですよね!
「さ、さすがは王子の息子ね。ズキュンってきた!」
「右近ちゃん何言ってるの!これは手練手管じゃないのよっ!素のまんま、まっさらな心から出た真実の言葉ってやつよ……!尊い、尊すぎるっ……!」
姫君も涙涙で、
「わたくしも……貴方と同じよ」
やっとここで二人寄り添って、手をとって、
「恋しいと思ってくれる?本当に?」
こくん、と頷く姫君。
「ああああ何このピュアホワイト……胸がキュンっていうより、つら……何かとてもつらい気持ちに」
「切ないって言って右近ちゃん!!!」
いつのまにか燈火がつけられて、外が騒がしくなってきました。前駆のご家来がものものしく先払いの大声を上げて、女房さん達も口々に、
「それそれ、内大臣さまのお帰りだ」
とバタバタ走り回っています。お二人は震えあがりましたが、冠者の君は何と言いますか……姫を守るナイト的な気持ちになったんですね、ぎゅっと抱きしめて離さない。何でこんな時にいきなり大胆になるかなーって思いながら、さてどうやって誤魔化して男君を逃がすかと考えてたんですけど、
そこに、来ちゃったんです……。
ウチの母が。
「母って……あっ姫君の乳母ね!メッチャ怖いっていう」
「ヤダ、ドキドキする。こんなの初めて」
もう出発しなきゃなのに姫君が戻ってらっしゃらないんで、探しに来たんですね。もちろん二人屏風の後ろに隠れてたんですが、平安時代のあのガバッガバな部屋と無駄に嵩張る衣裳ですし、すーぐバレちゃいますよね。ましてウチの母が見逃すはずありません。どういう状況かも即座に把握して、
(はーなるほど、大宮さまは全部ご存知だったわけね!)
ってちょっとイラっとしたんでしょうね。まあ実際こっぴどく怒られたのは母たちですから、気持ちはわからなくもないんですけど……。
「あーあ、姫君はどちらかしら?情けないこと。内大臣が反対されるのも当然よね、母方の大納言さまにだって何を言われることやら。ご立派な方とはいえ、初めてのお相手が六位ふぜいだなんてね!」
大声ではないにせよ、確実にお二人に聞こえるように、わざわざ隠れてる屏風の前まで来て言ったんですよ……。
「うわっ……ひど。そこまで言う?」
「さすがに失礼すぎない?いくら六位っていっても、太政大臣の御子息よ相手は」
す、すみません。ウチの母、ホントに口が悪くて……乳母ってやっぱり、世話した子の味方をしちゃうものみたいで、母にしちゃ冠者の君は可愛い姫君をたぶらかすイキった若造でしかないんですよ。全然そんなんじゃないんですけど。
もう冠者の君、ぶるぶる震えちゃって、怒りで。
「今の、聞いた?
血の涙を流すように恋慕う私の袖の色を
浅緑だとくさすとは
なんという屈辱……」
もうラブラブな雰囲気も切なさも何も吹っ飛んじゃいました。姫君がすかさず
「色々と我が身のつらさを思い知らされるのは
どのように染めた中の衣なのでしょう」
私は色なんて気にしない、ってフォローしようとしたんでしょうね、多分。でもさすがに時間切れです。内大臣さまが入って来られる物音がしましたので、焦って冠者の君を引っ張って外に逃しました。間一髪でしたね……。何とか人目につかずにお部屋には帰られたみたいです。内大臣さまの車は三輌ほどで、お付きの人も最小限、私もその時はご一緒しませんでした。あっという間に遠ざかっていかれましたね。
冠者の君は、その後大宮さまに呼ばれても、部屋から出てこられることはありませんでした。
翌朝は曇っていて寒い日でした。霜が真っ白に下りてまだ薄暗い中、冠者の君は二条院にお帰りになりました。きっと泣きはらした目を誰にも見られたくなかったのでしょう、何も言わないままそっと出られて、独りごちる声が微かに聞こえました。
「霜氷が酷く張りつめた明け方の
空を暗くして降る涙雨かな」
数日後に私も内大臣さまのお邸に移って、現在に至ります。以上です……。
「はーーーー(言葉が出ない)」
「何というか不器用ねー。中学生同士だと思えばまあ、わからなくもないけど、もうちょっとうまくやれなかったかな。まあ私ら外野からみれば、はかない初恋の胸キュン話♡って感じで微笑ましいけど」
「どうなるんですかね……これから。私、どうしたらいいんでしょうか……」
「どうもこうも、今すぐ何とかするのは無理でそ。当分は大人しくしてるしかないんじゃない?」
「そうねー。そちらのお邸に慣れて、何となくほとぼりもさめてきたらお手紙くらい考えてもいいかもね。とはいえ、冠者の君のショックが大きそうだからなあ」
「ああ……どうしましょう」
「まあまあ、小侍従ちゃんが悩むことじゃないよ!こういうことはさ、なるようになるしかないの。悩んでも仕方ない、一介の女房には解決ムリムリ!」
「侍従ちゃんのいう通り。だいたい、初恋ってうまくいかないものなのよ。これで冠者の君が諦めちゃえばそれまでだし、姫君だってこの先ワンチャン宮仕えもあるかもだし、どう転ぶかなんて最終的には本人たち次第なんだから、小侍従ちゃんは自然体で!」
「自然体……」
「そうそう♪内大臣邸ってすっごいゴーカでセンスもいいでそ?弘徽殿女御さまだって明るくて素敵な人だって聞くよ?女房さん達も教養あって有能で、コミュ力最強。そういうのうんと見て聞いて、楽しめばいいと思う!」
大きく目を見開く小侍従。その目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「ふえっ……あ、ありがどうございまずうううう」
「ちょ、泣かないで。ハンカチ!ティッシュ!」
「可愛い顔が台無しダゾ☆乳母子として、姫君の支えになるんでそ?ガンバレ!笑顔笑顔!」
えぐえぐしながらもムリヤリ口角を上げる小侍従。
「その調子!ほら、お茶飲んで、お菓子も食べて。ざらめカステラ美味しいよ!」
「ゆっくりねー。甘いの食べると落ち着くからね」
もぐもぐごくん。
「ありがとうございました……すごく気持ちが楽になりました」
「いえいえ、色々と大変だったわよね。お疲れさま」
「ところでさ小侍従ちゃん、何でここの場所知ってたの?誰かに聞いた?」
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