玉鬘 一
ビーーーーーーーーーーッ
ただ今より「玉鬘 右近ひとり語り(二役)」を始めさせていただきます。第四帖「夕顔」のひとり語りより、実に五年もの月日が流れました。ここまでたどり着くとは当時は思っておらず、誠に感慨深いものがあります。ただ呼び名が同じというだけでこの役回りを担ってくれた右近ちゃんにも謹んで感謝申し上げます。今回はとくに、玉鬘の姫君の乳母と二役で語るということで、相当大変だとは存じますが、きっと右近ちゃんならやりきってくれるでしょう。うん。
では、本編を始めさせていただきます。どうぞごゆっくりご観覧くださいませ。
(スポットライト)
みなさま、こんばんは。右近と申します。たいそうご無沙汰をばいたしましたが、お変わりなくいらしたでしょうか。いえ……愚かなことを申しました。此の世に変わらぬものは何一つなく、すべてはいつしか時の流れに押し流されて、消えゆく運命にございます。
ただ、せめて今宵ばかりは……さまざまな人の思いを、この婆が言の葉の舟に乗せ、僅かなりともどなたかのお心に留まれば……と思っております。
夕顔のお方さまと過したわずか十九年の日々を……二条院に参りましてからも、片時も忘れたことはございませんでした。ヒカルさまはその後も多くの恋に身を投じてらっしゃいましたが、さまざまな女性のありようをご覧になったことで尚のこと、
「あの方が生きていたなら」
と折々に思い起こされ、年月を経ても癒えぬ後悔と悲しみを募らせておいででした。それほどまでに強い印象を残された御方さまだったのです。何ほどでもない一介の女房にすぎないわたくしは、勿体なくもヒカルさまにとって特別な女性の形見として、何くれとなくお目をかけていただいておりました。
ヒカルさまが須磨に下られた時は、一体これからどうなっていくのかと世の無常を思い知らされたものですが、二条院の西の対でわたくしたち女房を束ねられた紫上は、まさに非の打ち所のない女性でございました。ヒカルさまが無事お帰りになられて以降もそのまま仕えさせていただき、日々己の幸運を噛みしめたものでございます。
それでも……そんな比類なき素晴らしいお方に長年仕えてもなお、わたくしの記憶から夕顔のお方さまの面影が消えることはありませんでした。ヒカルさまと同じく、何かにつけ考えてしまうのです。もし生きておられたら、と。
例えば……あの明石の方には決して劣らぬご寵愛だったのでは?
さほど深くもないご関係の女君さえも見捨てることなく、生活全般の面倒をみられているヒカルさまにございます。高貴な身分の方と同列にとはいかずとも、少なくともこの度の、新しい邸への入居者の一人には選ばれていたはずだ、と。
まことに詮無い、悲しいばかりのあて推量にございます。わかっていても、つい頭をよぎってしまうのでした。
お方さまが突然身罷られた際には、あまりに辛すぎて何も考えられませんでした。、少し落ち着いてからも、お世話になっているヒカルさまのお立場を悪くするようなことは憚られました。実際、御方さまの葬儀一切を手配された惟光さまには、
「うっかりヒカルさまの名を漏らさないように」
ときつく言われていたこともあり、西の京に近づくことすらしませんでした。いいえ……違いますね。言い訳に過ぎません。結局のところわたくしは、お方さまの死を自分のせいにされるのが嫌だったのです。お前がついていながら、と責められるのが。
そうしてもたもたしているうちに、西の京の人々は一人残らず都を出てしまいました。もちろん、あの撫子の君も一緒に。
(暗転)
波の音。
舟を漕ぐ音が混じる。
(スポットライトに少しふっくら目の老婆が浮かび上がる)
ああ、いったいお方さまは今何処に、どうなってしまわれたのか……この姫君を、これからどうお世話していけばよいのか……。
(溜息)
お初におめもじいたします。わたくしめは夕顔のお方さまの乳母にございます。何分にも年寄りですので、声を出すのも覚束のうございますが、せっかくの機会ですので、覚えている限りはすっかりお話しさせていただこうと思います。よろしくどうぞ。
わたくしども、本当に何も知らなかったんですよ……まさか、ヒカルさまと夕顔のお方さまが、方違え先で出逢われて、恋仲になったなどと、思いもよりませんでした。付き添っていかれた右近さんにしても、近い所ですし、元々そうさいさいと消息を知らせることもなかったものですから、わたくしたちも初めはまったく気にしておりませんでした。ところが、待てど暮らせどお帰りにならない。方違え先に問い合わせてみれば、もう何日も前に出て行ったきりだと。もう其方へ帰られたのかと思っていましたと。
これはいくらなんでもおかしいぞ、と思った頃には遅かったのです。どうにか行方が知れないかと、神さま仏さまに願をかけ、夜となく昼となく泣き焦がれつつ、心当たりを探し回りましたが、手がかり一つ見つけられませんでした。
あのお方さまが、わたくしたちに何も言わずに何処かへ消えるなぞ絶対にあるわけがない、行くところなどどこにもありはしないんです。右近さんにしても同じで、ご両親はとうに亡くなられて身寄りはありません。今日は帰るか明日は帰るかと、西の京で待ち続けるしかありませんでした。
ところが、姫君が数えで四歳になろうかという年でしたか、夫が太宰少弐となり筑紫への赴任が決まりまして。
「どうしたものでしょう……この姫君だけでも御方さまのお形見としてお世話するつもりでいたけれど、むざむざ鄙への道にお連れして、都から遠く離れた地に住まわせるなんてまことにおいたわしいこと」
「やはり父君である頭中将さまにそれとなくお知らせを」
「でも、あの恐ろしい北の方に隠れて伝えることなんて出来る?そんなややこしい役割をすすんでやってくれるような伝手なんてない……よしんば繋ぎをつけたとして、女君は何処に?って聞かれたらどう返事を?」
「内大臣は子だくさんでいらっしゃるからなあ。ずっと顔も合わせていない、馴染みの薄い姫君を果たしてお手元に引き取る気になられるか……まして大事にしてくださるかどうか、知れたものではない。だいたいあの北の方が黙っていないだろうし」
「すくなくともご自分の娘だと知られたら、わたくしたちが筑紫へお連れすることは決してお許しにならないでしょうね」
夫、息子や娘、女房達と、散々ああでもないこうでもないと言いあった末に、やはり一緒にお連れするしかない、と決まったのです。
「どこに行くの?母君のところ?」
お舟に乗ってお出かけするんだ、と無邪気にはしゃぐ姫君は、四歳にしてそれはそれは気高くお美しいお嬢様で、何の飾りも設備もないみすぼらしい舟にお乗せすることが不憫でならず、
「いい加減に泣くのをやめなさい。船旅には不吉すぎる」
と夫に諫められるまで、泣きっぱなしでした。
道中の景色は美しく、あれがそれがと眺めておりましたが、
「お方さまがいらしたら、きっと子供のように喜ばれたことでしょう。お見せしたかったものだわ」
心はまだ都に留まったまま、『帰る浪』さえ羨ましくしんみりしていたところに、
※いとどしく過ぎ行く方の恋しきにうらやましくも帰る浪かな(後撰集羈旅-一三五二 在原業平)
「うらがなしくも、遠く来にけるかな」
舟子どもが野太い声で謡うものですから、もう堪えきれず……傍にいた二人で顔を見合わせて泣き出してしまいました。
「舟人も誰を恋うるか 大島の浦に
悲し気な声が聞こえる」
「どこから来たのか、どこへ行くのかわからぬ沖に出て
どちらを向いて我が女主をお探ししたらいいのやら」
「鄙の別」の悲しみを紛らわせようと、歌も詠んだものでした。
※思ひきや鄙の別に衰へて海人の縄たき漁りせむとは(古今集雑下-九六一 小野篁)
「金の岬を過ぐるとも~我は忘れず」の歌などは、あまりに今の心持ちに嵌りすぎて、皆の明け暮れの口癖となったくらいでした。筑紫に到着してからはまして、ああ、こんなに遠くに来てしまったと、都を、お方さまを恋い慕って泣きながら、この姫君を大事にお世話し申し上げる毎日にございました。
※ちはやぶる金の岬を過ぐるとも我は忘れず志賀の皇神(万葉集巻七-一二三四)
(波の音)
その頃、何度となく不思議な夢を見ましてね。お方さまは夢の中ですら滅多にお目にかかれなかったのですが、此方に来てからは頻りに……それも、いつも同じような内容で。
寝ているお方さまの枕元に見知らぬ女が座っていて、お方さまのお顔をじーっと覗き込んでおりますの。顔も姿も薄ぼんやりとしているのだけど、決して下賤な風ではなく、どちらかというと高貴なご身分のようにみえました。ただその女は……何と申しますか……禍々しいような、黒いモノを身に纏っていて……その夢を見た後は決まって気分が悪くなり、体調を崩したりもいたしました。
これはきっと、御方さまはこの世におられないということなのだ、と……悲しくも、そのような確信に至ったのでございます。
その数年後、わたくしの夫である太宰少弐は、任期を終え帰京することになりました。ですが、京までは遠い旅路にございます。出立するに十分な財もなく、もう少しもう少しとぐずぐずしているうちに、夫は重い病に罹ってしまいました。姫君が十歳になられた年のことです。
(暗転)
(寝ている男性のシルエット)
「こんなに可愛らしい姫君を、私までが見捨ててしまっては、どんなに落ちぶれてしまわれようか。こんな辺鄙な田舎でご成長なさったこと自体畏れ多い。京にお連れ申したらしかるべき筋にもお知らせし、後は運を天に任せよう、都は広い所だからどうにかなると支度してきたが、残念ながら……この地でわが命は絶えてしまいそうだ。息子たちよ、どうかこの姫君を京に……それだけをこの父への孝行と思い、頼んだぞ」
それが夫の遺言でございました。
筑紫の館では、姫君のことを誰の子であるとも知らせず、ただ
「訳ありの孫の世話をしている。大事にせねばならぬ筋の子だ」
とのみ言い繕っておりました。その夫が突然に亡くなってしまったものですから、ただ悲しく心細く、すぐにでも京に帰ろうとしたのですが……任地での夫の立場は強いものではなかったようで、息子たち絡みでも色々あり何やかんやと気後れしているうちに、一年経ち二年経ち……あっというまに、姫君はもう大人といっていいまでに成長されました。公達である父君の血筋でしょうか、その気品ある美しさは母君をはるかに上回っておられました。気立ても申し分なく、大らかで可愛らしい方でございました。
参考HP「源氏物語の世界」他
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