おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

玉鬘 二

2020年9月16日  2022年6月9日 

 いったいどこから漏れますものか、わたくしどもの館に若い娘がいるという噂を聞きつけ、懸想文をたずさえた男どもが周りをウロウロし始めましてね。大事な姫君をこんな田舎者になどとんでもない、滅相も無い身の程知らず!との内心を隠しつつ、

「ええ確かに、娘はおりますけれど……容貌などはまあ、十人並といえましょうかね。ただね……大きな声では言えないですが……ちょっと、足りないところがありますの……結婚せず尼にさせて、私の生きている限りは面倒をみようと、そう思っております。ええ」

 などと彼方此方で「ポロっと」こぼしましたので、

「故少弐の孫は、普通ではないそうだ」「惜しいことだわい」

 などと噂が広まり、集まる者も減りました。

「とはいえ、こんなに美しい姫君を下郎どもに悪しざまに言われるのも忌々しいことだわ……あとはどのように都にお連れして、父大臣にお知らせしたものかしら。幼い時分には可愛がっておられたようだから、さすがに邪険に見捨てられることはない、と思うけれど伝手などない……神様、仏様、なにとぞよしなに」

 と願ううちにも、娘たちも息子たちもあれよあれよと縁づいて、それぞれの家庭を作り、この土地に馴染んでゆきます。気ばかり焦るものの、京の都は年々遠く、隔たっていくばかりでございました。

 姫君が二十歳になられた頃でしたか、住まいを肥前国に移しました。こちらでもやはり「故少弐の都生まれの孫娘」目当てに近づいてくる者はひきもきらず、騒々しい日々が続いたのでございます。

 ですが……それは今思えば、ただ少々煩わしいというだけの、平和な日々でございました。

 あの男が現れるまでは。

(暗転)

「どんな姿であってもいい!是非!姫君を妻としたい!それがしは、寛大な心で受け入れますぞ!」

 大夫監(たいふのげん)。肥後国に拠点を持ち、多数の一族係累のいる勢い盛んな土豪で、一帯では広く名が知れておりました。むくつけき武骨者でしたが、帝の後宮を真似て、美しい女を大勢集めて侍らせようと目論んでいたのです。そんな監が「都から来た高貴な女」を見逃すはずもなく、初めから押せ押せで、それは恐ろしい程の圧力にございました。

「いえいえ、結婚などとてもとても。あまり無理をいいますとすぐにでも尼になってしまうかも……」

 人伝てに軽くかわしたつもりが大失敗で、逆に火をつけてしまいました。監は、すぐさま国境を越え此方まで押しかけてきたのです!

 次男と三男が応対しましたが、海千山千の地元の有力者である監に、世慣れぬ若造が太刀打ちできるはずもございません。

「何も、無理やりに手籠めにするというわけではない。正式に結婚を申し込んでおるのだ。首尾よく事が成ればその時は、同盟を結び互いに協力しあえる関係となる。悪い縁談ではなかろう?」

 これであっさり陥落です。本当に、不甲斐ないことですが。

「そりゃ最初の内は、あまりに不釣り合いでお気の毒だと思ってましたよ?でも、そこまで悪い人にも思えませんし、特に我々にとっては、後ろ盾としてとても頼もしい人です。万一この方に睨まれては、この近辺ではやっていけません」

「兄上の言う通りです。姫君にしても、高貴な血筋とはいえ実の父君に子として扱っていただけず、世間にもそれと認めてもらえないなら、何の甲斐がありましょうか。この地で権力も財力もある方に、これほど熱心に求婚される、それこそが現実的な幸せというものでしょう?」

「この地にいらしたこと自体、前世からの縁があったともいえませんか?今更、この土地の者との結婚から逃げ隠れる意味はないのでは?」

「今回は終始穏やかでいらっしゃいましたが、かなり猛きご気性の方とお見受けしました。一旦負けん気を起して怒らせてしまったら、怖ろしいことになりかねませんよ?」 

 二人ともすっかり監の徒弟に成り下がり、脅し文句さえ口にする始末でした。それまで黙って聞いていた長男の豊後介は、なおもまくしたてようとする二人を強く遮って言いました。

「まったくもって酷すぎる話だ。お前たちは、姫君を自分たちの贄として差し出すつもりなのか?あんな無礼で下品な男の言うがままになって、悔しくはないのか?父君の……故少弐のご遺言を忘れたか!」

 二人は顔を赤くして、俯いてしまいました。

「みんな、もう一刻も猶予はならぬ。なんとしてでも手段を講じて、姫君を京にお帰しするのだ」

 もう人の妻となり母となった娘たちも、泣きながら訴えました。

「本当にそうよ、行方もわからない母君の代わりに、姫君には人並に結婚をしてお幸せになっていただこうと思っていたのよ、私たち」

「こんな田舎で、あんなヤツと一緒にさせるためにお世話してきたんじゃない!」


 そんな騒ぎになっているとも知らず、監は柄にもなく都の貴族を真似て、懸想文など書いて寄越しました。何しろ地元での威勢は凄いものでしたから、自分を偉い者と信じて疑わないのです。

 唐の色紙に香をしっかりとたきしめ、筆跡などは小奇麗ではありましたが、いかんせん田舎なまりが丸出しの、およそ雅とはかけ離れた内容にございました。しかも、ウチにまで来たんですよ……次男を言いくるめて、案内させて。

(溜息)

 監は三十歳くらいでしたか。背が高くガッチリと筋肉質でいかにも栄養が行き届いた感じで、全体的にはそう見苦しくもないのですが……何ともいえず嫌あな感じがしたんですね。それはわたくしが田舎者と見下していたせいなのかどうか、わかりませんが、お行儀よく見せかけていても、隠し切れない粗暴さといいますか……酷薄さがほの見えるのも、忌まわしい気がしました。顔の色つやも良く元気いっぱいなのに、どういうわけかその声は酷く嗄れていて、とにかくずううううっと、喋り続けるんです。普通なら懸想する方は夜の闇に紛れて、口数も少なくそっと現れるものですよね。随分と変わった趣向の春の夕暮れで、「秋ならねども、あやしかりける」来訪と見えました。

※いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べはあやしかりけり(古今集恋一-五四六 読人しらず)

 仕方がないので、その時はわたくしが応対いたしましたんですが……何しろ訛りがキツかったのでとても再現はできません……実際にはもっと聞きづらく、長い話にございました。

「お初にお目にかかります、それがし、大夫監と申す者にございます。亡き太宰少弐殿は、たいそう風雅の嗜み深く立派な方と聞いていたので、是非とも親しくお付き合いいただきたい!と思っておりましたが、悲しいことに、かなわぬままお亡くなりになってしまいました。その代わりといっては何ですが、せめて遺されたご家族には、ひたむきにお仕えいたそうと気を奮い立て、本日はまことに無礼ながら、あえて参上いたした次第です」

「此方にいらっしゃるという姫君は、格別に高貴な血筋のお方と承っております。如何にも勿体ないことでございますが、ただそれがしの主君と思い成し、頭上高く崇め奉りましょうぞ!祖母殿がそのように渋っておいでなのは、それがしがよからぬ妻妾どもを数多抱えておると聞かれて、疎んでおられるのでしょう?まさか、そんな奴らと姫君を同じように扱いますものか!我が姫君をば、后の位にも劣らぬほどにもてかしずく所存にございますっ!」

 我が姫君……もう自分のもののような言い方を。それに、ご自分の妻妾を「奴ら」だなんて。少々、いえかなり危機感を抱いたわたくしは震えながらも応えました。

「まあ、どうしましょう。そんなに仰っていただきますのを、大変お幸せなことと存じますが、何しろ宿縁のつたない孫で……ご遠慮申し上げた方がよろしいかと。どうして人さまの妻になどなれましょうかと、人知れず嘆くばかりですので。気の毒にと思いつつ、お世話するにも困り果てる有様ですの」

 言い終わるか終わらないかのうちに、

「いいえまったく!万事、ご遠慮無用!にございますっ!万が一、目が潰れ足が折れてらしたとしても、それがしが治して差し上げます!国中の仏も神も、皆それがしの言いなりにございますので!がははは!ところで、日取りは何時にします?」

「……今月は、春の終わりの月でございます。季節の最後の月は不吉と申しますから」

 とにかくお帰りいただこうと、田舎でしか通用しないような言い訳をするのがやっとでございました。

 幸い、成程ねと納得された体ではあったのですが、妻問い婚というものの慣習を思い出したのでしょう、ずいぶんと長いこと考えこんだ末に歌を詠みました。

「もし姫君のお心に違うようなことがあれば、どんな罰も受けましょう

松浦に鎮座まします鏡の神にかけて誓います

 うん、我ながらなかなか上手く詠めた♪」

 なんとも不慣れで幼稚な歌でしたが、ご本人はいたく満足げに笑っています。とにかく早く帰って貰いたく、返歌するのも億劫で娘たちに頼みましたが、みな「無理無理無理!」と何もしてくれません。長引くのも嫌なので困り果てながら、やっつけでひねり出しました。

「長年祈ってきましたことと違ったならば

鏡の神を薄情な神と思いましょうか」

 しまった、つい本音が歌に……と思った時にはもう遅うございました。

「待った!この歌、どういう意味ですかね?長年祈ってきたこととは?」

 不意に近寄ってきたんです!もう、恐ろしくて恐ろしくて、血の気がサーっと一気に引いていくのが自分でもわかりました。傍にいた娘たちが咄嗟に後を引き取って、

「姫君が普通でない体でいらっしゃるので、母はいつも神に幸せを願っておりまして……今このときに、貴方様のお気持ちが変わるようなことがあれば、神をお恨み致しますと、そういうことです。耄碌した年寄りのことですから、ちょっと混乱してしまったんでしょう、ウフフっ」

 と出まかせの説明をしてくれました。監は、

「おお、そうか!」

 とうんうん頷いて、

「なかなか素晴らしい詠みぶりにござる。それがしは確かに田舎者にはちがいないが、つまらない民百姓どもとは違う。都の人だからといって、何ほどでもないとも思っている。すべて先刻承知、決して馬鹿にするようなものでもないですぞ」

 偉そうにまくしたて、また和歌を詠もうとしましたが、さすがにもう何も出なかったとみえて、

「ところで、日取りはいつにいたそうか。ほれ、婿取りの」

「は?え、えーと、夏……ですかね」

「夏って四月入ってすぐ?」

「いえ、四月の……二十日くらい?」

「よし、四月の二十日だな。じゃ、また!」

 来た時と同じように次男を従えて、のしのしと帰ってゆきました。


 すぐに長男の豊後介と相談です。

「早く逃げなければ。次男を丸め込んで、もうすっかり婿のつもりでいますわよ」

「うーん、さてどうしたものか……此方には相談できる相手もいない。たった二人の兄弟は、この監に対し敵味方になって、仲たがいしてしまっている。とはいえこの土地で監に睨まれては、ちょっとした動きも思うに任せられまい。酷い目に遭うかも」

 やはりいざとなると迷い、考えあぐねる兄に対し、妹たちが責めたてます。

「姫君がお可哀想……私たちに迷惑をかけると知って、物凄く悩んでおられる。もう生きていたくないとまで思いつめてらっしゃるわ」

「当然よね、何が悲しくてあんな男の妻になんて。私だって真っ平ごめんだわ。むざむざあんなのを婿にしたら我が家の恥よ恥。お兄様、行きましょう!私たちも、みんな一緒に!この際、四の五の言ってられない、一族だけで逃げましょう!」

 遂に覚悟を決めました。

(波の音)

 わたくしの娘は二人で、妹の方があてき、此方では兵部の君と名乗り結婚もしておりました。長くはいた国ですが特に思い入れもなく、子供もいない身軽さか、あっさり夫を置いて単身での上京を決めたのです。

 ところが子だくさんの姉のおもとはそうはいかず、残ることになりました。ここで別れては、二度と会えるかどうか……悲しいことですが、どうにもなりません。

「浮島を漕ぎ離れても行く先も

どこに落ち着くやらわからない身の上ですこと」

「行き先も見えぬ波路に舟を出して

風に任せるしかない身こそ頼りないことです」

 姫君はと申しますと、もう精根尽き果てたようにずっとうつ伏しておられました。

(舟を漕ぐ音)

 これだけの人数が一度にいなくなれば周囲が気づかないわけはなく、結婚を嫌がって逃げ出したのだ、と人の口の端にものぼるでしょうし、肥後の国にもすぐに伝わりましょう。それで黙っている監ではない、恥をかかされたと怒り狂って追って来るのではないか、そう思うといてもたってもいられませんで、何度も何度も後ろを振り返ったものでした。幸い豊後介が特別に早舟を手配してあり、その上おあつらえ向きの風も吹いたので、ちょっと怖いくらい速く京への海路を駆け上り、響灘も穏無事に通過いたしました。

「海賊の舟か?小さい舟がずいぶん飛ばしてくるな」

 舟子たちのこんなつぶやきさえ、見知らぬ海賊よりも、もしや監だったら……と思うほうが余程恐ろしく、気が気ではありませんでした。

「嫌なことに胸が騒いでばかりいたので

響灘など名前ばかりで大した障りではなかった」

「川尻に近づきました!」

 という声をきいたときには、やっと少し生きかえった心地になったものです。例によって舟子たちが、

「唐泊より、川尻おすほどは」

とのんびり謡う声が、素朴なだけに心に沁みました。

 豊後介もしみじみと、慣れ親しんだ声で謡います。

「いとかなしき妻子も忘れぬ」

 考えてみれば、みな舟唄のとおり家族を置いてきたのです。しかも、役に立つと思われる有能な家来たちも皆、連れてきてしまった。どんなにかわたくしたちを憎むでしょう。息子たちの妻子もどんな目に遭わせられるやら……追手が来られない遠くまで辿りついてからやっと、自分たちの逃亡がどんなに後先を考えない振舞いか気づいたのです。

 息子は泣きながら、

「胡の地の妻児をば虚しく棄て捐てつ」

と朗誦し、それを聞いた兵部の君も置いてきた夫を思い出したのか、しょんぼりと俯いています。

 みな思う所は同じでございました。差しあたってこれからどうするのか。帰る所といっても、自分たちの邸があるでもなく、落ち着くべき場所も、頼りにできる人も思いつかない。ただ姫君お一人のために、長年住み馴れた土地を離れ、あてどもなく波風任せに漂って、何処へ行けばよいのかもわからない。この姫君を、いったいどのようにして差し上げればよいのかも。


 そうはいっても、今更どうにもなりません。ただ、これだけは申せます。あの、なりふり構わぬ勢いがなければ、きっとあのまま筑紫から出ることはなかったと。とにかく前に進むしか、もう道はないのです。

 舟はそのまま、京へとまっすぐ入っていきました。

参考HP「源氏物語の世界」他

<玉鬘 三 につづく
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