おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

玉鬘 四

2020年9月21日  2022年6月9日 

大和國 長谷寺HPより 本長谷寺

(語り手 右近)

 あれは、六条院に移って少し落ち着いた頃でしたか。

「右近さん、また今年も行かれるの?お忙しかったでしょうに熱心ねえ」

 同僚の女房たちに揶揄われながら、わたくしはお暇をいただいて、毎年恒例の初瀬参りに出かけました。夕顔のお方さま亡き後、二条院に引き取っていただいたばかりか、さらにきらびやかな六条院にまでお連れくださって……そんな身に余る幸せが恐ろしかったのでございます。わたくし一人だけいい目を見て、きっとこの先大きなしっぺ返しが来るのではないかと不安にかられ、度々この寺を参詣していたのでした。


「相済みません、急なお客が入って、お泊りいただく場所が手狭になってしまいました」

 あらかじめ宿泊をお願いしていた寺に到着しましたら、お坊様が頭をかきかき仰いました。もともとさほど広くもない部屋が幕で隔てられており圧迫感はあったものの、時折聞こえる微かな話し声の他には人の動きも静かで、たいそう気を遣っておられるのが窺えました。すくなくとも柄の悪そうな感じではございません。

 構いませんよ、これも仏縁にございましょうといってわたくしたちも入りました。こういった相部屋は珍しいことでもないし、歩きどおしで疲れていたのですぐにでも休みたかったのです。狭い中、物に寄りかかって臥していますと、下人らしき男が一人、食事を折敷に載せて持っていくのがちらりと見えました。

「こちらはご主人さまに差し上げてください。お膳などはとても調えられず、誠に畏れ多いことでございますが」

 奥の幕に向かってこう言っています。

(はて、このような口上をされるほどの方がいらっしゃる?)

 すこし興味が湧いたので、そっと隙間から覗いてみますと、どうも男の顔に見覚えがあるような気がしてなりません。いつ、何処で見たのだろう……?もっと若い時に見たのであれば、随分と様変わりしているのには違いないでしょう。男は太りじしの色黒で、みすぼらしい形をしており、すぐに誰とは思い当たりませんでした。そのうち男は、

「三条、お呼びです」

 と下女を呼び寄せました。出て来た女もまた、見た顔です。

「あれは……!」

 頭から足の先まで、鋭い矢が突き抜けたようでした。

(亡き夕顔のお方さまに、長く仕えてきた……あの西の京の住まいにまでお供していた、三条?とすると、さっきの男は兵藤太だ。まさか……お方さまの娘御もここに?!)

 これは夢なのか現なのか。目もくらむような心地がして、手足が冷たく痺れました。震える声で、この三条なる下女を呼んでもらおうとしましたが、ちょうど食事中とみえてはかばかしい返事もしません。

 はやく、はやく確かめたい……!

 のんびり食べている三条が憎らしくまで思え、待っている間が永遠のように長く感じられたものです。

「お待たせしました、三条でございます。どちら様でしょう?筑紫の国で二十年近くを過しました下人ふぜいを、京の方がご存知とは。どなたかとお間違えでは?」

 ゆっくり近寄って来た三条は、田舎びた掻練の上に上衣を着ていて、酷く太っていました。

(きっとわたくしも、向こうからすれば随分と年を取っているのだ)

 離れていた年月の長さが思いやられ、恥ずかしくもありましたが、思い切ってぐっと顔を近づけました。

「見て!わたくしの顔。覚えてない?」

 その瞬間、三条は目をまん丸にして、口をぱくぱくさせたかと思うと、大きく手を打ち鳴らしました。

「右近さん!右近さんですね、何てこと!」

 一気に大粒の涙が流れだしました。 

「どこからいらしたの、いえ、今までいったいどこに……ご主人様は今どちらにいらっしゃいますの」

 泣きながら矢継ぎ早にまくしたてる三条に、わたくしは、

「乳母殿はご健在ですか。あの姫君は、どうおなりに?あてきと仰る方は?」

 あえて、お方さまのことは持ち出しませんでした。どちらにせよ、お互いに聞きたいことが多すぎて話が噛み合いません。三条は、

「皆さんお元気でいらっしゃいますよ!姫君もすっかり大人になられました。そうそう、まずは祖母さま……乳母殿に申し上げなくては!」

 と言って、慌てて中に入っていきました。すぐに大騒ぎになり、皆この中仕切りの辺りに出てきました。

「夢のようだわ」「まさか、ここで右近さんに逢えるなんて!」

 十七年もの間お互いを隔てて来た屏風は、この瞬間にすっかり払いのけられました。疑ったり恨んだりしたことも忘れ、ただただこの奇跡の再会に驚き、涙を流し、無事を喜び合ったものでございます。

 騒ぎが一段落すると、すっかり年老いた乳母がそっと口を開きました。

「お方さまは……如何なされたのでしょうか?」

 わたくしは言葉に詰まりました。乳母は、答えは承知とばかりにひとつ頷いて、言葉を続けました。

「長年、夢の中でもいいからお目にかかりたいと大願を立てておりましたが、都から遙か遠い国にいたものですから、風の便りさえ届きませんで……こんな老いぼれがこの世に生きながらえていますのも、ひとえに残された姫君の御ためです。あの世からのお迎えもお断りせざるを得ず、未だ目を瞑らぬままにおります」

 そのままじっとわたくしの顔を見つめます。

「……もう、隠し立てしたところで詮無いことですので、申し上げます。お方さまは……とうに亡くなられています」

 細い悲鳴が上がり、嗚咽の声が広がりました。乳母は大方察していたのでしょう、取り乱すことこそありませんでしたが、声もなく泣いていました。 


 そうこうしているうちに日はとっぷりと暮れ、燈明の用意を済ませた供の者たちが

「お急ぎください、初夜の勤行に間に合わなくってしまいます」

 と急かしてきました。ご一緒しましょうかとお誘いもしましたが、乳母が

「息子の豊後介にもまだ説明していないし、お互いの供人が不審に思いましょう」

 と言いますもので、先に行っていただくことにしました。

 一緒に外に出て、それとなく見ておりますと、一行の中に姫君とおぼしき、若々しく可愛らしい後姿がありました。四月に着る単衣のような薄手の上衣の中にたくし込んでいる長い髪が透いて見えます。この方がここまで歩いてみえたのか……おぼつかない足元がおいたわしゅうございました。

 わたくしたちは後からすこし間をあけて出立したのですが、姫君を介抱しつつの道行きに難渋されておられたせいで、結局はすぐに追いつき追い越して、先にお堂に着きました。

 辺りは参詣の人々でごったがえしております。わたくしたちの部屋は、ご本尊の右側、ごく近い所に用意してありました。遅れて到着された姫君の一行は、まだ馴染みが浅いためか遠い西の間にいらしたので、家来を遣って女の方のみこちらに来ていただきました。事情を聞いた豊後介があまりに恐縮し頭を下げるものですから、わたくしがどういう立場の者かを掻い摘んで説明しました。

「わたくしもこの通り取るに足りない身ではございますが、勿体なくもヒカルさま……今の太政大臣さまのお邸にお仕えしておりますので、このような私的な旅であってもよもや無礼な扱いは受けまいと心丈夫にしています。人が数多集まる所ですから、馴れぬ人をみると、よからぬ輩が侮って無体な振舞いを仕掛けてくることもございます。どうぞ遠慮なく頼ってくださいませ」

 もっと話をしたかったのですが、間近からの勤行の声が余りに大きく、それどころではありませんでしたので、心の内で一心に拝みました。

(いつかこの姫君を探し出したいとお願い申し上げてきましたが、何はともあれ、こうして巡り逢うことができました。この上はヒカルさまの、『娘として引き取って大事にお世話したい』というお気持ちが叶いますよう、どうかさらなるご加護を)


 この初瀬には、全国さまざまな場所から大勢の参詣者が集まってまいりますが、その日はたまたま大和国の守の北の方も詣でておりました。ひときわ多くの馬や従者を引き連れた大行列でありましたが、これを見た三条が、

「大慈悲の初瀬観音様には、他のことはお願い申し上げません。我が姫君が太宰大弐の北の方、さもなくばこの大和国の受領の北の方になれますように。さすればこの三条らも、身分相応に栄えて、必ずお礼参りはいたしましょうぞ」

 と額に手を当てて念じるのには閉口いたしました。

「とんでもない、すっかり田舎染みてしまったのねえ。父君は頭中将殿でいらした当時でさえも大したご威勢だったのに、いまや天下を心のままに動かしておられる内大臣ですのよ?その娘御でいらっしゃる姫君が、受領の妻ごときに定まるなぞ……」

「いえいえ!言わせて頂戴。大臣とやらのお話はともかく、太宰大弐のお館の奥方様が、清水の観世音寺に参詣なさったときの行列ときたら、それこそ帝の行幸にも劣らないくらい凄かったんですからっ!気が散るから黙って!」

 全然話が通じておりません。額から手も離さず一心に拝みつづけるので、わたくしも負けじと念じ直すしかありませんでした。仏さまもさぞ、お困りのことだったでしょう。


 姫君の御一行は三日間参籠されるとのことでした。わたくしは一日だけの予定を延ばし、ご一緒することにして、仲立ちしてくれた僧を呼びその旨を伝えました。

「願文などはいつものように『藤原の瑠璃君』のために奉りましょう。よくよくお祈り申し上げてください。それと、そのお方はつい最近探し当てることが出来ましたので、お礼参りも申し上げたく存じます」

「おお、それは実におめでたいことですな。怠りなくお勤めいたした甲斐もございました」

 こうして言祝がれますのもまた嬉しいことにございました。

 その夜は本堂にて一晩中勤行し、夜明けがたに用意された宿坊に戻りました。積もる話はいつ尽きるとも知れず続きます。その間、わたくしはずっと姫君のご様子を観察しておりました。

 質素な旅姿でしたが、だからこそ余計にご容貌の美しさが引き立ちます。恥ずかしそうに、控えめにしておられるご様子も品よく、可愛らしくみえました。

「ヒカル大臣は、桐壺帝の御代から、多数の女御や后、それ以下の上臈から下女まで残りなくご覧になってこられましたが、そのお眼鏡にかなう美女の中の美女として、今上帝の亡き母君である藤壺女院と、ご自身の娘御でいらっしゃる姫君をあげておられます。女院さまの方は存じ上げませんが、ヒカルさまの姫君は親の贔屓目を割り引いたとしてもなお、類まれなるお可愛らしさです。ただ、まだ五歳ですので、生い先を想像するだけですけれどね。

 それよりもわたくしは、今お仕えしている紫上がやはり一番だと思っております。並みいる女君の中でも抜きんでたご寵愛を受けておられる故か、ヒカルさま自身はあえて口には出されません。『私と並ぼうなどと、身の程知らずな』などと冗談を仰られるくらい、紫上のお美しさはあまりに当然のことすぎて、言葉にするまでもないということなんですよね。実際、お二人を間近で拝見するだけで寿命が延びる心地がいたします。そんなわたくしにも、此方の姫君は劣ったところなどどこにも見当たりません。どれだけ大切に育てられたか、ご苦労をお察しいたしますわ。実に、滅多にないお美しさにございます」

 心の底から、褒めちぎる言葉しか出て来ません。姫君ははにかんで、後ろを向いていらっしゃいます。

「まあまあ、勿体ないお言葉を……そうなの、こんなにお美しい姫君を、危うく辺鄙な土地に埋もれさせてしまうところでしたわ。家やかまどを捨てて、頼りになる息子や娘、その子供達にも泣き泣き別れてまいりました。いまや京の方が、余所の土地のような心地がいたしますのよ……貴女、右近さん、早くよきようにお導きくださいませ。高貴な方に仕えていらっしゃるのだから、自ずとよい伝手もございましょう。父大臣のお耳に入れられて、お子さまの数に入れてもらえるよう、何とかお計らいになってください」 

「いいえ、わたくしなぞ数ならぬ身にございますから、伝手など何も……ただ、ヒカル大臣が御前近く召し使ってくださいますので、折々に話題に出されて『私も何とか探してやりたいと思う』と仰せになっていますのよ」

「太政大臣さまは、そりゃ立派な方でしょうけど、れっきとした奥さま方がいらっしゃるわけですから……やはりまず実の親でいらっしゃる内大臣様にお知らせを」

「妻として引き取るというのではないのですよ。ヒカルさまは、恋仲でいらしたお方さまが突然に亡くなられたことを酷く悲しまれて、今でも忘れられずにいらっしゃるのです。以前から『娘が見つかったらぜひ、あの方の代わりにお育てしたい。私は子供が少なくて寂しいから、我が子を探し出したのだと世間には思わせて』と仰せでした。あの当時は分別も足りない歳で何かと憚りも多く、中々ご連絡も出来ないまま年月が過ぎてしまいました……太宰少弐になられて、赴任のご挨拶に参上された日にちらっと拝見したものの声もかけられずじまいで。てっきり姫君は、あの揚名介の、五条の邸に預けられたものと思っていました。危ない所でしたのね。筑紫に根づいてしまうところだったとは」

 こんな調子で一日中、昔話と念誦とを交互に続けておりました。 

 此処からは、参詣に集まって来る人々の様子がすっかり見下ろせます。前方を流れる初瀬川を眺めながら姫君に詠みかけました。

「二本の杉の立つ長谷寺に参詣しなかったら

古い川の辺りで姫君にお会いできたでしょうか

『うれしき瀬にも』よくぞお逢いできたものです」

※初瀬川古川野辺に二本ある杉年を経てまたも逢ひ見む二本ある杉(古今集雑体-一〇〇九 読人しらず)

祈りつつ頼みぞ渡る初瀬川うれしき瀬にも流れ逢ふやと(古今六帖三-一五七〇)

「昔のことは存じませんが

今日お逢いできた嬉し涙でこの身も流れてしまいそうです」

 涙をはらはら落しながら、さらりとそつなく返された姫君、そのご様子にはとても好感が持てました。

(どんなに素晴らしいご器量でいらしても、立ち居振る舞いや物言いが田舎びてぎこちなかったりしたら台無しだけど、立派なものだわ。よくぞここまできちんと躾けてくださって……乳母殿には感謝しかない)

 思えば、母君である夕顔のお方さまはただただ若々しく大らかで、なよなよとたおやかな女人でございました。この姫君には芯があり、ちょっとした所作などもこちらが恥ずかしくなるほどに上品で優雅でいらっしゃいました。はて、筑紫の地は思いのほか雅やかであったのか、と考えてもみましたが、姫君以外の人は総じて田舎びてしまっておりましたし、合点のいかないことでした。やはり、お血筋というものの力にございましょうか。

 日暮れには再び御堂に上り、同じように勤行三昧で過ごしました。秋風が谷から遠く吹き上がって、肌寒い日にございましたが、わたくしたちの心は温かでございました。寄る辺なく先行きの見えない暗い道に、一気に光明が射したのです。乳母は、特に父君である内大臣さまが、妾腹の御子息たちですら残らず一人前に扱っていることを聞いて、心強く思ったようでした。

 三日間はあっという間に過ぎてしまいました。帰る際には、再び行方がわからなくなってしまわぬよう、お互い入念に住処を聞き交わしました。この頃、わたくしの家は六条院近辺で、九条からもさほど遠くもなかったので、後々話し合うにも合流しやすいと思ったものでございます。

参考HP「源氏物語の世界」他

<玉鬘 五 につづく
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