おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

朝顔 二 ~源典侍日記①~

2020年8月17日  2022年6月9日 
「源典侍日記」

「せっかくのこの機会を逃しては、あまりに愛想がないというものではないですか?是非彼方へもお見舞い申し上げなくては」
 ヒカル内大臣は埒のない女五の宮の長話を丁重にぶった切り、簀子伝いに西の寝殿へ向かう。戦闘開始である。
 ちょうど暗くなってきた時分で、鈍色の御簾に黒い几帳の透き影も美しく、追い風がなめらかに吹き通して雰囲気も申し分ない。さすがに内大臣相手に簀子では無礼と思ったか、南廂の下に入らせた。
 まず宣旨の女房が対面し挨拶する。
「今更、御簾の前でとはまた若者扱いでいらっしゃる。神さびた年月の労も数えられて、今は内外ともに許していただけるものと期待しておりましたが」
 女房伝てというのも物足りないらしい。流石にそれは無理ですわよとやんわり断りの言を返す。
「ありし世は皆夢と見なし、覚めた今も儚き世の有様に、思いの方向もはっきり見定められませんが、その労とやらは静かに考えさせていただきましょう」
 定めなき世に、定めなき心が定まることはない、そう思い続けてきたのだ、と。暗にヒカルの女癖の悪さもチクリと刺す。
「人知れず賀茂の神の許しを待っていた間に 
 長年辛い世を過してきたものよ
 斎院を退かれた今、どのような神の諫めにかこつけられようとなさいますのか。総じて、世の中に面倒事がありました後はさまざまな思いが錯綜するもの。せめて片端なりとも貴女の真意をお見せください」
 ヒカルも年の功ともいうべきか、簡単には煙に巻かれない。緊張感あるやりとりに俄然生き生きするさまは、まるで怖い者知らずの若い公達だ。少なくとも内大臣といった風情ではない。女房も応える。
「一通りのお見舞いの挨拶をするだけでも
誓いに背くと賀茂の神が諫めるでしょう」
「なんとつれないお返事か。ああ悲しい、当時の罪はみな科戸(しなと)の風にまかせて吹き払ってしまったのに。その禊を、神は受け入れなかったと?恋は許さぬと?」
※恋せじと御禊は神もうけずかと人を忘るる罪深くして(源氏釈所引、出典未詳)
恋せじと御手洗河にせし御禊神はうけずもなりにけるかな(古今集恋一-五〇一 読人しらず)
 ああ言えばこう言う。ヒカルにとってはただの言葉遊びにすぎず、つけ入る隙を探るのが目的である。長く斎宮の地位にあり、ただただ生真面目に生きて来た姫宮に太刀打ちできようはずもない。男性と縁づくどころか近づこうともしないその気性は、年月とともにますます頑なに固まってしまった。貝のように口を閉ざした姫宮に、応対する宣旨の女房も、周りの女房達も言葉に窮した。
「いやいや、何だか口説いているみたいですね。私はただ弔問に来ただけなのに」
 潮時とばかりに、溜息をつきつつ立ち上がるヒカル。
「年を取ると臆面もなくなるものですね。こんなにやつれた私の姿をさあご覧になって、と申し上げたところで、元々何の関係もなかったですもんね。ええ」
※君が門今ぞ過ぎ行く出でて見よ恋する人のなれる姿を(源氏釈所引、出典未詳)
 自嘲ぎみに言い捨てて出て行った後は、いつものように得もいわれぬ残り香が馥郁と薫りわたる。
 空が高く風情ある頃である。風に舞う木の葉の音につけ、過ぎ去った日々の情景がしみじみと蘇り、当時嬉しかったこと、悲しかったこと、浅からぬ思いと見えた瞬間を思い出さずにはいられない。きっと、あの姫宮も。

 夜明けとともにヒカルから手紙が届いた。あのような帰り方をして気持ちがおさまるはずもない。おおかた眠れぬまま朝を迎えたのだろう。朝露に濡れた季節外れの朝顔が添えられていた。
「けんもほろろにあしらわれてバツの悪い思いをした上に、すごすご追い返される後ろ姿をどうご覧になったのかと思うと、ますます悔しいですが。
 昔見た忘れられぬ朝顔の
 花の盛りは過ぎてしまったか
 長年積もりに積もったこの思い、さすがに哀れとばかりはご理解いただけるだろうか、とかすかに期待しつつ」
 やや嫌味ではあるものの案外と穏健な内容ではあったので、姫宮も
「この程度の手紙に返事もせず気を揉ませるのも、大人げないというものかしら」
 と呟く。周りの女房達もそれそれとばかり硯を用意し強く勧める。
「秋が終わり籬に霧が立ちこめる中
 あるかなきかに移る朝顔
 まさに似つかわしいものをいただき、ただ露に濡れる心地がいたします」
 その通りですと言っているだけの、特に面白くもない歌だが、きっと珍しく貴重なお返事として手放しがたく、じっくりご覧になっていることだろう。青鈍色の紙に書かれた柔らかな墨跡は、そのまま姫宮その人であったから。
 手紙において、その人の身分や筆跡などは重要な要素だが、そこに難がない場合でも、しっくりくる感じに他人に伝えようとすると事実をゆがめかねない。何だかんだと小賢しくひねくりまわした挙句物足りない文章になる、なんてことも多々ある。手紙は素直でシンプルが一番かもしれない。
 話がズレた。
 さてヒカル内大臣だがどう思っていたのだろうか。想像してみよう。
(考えてみると、今更若々しい恋文なんて似つかわしくない歳だし立場だし、我ながら痛くない?)
(でもさあ前からこんなだもんね。メッチャ拒否されてとりつく島一切なしってわけでもないのに、何も進展しないまま過ぎちゃった)
(逆に今だから!のワンチャンないかな?嫌われてはないもんね……たぶん)
 ということですっかり若返った気分のヒカル、せっせと手紙を送り続ける。

 足しげく桃園邸を訪れ、東の対に一人離れて宣旨の女房を呼び寄せ密談する。姫宮に伺候する女房達もいろいろで、さほどでもない身分の男にさえすぐに靡き、ましてヒカルともなれば自ら過ちを起さんばかりにキャーキャー大騒ぎの者もいる。つまり全く隙が無いというわけでもないのだ。
 だが姫宮は若い頃でさえしっかり距離を置いていたのを、今はまして誰も思いもよらぬ年齢であり立場である。
「ちょっとした木や草に付けてのお返事など、折々の趣を見過さずにいるのも、軽率だと受け取られないかしら」
 などと世間の噂を憚って、打ち解けたような気配は露ほどもみせず、昔のまま何も変えようとしない。およそ普通ではない、天然記念物めいた姫宮に、忌々しくも心惹かれずにいられないヒカルであった。
参考HP「源氏物語の世界」他
<朝顔 三 につづく 
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