朝顔 三 ~源典侍日記②~
「はい、こちらこそよろしくお願いいたします。言う気満々ですので、何でも聞いてください!」
---頼もしいお言葉ありがとうございます。では早速、このところヒカル内大臣のご様子は如何でしょう。
「西の対には殆どいらっしゃいませんね。というより、二条院自体にお帰りになりません。宮中でお泊りが増えました。実際お仕事はお忙しいようですが、今に始まったことではありませんし、たまに二条院にいらしても端近でぼんやり考え込んでらして、心ここにあらずって感じです。まあバレバレですね」
---なるほど。紫上はどんな感じで……差支えない程度で構わないのですが。
「ご存知のとおり、世間でもちょっとした噂にはなってますよね。幸い、誹謗中傷の類ではありませんけど。ヒカルさまが昔馴染みの前賀茂の斎宮さまに熱心にお手紙を出されていて、女五の宮さまも歓迎なさってるらしい、お似合いですわね~的な話に、紫上からしたらいい気持がするわけはありません。
『真剣に思いつめていらっしゃるのに、今までは素知らぬ顔で冗談ぽく言いくるめられたわけですわね。私と同じく皇族の血筋でいらっしゃるけれど、斎宮を長くつとめられて声望も高く、昔から別格扱いと聞こえているお方。そんなお方に殿のお心が移ってしまったらと思うと……長年、並ぶものもないご寵愛を受けて過してきたのに、今になって他の人に押しのけられようとは』
こう仰って、人知れず泣いておられました。この二条院に誰よりも長くおられる紫上が、その地位を奪われるようなことなどあるはずがありません。お気を強く、と慰めても、
『そりゃ、ここを追い出すようなことまではなさらないと思う。でも、私は所詮正式な結婚はしていただいていないもの。少女の頃から慣れ親しんだついでに、何となく妻になっただけ。扱いがそもそも軽いのよ』
なんて仰られて。違いますよ元から妻にしようと育ててらしたんですよ、軽いなどとんでもないとは申しましたが、ああ……やはりあの時のことは相当の傷になっている……今になっても、と胸を突かれました」
---内大臣から何のお話もないのでしょうか?匂わせるようなことも?紫上に対してはかなり口が軽い方とお見受けしていましたが。
「無いですね。明石の君の件は割とあけすけに仰ってたんですけど、全然です。実際さほどのことでも無いのかもしれませんけど、相手のスペックが高いですからね、今回は。戦々恐々ですよ。程々の相手とちょっとした浮気程度なら可愛く焼餅、もできましょうけど、シャレになってないので。心底お辛い時は、逆に顔に出されない方なんです。傍で見てると辛すぎて……」
---今年は女院さまの諒闇の年ですから、お祭りも催し事も結構中止になってますものね。誤魔化すのにも限度があるでしょうに、どういう言い訳をなさるのでしょう。そうはいってもお出かけの時は西の対に挨拶に来られるのでしょう?
「それなんです。暇なのもいけないんですよね……この間の夕方、雪がちらついて寒い日だったのですが、そりゃあおめかしなさって香もたっぷりたきしめて、
『女五の宮さまがどうも具合が良くないらしい。お見舞いに行ってきますね』
っていつものように仰るわけですよ。確かに嘘ではない、もうお年寄りですもの、そりゃ具合の良い時の方が少ないですわ。紫上のすぐ傍に軽く膝をつかれて、そっぽを向いたまま姫君をあやしてらっしゃる横顔に、
『どうかしましたか?この頃あまり機嫌がよろしくないですね。何か不都合なことでもあるのかな。塩焼き衣もあまり目馴れすぎると飽き飽きするかと、あまりこちらにも来ませんでしたが、よくなかったですか?』
※須磨の浦の塩焼き衣馴れ行けば憂き頼みこそなりまさりけり(源氏釈所引、出典未詳)
なんて白々しく仰って。
『馴れ行けば、間遠なるらむとはまさにその通り、辛いことが多いですわね』
※馴れ行けば憂き世なればや須磨の海人の塩焼衣まどほなるらむ(新古今集恋三-一二一〇 徽子女王)
紫上はもう涙ぐんでらして、背中を向けたまま臥せってしまわれました。そのまま置いていくのはヒカルさまもさすがに気が咎めたようで、躊躇っておられましたが
『もう約束してしまったから』
と結局は出掛けられました。その時は鈍色めいたお召し物だったのですが、それが薄闇に妙に似つかわしく、雪の光に浮かび上がる姿はこの上なく優美にございました。
『やっと京にお帰りになられて、幸せで……もうこれで安心と思っていたのに。もし、このまま心が離れて行ってしまったら、私はどうしたら……』
声を殺して泣いてらっしゃる紫上があまりにもおいたわしく、大丈夫ですよと背中をさすり続けました。そのまま一応お見送りもしたのですが、ヒカルさまが聞こえよがしにお供の方(いつもの側近でしたね)に話してらっしゃるんですよ。
『ああもう、宮中以外への外出は億劫だなあ。桃園邸は長年式部卿宮にお任せしていたから、こうなってしまっては私しか頼る者がいないと仰る。それももっともなことで、お気の毒ではあるんだけどね。ふう、面倒だ』
周りの女房達にも丸聞こえだったようで、
『またまた。お目当ては別でしょうよ。何もかも完璧な方だけど、こういう浮気心がおさまらないのは惜しいっていうか、玉の疵ね』
『軽率なお振舞いをなさらないといいけど』
などと囁かれておりました。さして詳しくも知らない人たちでさえこれですから、まったく言い訳になってないということです。……すみません、ちょっと話長すぎましたね。
---いいえ、全然。お辛いことばかり聞いてしまってこちらこそ申し訳ありません。まだまだ時間はたっぷりありますので、ここで少し休憩を挟みまして、後ほど再開したいと思います。よろしくどうぞ。
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