乙女 四
大殿の大宮への参上は月に三度までとした。可愛い孫を昼夜慈しみ、いつまでも子供のように扱う祖母のもとでは集中して勉強もできないだろうというヒカルの配慮だ。
独り曹司に籠りきりで、気持ちも晴れない若君は、
「酷いなあ。こんなに苦労しなくても、高い地位に昇り世に重んじられる人もいるじゃないか……父君のように」
と思いつつ、ヒカルと違い元からの人柄が至極真面目で浮ついたところがないので、よく辛抱して勉強に打ち込む。
「とにかく必要な漢籍を何とか早く読みこなして、官職にもついて、出世しよ……」
そう決意し、わずか四、五か月の間に「史記」なる書物百三十巻を読破した。
大学入学に次ぐ区切りの試験として「寮試」がある。これに合格すると「擬文章生」となり、官吏への第一歩となる。これを若君が受けるにあたり、まずヒカルの前で模擬試験を行うことにした。
立ち会う試験官として伯父の右大将の大納言をはじめ左大弁、式部大輔、左中弁などの面々を招き、師である大内記も召し出した。「史記」の中でも難解な巻を選んで、寮試で反問されそうなところを抜き出し、若君にひと通り読ませてみると、これが予想以上に出来が良い。隅から隅まで、諸説にわたりすらすらと読み解いていく。注意すべき点を爪でチェックしようと待ち構えていたが、全くその必要もない。
「これは……素晴らしい。まさにお生まれが違っていらっしゃるとしか」
誰も彼も皆感激の涙を流す。右大将はまして、
「亡き祖父大臣が生きていらしたら、どんなに喜ばれたか」
と泣く。ヒカルもさすがに感極まり涙ぐむ。
「我が子とはいえ別の人間、親の思うようには中々、と感じることばかりでしたが……我が子がこうして成長していく一方で、親が代わりに愚かになっていくものなのかと思いました。私はまだ大して年も取っていないと思い込んでいましたが、いや早いものだ。世の中とはこういうものなのかと」
師の大内記は教え子の快挙に面目躍如といった体で、満面の笑みをたたえていた。
模擬試験の後は宴となった。
右大将みずから大内記に盃をさす。既に大分聞し召しているその顔はひどく痩せ細っている。大変な変わり者で、その才覚の割には重用されず、誰にも顧みられないまま貧にあえいでいたのだが、ある時ヒカルの目に留まり、このように特別待遇で召し出されたのだった。
それが若君を教え、期待以上の結果を出したお蔭で溢れんばかりの褒美を下賜され、生まれ変わったように生き生きしている。この先もきっと並ぶ者もない声望を得るであろう。
寮試本番の日。大学寮の門前には上達部の車が数えきれないくらい集まっていた。模試の噂が世に広がり、内大臣の息子の秀才ぶりをひと目見ようと異例の賑わいを見せたのだ。この見物人以外には上級貴族の姿はなく、大多数がみすぼらしい形の学生の中で、上等な服を着て従者連れで入る若君の姿はいかにも初心で、目立つことこの上ない。
例によって上から下まで品も無くむさ苦しい者が集まる場の、そのまた末席に座るのはさぞかし居心地が悪かったことだろう。
見物人が多かったことから、ここでもまた博士が静粛に!と大声で叱り飛ばす場面もあったが、若君はすこしも臆せず最後まで読み通した。結果、及第点をとり、晴れて擬文章生となった。今後もひたすら学問に身を入れ、師とともにいっそう励む。
この件で注目された大学寮は栄え出した。上から下まで我も我もと学問を志し集まってくる。今後は世の中に、学識のある有能な人材がどんどん増えていくことだろう。ヒカル自身も作文の会を頻繁に催す。呼ばれる博士や文人たちも水を得た魚である。全てにおいて、それぞれの道を究める人の才が発揮され、活かされる時代が到来した。
閑話休題。
これも最後の方はきっと紫式部の願望というか、理想の世界なんだろうなと思ったりします。当時の大学寮は創立の志とはかけ離れて、上級貴族は見向きもせず、学問第一どころか世襲やコネで水増し合格とかまかり通る機関に成り下がっていたといいます。
この巻のこの部分、女房さんたちはどう読んだのでしょうか。関係ないわ~と読み飛ばしたのか、非常に興味を持ち共感しながら読んだのか。誰に対してこの部分をここまで詳しく書き綴ったのか気になります。
ここには一切女房さんたちは出てこない。観ている人も、世話をする人の中にすらいない。完全なる蚊帳の外です。女性は漢籍に詳しいということが知れただけで変わり者扱いされる時代、極力知識を表に出さないよう、知らぬふりをしつつ宮仕えしていた紫式部が、この場面を書いた意味はどこにあるんでしょう。
思うに、この若君(のちの夕霧)を紫式部自身となぞらえての場面なのかもしれません。「男であったら」と父に嘆かれたそのとおり、自分自身のもうひとつの未来を描いてみせた。対象はやはり女性だと思います。この頃になると男性の読み手も増えてきてはいたと思いますが、やはり圧倒的多数の女性の読者に向けた。平安時代にも、男子と同じく学問をもっとやってみたいと思っていた女性は案外多かった、のかもしれません。
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