朝顔 五 ~源典侍日記④~
「どうでしたか……直後はお会いしていないので何ともいえませんが……まあショックを受けられていたでしょうし、諦めきれない思いもございましたでしょうし、時間が必要だったのでしょう、暫くは二条院にすら寄りつかない日々が続きました。紫上は『戯れにく』く、つまりシャレにならない思いを抱え、ヒカルさまの不在に堪えておられましたが、ひっそりと泣いてらしたのには気づいておりました。ええ、毎日ですね」
※ありぬやと試みがてらあひ見ねば戯れにくきまでぞ恋しき(古今集俳諧歌-一〇二五 読人しらず)
---そういえば内裏でよくお見かけしましたね。実際お忙しそうではありましたけど、お帰りになっていなかったんですね。ヒカル内大臣があのご訪問以来初めて西の対に来られた時、どの面下げ……失礼、どのような感じでしたか?
「(笑)私もどの面、とは思いましたけど、ヒカルさま此方に来られるなり
『あれ、何だかいつもと違ってない?どうかした?』
と紫上をそっと抱き寄せて髪を撫でられるわけですよ。そのラブラブなご様子、絵面の良さときたらもう。ズルいですよねホント。で、そのまま言い訳の嵐です。
『藤壺の女院さまが見罷られて以来、帝が厭世観にとらわれておられてね。とても目を離せない。摂政であらせられた故太政大臣の代わりもまだいないしで、とにかくしなければならないことが多くて忙しいのです。このところ二条院に殆ど帰れなくて、どうしたことか、今までにこんなことはなかったのにって不安になるのも当然だよね。申し訳ない。だけど今はこうしてここにいる。どうか安心して……何で泣いてるの?ずいぶん大人びてきたと思ってたけど、泣き顔はまだ何もわからない子供のままだね。可愛いなあ』
涙でもつれた額髪を撫でつくろうとなさいますが、紫上はいよいよそっぼを向いてしまわれます。
『こんなに子供っぽい振る舞い、いったい誰が教えたんだろう?』
優しく宥めておられましたが、内心それほどのことしたっけ自分?って思ってらっしゃる風なのはこちらからも窺えました。ここに至ってもまだ、心ここにあらずな感じも時折しましたしね。
『前の賀茂斎院とちょっとしたやり取りをしましたけど、もしや誤解してる?全然、見当違いだよ。まあ普通にわかると思うけど、昔からあの方は超余所余所しい人なんですよ。だからといってこっちまでつっけんどんにすることはないでしょ?親戚なんだし。何かと物寂しい折々には由ありげな手紙でも差し上げて、あちらも暇を持て余しておられればたまさかにお返事くれたりもするけど、超他人行儀だからね?だから、いちいちこうこうで、って不平をこぼすまでもないことなんだよ。貴女を不安にさせるようなことは何もない』
こんな感じで、一日中慰めておいででした」
---なるほど。いかにももっともらしい感じなのがまたアレですね。紫上もお気持ちを立て直すのが大変だったと思いますが、何をきっかけに誤魔化さ……いえ、仲直りされたでしょうか。
「今日のインタビュアーさん、本音がダダ漏れでとても素敵ですわ。ありがとうございます。そうですね、その日は雪がけっこう降りまして、お庭にも少し積もったんですよ。ヒカルさまは、
『時につけつつ、というけれど、人が心惹かれる花や紅葉の盛りより、冬の夜の澄み切った月の光が雪に照り映えた空こそ、色の無い世界なのに不思議に身に沁みて、この世ならぬ思いがして、面白さもあわれさも尽きない。冬の夜が興ざめだなんて誰が言った?とんでもないよね』
※春秋に思ひ乱れて分きかねつ時につけつつ移る心は(拾遺集雑下-五〇九 紀貫之)
と仰って御簾をみな巻き上げさせたんですね。広いお庭が雪ですっぽり覆われて、月が隈なくただ一色に照らしています。萎れた前栽の蔭も痛々しく、遣水の流れは咽び泣き、池の水はえもいわれぬ冷ややかさでした。そこにおつきの少女たちを下ろして、雪あそびをさせたんです。色とりどりの衵や帯をゆったり着こなして、まあ時間的にはもう寝間着姿といっていいんですけど、それはそれは可愛らしい眺めでした。大きな子の髪は裾より長く、雪の白さに映えますし、小さな子はそりゃあ喜んで走り回って、扇も落としたりして。みんなで雪を丸めようと頑張ったんですけど、大きくなりすぎて動かすこともできなくなって困っているのも微笑ましい。他の子供たちも東の縁先に出て、羨ましそうに笑っておりました」
---子供好きの紫上の目をそらすには一番のイベントですわね。扱いを心得てらっしゃる。
「そうなんです。また雪に映えるヒカルさまのお姿も一層光り輝いて、もうどうしましょっていうくらいのお美しさで。正直、紫上といえどもあまり話の内容は頭に入らなかったかもしれませんね」
---何かまた話されたんですか?昔の恋バナとか?
「さすがですね、ほぼ当たりです。
『昨年、故藤壺女院が御前に作らせた雪の山を思い出すね。昔から何処でもよくある遊びだけど、やはりそこは女院さま、他にない趣向を凝らしておられたよ。折々につけ早世されたのが残念でたまらない。隔てを置いてらしたから、あまり詳しいご様子を拝したことはないが、宮仕えの間には気安く頼ってくださっていたようだ。こちらも深く信頼申し上げていたから、事あるごとにご相談も持ちかけた。才長けてらっしゃるのに表には出さず奥ゆかしくいらした上に、何につけ当意即妙でちょっとしたことでも格別にうまくこなされていた。此の世にあれ程のお方はなかなかいらっしゃらないね。しなやかでおっとりしておられた一方で、奥深い嗜みも並ぶものがなかった。貴女は故女院さまの姪に当たるからよく似てらっしゃるけど、いささかきかん気で、才気が勝ちすぎているところが辛いよね』
女院さまベタ褒めでどうなることかと思いましたけど、最後に紫上を落すと見せて持ち上げるためでしたので、ちょっと感心しましたね。いや、やはり凄いですヒカルさまという人は」
---この危うい感じ、ご本人もきっと楽しんでますね。悪い癖です。紫上の反応は如何でした?
「半分呆れつつもまあ悪い気はしないってところですかね。おだてるにしても、こうやって少しずつっていうの上手いと思いましたよ。すっかり術中に嵌ってらっしゃいましたもの。で、その後でさり気なくこれです。
『例の前賀茂斎院のご気性はこれまた並大抵ではない。心寂しい時に何となくお便りをかわすのにも相当気を遣います。そのような文通相手も、もうこのお一方だけになってしまったけれどね』
完璧ですね、この流れ。いつの間にか怒る対象が消えてしまってます。すっかり梯子を外された感だけ残って、悔しい気持ちの持って行き所がない紫上、更なるむなしい一手を繰り出されます。
『尚侍の君は、やはり利発で奥ゆかしいところが誰より優れてらっしゃいますよね。軽々しい筋とは無縁な方でいらした人のお心を、どうやって動かされたのか不思議ですわ』
『ああ、そうだね。尚侍の君は、優雅な美女の例として是非引き合いに出さねばならない方だ。思えばあの方にはお気の毒なことをしてしまった。悔やんでも悔やみきれないよ』
涙ぐまれて、あら本当に反省しておられるのかしらと思いきや、
『とっかえひっかえなチャラい人って、年を取るにつれどんだけ後悔することが増えるんだろうね。他人よりはるかに大人しいこの私さえコレなんだから』
よくこんなこと仰られますわよね。本当に感心しました。次がまた凄いです。
『大堰の山里の方は、まあ貴女とは勝負にもならないけど、その身分には似つかわしくないほど物の道理は弁えているようで、その分プライドも高い。だからといって同列に扱うわけにもいかないからそこは見ないようにしてる。あの人より下というと、もう想像も出来ない、出逢う機会もないし。しかし、何もかもに優れた人と言うのは滅多にいないものだね』
ハイ、完全に煙に巻きましたね。
『そうそう、東の院に静かに暮らしている花散里の方は昔から変わらず、とにかく気立てが良く可憐でね。あんな風には中々いられないと思いますが、夜を過ごすことはなくとも怨むこともない。こうしてお世話するようになって以来、ずっと同じ慎ましい態度でね。今ではお互いに別れることは考えられない。これこそ深い情愛だと思う』
あの方については、紫上も色々察していらっしゃいます。決して悪くは言えない方をここで持って来られて、もうぐうの音も出ません。君はこの二条院に君臨してるんだから、少々の事で動揺しないでね的な結論ですかね。
そうこうしているうちに子供たちも引き上げ、月はいよいよ澄みわたり、静かな庭は情趣たっぷりです。すっかり毒気を抜かれてしまった紫上が溜息交じりに詠まれます。
『氷に閉じこめられた石の間の水には行く先はないけれど
空に澄む月の光は自由に流れてゆきますわね』
外をご覧になりながら、すこし体を傾けているお姿は愛らしいことこの上ありません。ヒカルさまもすっかり目を奪われ、随分長いこと、誰もいない庭の前でお二人寄り添っておられました」
---まあ、とりあえず仲直りして良かったと申し上げるべきでしょうか。側近の女房としては非常にピリピリされた数日間だったと思います。そろそろお時間も迫ってまいりましたので、他に何か仰られたいことがあれば、今のうちに。
「ありがとうございます。今回は、向こう様が断固拒否!という形でしたので救われましたが、危なかったですね。何しろハイスペックな方でしたから。今後も気が気ではありませんが、引き続き紫上をお守りしていこうという決意を新たにいたしました」
---なんと素晴らしい。側近の女房として理想的なスタンスですね。本日はまことにありがとうございました。
「こちらこそ、長々と聞いていただいてありがとうございました!また何かあれば、是非お呼びくださいね」
---はい、是非またよろしくお願いいたします。それでは、二条院からこの辺で失礼させていただきます。インタビュアーはお馴染み、源典侍でした。それでは、また。
プチッ。
参考HP「源氏物語の世界」他
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