薄雲 七
「あっ王命婦さん!」
「いらっしゃい、お久しぶり!」
「ごめんねー長いことご無沙汰しちゃって。やっと新しい職場にも慣れたから、久々に遊びに来たくなったのよ」
「ご葬儀の前も後も大変だったものね……ささ、早く入って」
「お茶入れて来るね!」
「ありがとう。癒されるわ、いつものこの感じ。あ、これお土産ね」
「あらミニどら美味しそう!いつもごめんね、気遣わなくてよいのに」
「いいのよ、やっと私も色々食べられるようになってさ。最近のお気に入りなの」
「お待たせ~!まずはお茶お菓子~♪」
しばし近況報告と世間話に花が咲く。
右「そうそう、ウチの兄がさ、この間また大堰にお供したらしくって」
王「そっちも久しぶりじゃない?内大臣もお立場的に外出厳しいものね」
侍「明石のお方ってまだあんな山奥にいるんだー。全然こっち来る気ないの?」
右「梃子でも動かないみたいよ。そもそもお金に困ってるわけでもないし、田舎暮らしは元々だしって」
王「内大臣も、いくら自分の造ったお堂の管理もあるにしてもバツが悪いだろうにね。ご苦労さまって感じ。しかし頑固ね~あの方も(笑)」
右「せっちゃんも言ってたけど、趣味に走ったオシャレな暮らしを楽しんでるみたい。こんもり繁った木立の間からチラチラ見える篝火が、まるで遣水の上を蛍が飛びかってるようだねって王子が、
『こういう生活に馴れていなければ、さぞかし珍しい光景に思えたでしょうに』
ってからかったら明石の君がさっとお歌を詠んだんだって。
『あの明石の浦の漁り火が篝火となって
わが身の憂き(浮)舟を追ってきたのでしょうか
見間違いそうですわね、私の思いも』
で、王子からのお返し。
『浅からぬわが思いをご存知ないからでしょう?
篝火のようにゆらゆらと心が揺れ動くのは
誰れ憂きもの、とさせたのか』
※篝火の影となる身のわびしきは流れて下に燃ゆるなりけり(古今集恋一-五三〇 読人しらず)
※うたかたも思へば悲し世の中を誰れ憂きものと知らせそめけむ(古今六帖三-一七二六)
だからさっさとこっち(京)に来なさいよ、そんなウジウジ悩むんだったらさ~みたいな?」
王「あらまあ大変ね内大臣も。わざわざお出かけしてのご機嫌取り」
侍「うーん、王子相手にバッサリ切り込む感じは嫌いじゃないけど、正直メンドクサイかもこの方……せっちゃんて凄いわ」
右「まあアレよ、自分の立ち位置はあくまで死守ってことでしょ。王子もその辺わかってるから無理にも勧めないんじゃない?むしろあれだけ頭のいい人に来られたら、確かに面倒よ。この間の前斎宮の女御のことなんて即バレするわよね」
王「ああ(笑)せっちゃんから聞いたわ、よくやるわねー自分ちで。しかも娘として里下がりしてる、今を時めくお后さまに」
右「王子って数えで三十二でしょ確か。完全に勘違いしたオッサンよね。一周廻ってちょっと可哀想になっちゃったわ」
侍「推しとしてはフクザツ……いつまでも若くいてはほしいけど、ソレじゃない感はある、確かに」
王「しかも、よりによって一番の真面目女子にね。まあ、俺ならイケる的に思ったのか、ついいつもの癖で息をするように口説いちゃったのか、両方なのか。冷静に考えて、自分の母親の恋人だった男だし、保護者として見るのもギリって感じよね。無理筋にも程がある。こう言っちゃなんだけど、故女院さまのときとは全然違うのよ、歳も立場も」
右「……ちょうど話が出たから聞くけど王命婦さん、あれから大丈夫?ほら例の……」
王「内大臣なら、私にはもう何も聞いてこないわよ。だいたい故女院さまにしても私にしても、帝にそんなこと口が裂けても言うわけがないでしょうが考えなくてもわかるでしょって怒りのオーラバリッバリに出したからねあの時。とすると、もう一人しかいない。内大臣がピンときたかどうかは知らないけど」
侍「ヒッドイよねー何なんだろうねあのジジイ!守秘義務も何もあったもんじゃないわ!」
右「実際、何で今更そんなこと言い出したんだろうね?まったく必要ないことじゃん?」
王「大方、隠居したと思いきやまた中央に請われて残留したもんだから、もう一花咲かせるぜ的な感じでチョーシこいたんだと思う。貴方は罪を背負ってますよー不幸が続くのもそのせいですよー知らなかったんですか?私だけそれをわかってました!高僧ですからね!それを解消するには弊社のこの御札!ご祈祷!お布施ガッポリ!まいどありーてなもんよ」
侍「悪徳霊感商法じゃん!いくらオカルトチックな平安時代っていったって無いわーありえないわー」
右「あんなに年とっても名誉欲が消えないのね。悟りとは?って思うわホント」
王「その点女性の出家は楽ちんよー。勘違い男が変なアプローチしてこないだけでも快適そのもの。女院さまも、そこは気楽だったと思う。絵合の時も心底楽しんでいらしたもの」
侍「ああ……そうだったよねえ。しんみり」
右「だからこそ許せないわよねあの坊主。さっさと山に帰ればいいのに」
王「帝の方が厭がってお傍からそれとなく離したみたいよ。当たり前よね。精神安定のために付けたのに、まさか真逆をやらかすとは。あのジジイ絶対に許さない。二度と内裏には足を踏み入れさせないわ……!」
侍「そーだそーだ!全面応援!」
右「エセ坊主に天誅ー!」
閑話休題。
帝に秘密を洩らした老僧都に対する怒りで盛り上がる女房ズですが、はっきり紫式部さんも大嫌いだったんじゃないですかね、この手の僧職。誰あろう冷泉帝に、
(法師は聖といいつつも、道に外れた嫉み心が深く、嫌な者も多いから)
と言わせているのは、物語の中であっても帝であればギリ許されるわよね文句でないよね、という気持ちからかと思ったりもします。実際、このシーンの僧都は物凄い嫌な奴です。もったいぶって小出しにして食いつかせ、この頃の世間の不穏はアンタが知らなかったせい!ってオイオイって感じです。これで帝が慌てて更なる祈祷やらなんやらお願いしてくると期待したのか、返事を待ってるところも嫌ったらしいですね。いやそりゃそんな衝撃の事実、今まで黙ってたのに女院が亡くなった途端ここで言い出すお前も信用ならんって斬り捨てられて当然でしょう。営業失敗、って体でさっさと退出してく僧都の図まで描いた紫式部さん、余程普段から腹に据えかねることがあったんだろうなあなどと思います。
悪いことは罪のせい!親(下手すると祖父母、その前の先祖)の因果が子にも報いあり!祈祷して良くなれば坊主のお蔭!良くならなければ罪が重いせいだからもっと祈祷なりご寄進なりお布施なりしましょう!まさに現代でも見かける詐欺商法といっても過言ではありません。こういうお商売でどんどん金と権力を身につけていった僧職は、その後の時代に強大な武装集団ともなり朝廷を脅かします。平安のこの時点で、その欺瞞と危険性をこういう形で書き残している紫式部さんは、やっぱり並大抵の人ではありません。
参考HP「源氏物語の世界」他
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