朝顔 一
九月になり、姫宮は桃園宮邸に移った。そこにはヒカルの叔母である女五の宮も住んでいる。故桐壺院が内親王がたを特に大事に扱っていたこともあって、ヒカルも親しく交流していたので、これ幸いといそいそ訪問する。亡き式部卿宮と五の宮は同じ寝殿の西と東に分かれて住んでいたが、片方の主を喪った邸は早くも荒れた心地がする、物寂しい雰囲気に包まれていた。
ヒカルはまず叔母の五の宮と対面し話をする。宮はだいぶ老けこんでしまったかしょっちゅう咳き込んでいる。姉に当たる大殿の三の宮(故葵上の母)はまだ申し分なく若々しいのに、まったく似ていない。元からそうなのかもしれないが、声も不明瞭でなめらかさがない。
「桐壺院がお隠れになってからは何かと心細く思われまして、年を取るごとに涙がちに過ごしてまいりましたが……この度式部卿宮にも先立たれ、ますますあるかなきかの心地に彷徨っておりました。こうして貴方がお見舞いにお立ち寄りくださって、物思いもいっぺんに忘れられそうな気がします」
(畏れ多くも……随分とお年を召されたものだ)
ヒカルは思うが、あくまでうやうやしい態度は崩さない。
「父院亡き後は、さまざまなことにつけ世の中が変わりました上に、身に覚えぬ罪にも当たり、見知らぬ土地に流浪もいたしました。たまたま再び朝廷の数に入れていただけましたので、忙しくなり暇も無く、ここ数年来参上して昔を語り合うことも出来ず、ずっと気がかりなままでおりました」
「さてもさても驚くばかりの、どの方につけても定めなき世の中、まさに同じように過ごしてまいりました己が寿命の長さが恨めしきことが多々ございますが、貴方がこうして政界に復帰された喜びを見ないまま、途中で身罷っておりましたらどれほど残念であっただろうと思います」
声を震わせて、くどくどと話し続ける。
「まことにお美しくご成人されましたね。初めてお目にかかった時はまだ子供でいらしたのに、この世になんという光が現れたのかと驚きました。お目にかかるたび、何かに魅入られないかとまで思いましたよ。今上帝が大変よく似ていらっしゃると聞いておりますが、そうはいってもあの頃の貴方には見劣りあそばすのでは、とご推察いたします」
ヒカルは、
(普通、面と向かってここまで手放しでは褒めないものを)
とおかしく思いつつ、謙遜する。
「何を仰るやら。山がつとなって意気消沈していた年月の後は、すっかり衰えてしまいましたものを。今上帝のご容貌は昔の御代にも並ぶ者がなかろうと、ありがたく拝見させていただいております。間違ったご推量でございましょう」
「時々こうしてお目にかかれるなら、長い寿命がますます延びそうです。今日は老いも忘れ、憂き世の嘆きもみな消え去ったような心地がいたしますよ」
五の宮はさめざめと泣くが、口は止まらない。
「大殿の三の宮が羨ましい。貴方としっかりしたご縁ができて孫もおられて、親しくお目にかかることができるなんて。此方の、お亡くなりになった式部卿宮も、そう仰って後悔なさる折々がございました」
「なんと。もしそのつもりで親しくお付き合いさせていただいたならば、今頃はもっと思うがままに色々とお世話出来ましたのに。皆すっかり私をお見限られて……」
ヒカルは軽い恨み言の体で気色ばんでみせる。半分本気でもあったが。
彼方の御前に視線を映すと、一面に枯れた前栽が見渡される。この上なく風情あるたたずまいである。ゆったりと眺めるヒカルの姿や容貌は、実に慕わしく心惹かれるものだった。
その姿を御簾の奥からじっと見つめるものがいる。
久方ぶりでございます。源典侍でございます。優秀な女房たるものの常として、あちらこちらからお呼びがかかることがございます。ええ、侍従ちゃんのようにね。私も年は取りましたがまだまだ御用の口はあるようでございます。今日は桃園式部卿邸よりお送りいたしますね。
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