おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

蓬生 三 ~侍従手記③~

2020年7月6日  2022年6月9日 
そんなわけで、数か月後にはアタシも忙しさに紛れてすっかり忘れてた。というか積極的に忘れようとしてた、っていう方が正しい。きっとあの叔母さまのことだから、最低限の援助はなさるだろうし、姫君はまあ好きなように生きていったらいいんじゃないかなーって。
 で、本気で忘れ去って、女子会の時に思い出しかけたんだけど、二条院だしね。その場じゃ無意識にストップかけちゃったんだと思う。翌日すっかり思い出して、慌てて様子を調べたのよね。
 で、ここからは伝聞。誰に聞いたかって?それはヒ・ミ・ツ♪

 卯月(四月)の頃かな、ヒカル王子が帰京後初めて花散里の元女御さまをご訪問したのって。紫上にだけ出かける旨伝えて、お忍びの体で二条院を出立したのね。数日降り続いてきた雨がまだすこし残ってて風情ある中に、月も差し出てムード満点の夕月夜。ああ昔の夜歩きを思い出すね~なんてゆったり呑気に牛車で移動してたら、ふと目の前に鬱蒼とした木立が。
「あれ?こんなとこにこんな森、あったっけ?しかも何となく見覚えが」
 と思った瞬間、木立の奥に原形をとどめないほど崩れかけた邸が見えた。
 大きな松の木に藤の花が咲きかかって、月影の下たなびいてる。風に乗って届く、そこはかとない香りが得もいわれず慕わしい。結構強い香りの橘と違って趣があるねーってことで乗り出して見てたら、ながーく枝垂れた柳が築地を覆うように乱れ臥してる。
「うーん、やっぱり見たことがあるぞこの感じ……待てよ、まさか」
 王子ピーンと来た!慌てて車を止めさせて、忍び歩きに欠かせないいつもの惟光さんを呼ぶ!
「ここ、ここってさ、もしかして常陸宮のお邸?」
「……さようでございますね」
 惟光さん、周囲をつぶさに観察しつつ冷静に返答。
「ここにいた人は、今も物思いに沈んで暮らしているのだろうか。きちんとお約束して訪ねるべきなんだろうけど、あまり大袈裟にするのも何だから……ちょっと入って問い合わせてみてくれない?ああ、よく確認してからにするんだよ、もう住んでいないかもしれないし(まさかね。多分、違う人だよね……?)」

 まさにその通り、姫君は「今も物思いに沈んで暮らして」いたんだけど、その日の昼寝の夢に故父宮が現れたんだって。凄いリアルな夢だったもんだから目が覚めても夢とは思えず悲しくて、何故か滅多にないシャキ神降臨!で、雨漏りで濡れた廂の端の方を拭かせたり、あちこちの御座所を取り繕わせたり、お年寄りしかいないからカタツムリ並のノロノロだけど、
「亡き父上を恋しがり流す涙で袂の乾く暇もないのに
 荒れた軒の雨水までが降りかかる」
 珍しく普通の貴族っぽく歌詠むまでしたのは、故父宮のお引き合わせなのか、ご自身で感じるところあったのか。何にし並じゃないわよね。

 惟光さんが邸内に入って、あちこち誰かいないかと探すけど、ぜんぜん人気が感じられない。
「やはり空き家か。行き来の道中にも覗いてみたけど、人が出入りしてる様子もなかったしなあ」
 諦めて帰参しようとしたその時よ。雲が切れて月が辺りを明るく照らし出したんだって。それで気がついた、格子が二間ばかり上がってて、簾が動く気配。エっ怖……って思いつつ、恐る恐る近寄ってそーっと訪問の合図をしてみたのね。そしたら年寄り特有の大仰な咳払いに続いて、超しわがれた声が!
「そこにいる人はどなた?どのようなお方ですか」
「惟光と申します。侍従の君と仰る方に対面をお願いしたいのですが」
「その方は他の所に行きました。ですが、同じように考えて下さってよい女房はおります」
「……そのお声、聞き覚えがあります。ここ、常陸宮さまのお邸でよろしいですよね?」
 女房さんからしたらここ何年も見たことのない狩衣姿の男性、しかも立ち居振る舞いもソフトで品がいいから却って
「もしや狐などに化かされてるのかしら」
 ってむやみに疑ってたんだけど、
「是非、詳しいお話を承りたい。昔と変わらないお気持ちで暮していらっしゃるなら、お尋ね申し上げようというお気持ちも、わが君には未だおありのようです。今宵も素通りしがたくて車を止められたので。どうお返事申し上げるかお聞きしたいだけなので、どうぞご安心を」
「オホホホ、ウチの姫君が心変わりするようなお方なら、こんな浅茅が原から移らずにいられましょうか。この現状からお察しくださいまし。こんなに年老いた女房めの心にも、それはそれは珍しいお心持ちでのご様子を拝見しつつ、長年過してまいりました」
 一気に警戒が解けて、年寄り特有の聞きもしないことを延々喋り続けるモードに入りそうになったから、面倒になった惟光さん、
「あーハイハイ。了解しました。まずはご報告して参りますねー」
 すかさずぶった切ってさっさと戻ったって。
 
「えらく遅かったな。どうだった?昔の面影も何もわかんないくらい草ぼうぼうだけど」
 待ちくたびれた王子に惟光さんが端的に
「かくかくしかじか~(略)で、やはりかの宮のお邸に間違いないようです。侍従の叔母?か何かで(これは間違いね)、少将とかいう老女が出てきたんですが、何もかも昔と変わらない様子でいらっしゃると」
「えっマジで?!それは……気の毒に。こんな恐ろし気な場所で、どういう気持ちで過ごしてたんだろう。あー、悪いことしちゃったなあこんなになるまで放っておいたなんて。ぶっちゃけすっかり忘れてたわ……どうしよ。こんな忍び歩きも最近はもう難しいから、よっぽどタイミングが合わないと立ち寄ることすら無理なんだよね。昔と変わらないご様子ってのも、なるほどあの人ならそうだろうな……うん……わかる
 なーんて言いつつも、ソッコーで中に入って感動の再会!って感じでは全然ないのよね。とりまお手紙書いてみる?……いやいや、きっと返歌が永遠に帰ってこないのも変わってないんだろうし(侍従不在なら尚更!ドヤ)、使いの者が立ち往生して困るのは目に見えてる。ってことで手紙は止めとこう、やっぱり直に行こうぜ!ってことになったらしい。惟光さん慌てて、
「いやー、もう何処に何があるのかわかんない草っぱらですし、小雨とはいえまだ降ってますからメチャクチャ濡れてます。すこし露を払わせますから、少々お待ちを」
「誰も尋ねないだろうが私こそは訪れよう
道も見えないくらい深く繁った蓬の奥に住む姫君の変わらぬ心を」
 王子はすっかり行く気満々で、さっさと車から下りちゃった。惟光さん、仕方ないので王子の進む先の露を馬の鞭でピシピシ払いながら先導。雨の細かい雫が秋の時雨とばかりに降り注ぐ中、惟光さん傘をさしかけつつ
「これぞ『木の下露は雨にまさりて』ですな」
 なんて雅に呟くけど、御指貫の裾はあっという間に濡れて重くなっちゃった。通ってた頃にもボロっちかった中門が、いまや跡形もなくなって、門の役割を全く果たしてない。誰かに見られる心配もないのだけは気楽だったらしいけど。

 姫君の方は、長い年月夢見ていた通りのことが実現して、驚くやら嬉しいやら、
「どうしよう……いくらなんでもこのなりでは
 って悩むくらいには普通に乙女だったのよね。ただ、あの叔母さまが贈ってくれた今風の衣裳には見向きもしない。古ーい女房さんたちが香の唐櫃に仕舞ってたこれもふっるーーーい衣裳を持ち出してきたんでそっちに着替えて、例の煤けきった几帳を寄せて座った。
 入って来た王子、立て板に水と語る語る。
「長年ご無沙汰をしてしまいましたね。私も心だけは変わらず貴女のことを思い続けておりましたが(嘘)何とも仰ってこられないのが恨めしくて、今まで様子を伺っておりました(嘘)。今宵、偶然にも杉ならぬ木立の『しるし』に足を止められ、根競べに負けました次第です」
 帷子をすこしずらしてみれば、いつもの如くだんまりの姫君。だけどさすがに、わざわざこんな所まで草ぼうぼうを掻き分けて来てくれたんだからって、姫君にしちゃありえないレベルの一世一代の勇気を振り絞って、蚊の鳴くようなお声でお返事されたんだって。
 王子、待ってましたとばかりに畳みかける。
「こんな草深い中過していらした年月のおいたわしさも一通りではございませんが、未だ変わらないご性分なのですね。貴女の心中も知らないまま分け入ってまいりました、私のこの裾の露けさ、どうお思いでしょうか?ここ数年のご無沙汰は、まず京の外におりました以上、どなたからもお許しいただけることかと。今から先、もしお心にかなわぬことがございましたら、言ったことと違うじゃないか!という罪も負いましょう」
 ああ、懐かしいこの、なんも響かない感じ……!なーんて楽しんでたかどうかは知らないけど、こういう、以前から()愛情深く思いを寄せてましたー的なよくある口説き文句を、如何に白々しくなく、真実かのように……いや、違うな。真実であろうが嘘だろうがもう何でもイイ!どうでもイイ!って女に思わせちゃうその手腕ね。持って生まれた魅力、キラキラ☆オーラ、何だかよくわかんないけど半端ないわよね。さすがはこの侍従ちゃんのいち推しキャラよ……!
 とはいえ、建物もその周りもお泊まりどころか長居するのも無理って状態だから、そこは体よく言い逃れして帰り支度よ。
「『引きて植ゑし松』ではないが、松の木の高さが流れた年月の程を思わせますね。夢のようだ。
松にかかった藤の花を見過しがたく思ったのは
松が私を待つという、貴女の家の目印だったのですね
 思えば月日も積もりましたね。都では変わってしまったことの方が多くて、さまざま胸が痛みます。そのうち『鄙の別れに衰へし』私の苦労話もすべて申し上げましょう。あなたの長年の悲しみも、私以外の誰に訴えることができましょうか。心底そう思います。これもまた不思議な話ですね」
※引きて植ゑし人はむべこそ老いにけれ松の木高くなりにけるかな(後撰集雑一-一一〇七 凡河内躬恒)
※思ひきや鄙の別れに衰へて海人の縄たきいさりせむとは(古今集雑下-九六一 小野篁)
 そしたらさ、姫君が!何となんと、サクっと(かどうかはわかんないけど今までからしたらとんでもなく速く)返歌した!
「長年甲斐もなく待ち続けた我が家を
あなたはただ花をご覧になるついでにお立ち寄りになっただけなのですね」
 やや古臭い、よくあるテンプレとはいえ、ちくっと刺しつつ思いを伝える、普通の歌テクを披露したのよ!あの!姫君がよ!ビックリだよね!しかもさ、これなら古風な衣装とお香ってのがベストセレクトよ、叔母さまの今風オサレ衣裳じゃなくさ。ヤッバ!超成長してるじゃん姫君!
 そのうち月は入り方、西の妻戸の開口部からメッチャ明るく光が射しこんで来る。そりゃそうよね、遮るはずの渡殿も建物も、軒の妻も全然残ってないんだもん。そんなわけで昔のまんま変わってない、古びてくすんだ調度類が、月光に浮かび上がるわけよ。それこそ「忍ぶ草にやつるる」んじゃなく雅な感じよね。塔を壊してウンタラっていう昔物語にもあったけど、時を経た物ってそれだけで愛しいっていうかさ、胸を打たれることあるよね。
※君しのぶ草にやつるる故郷は松虫の音ぞ悲しかりける(古今集秋上-二〇〇 読人しらず)
 姫君は相変わらずひたすら引っ込み思案で碌に口もきかないんだけど、なんだかんだお育ちが良いなりの気品はあるし、奥ゆかしいと言えば奥ゆかしい。そこを無理くりにでも取り柄と思って、忘れず面倒みよう!とは思ってたんだよね王子も。自分以外にそこまでする人いないのもわかってたしさ。それをここ数年、他の色んなことにかまけてウッカリ抜け落ちて、放置しちゃってたのはさすがに可哀想だったなー、てふかーく反省はしたんだよね。そういうとこはやっぱ、並の男とは違うよねえ。
 その後、花散里にももちろん立ち寄ったんだけど、こっちはこっちで人目に立つような華やかなイマドキ感は全然ない所だから、案外大差はなかったんだけど……まあ、いつもより相当キレイに見えたのは確かよね(笑)。

 ヒカル王子も今や内大臣さまだから、賀茂の祭とか御禊とかの準備にかこつけて、色んな人に色んな物を山と献上されるんだよね。それをまた身分に応じて仕分けして、心付けする。特に常陸宮邸には細心の注意を払って、側近のご家来衆に命じて下人も遣わせたみたい。草を払わせたり、邸の周りを板垣で囲って修繕させたりね。ただ、さすがに今更お通い所だって噂になるのはお互い世間体が悪いんで、王子自らご訪問することはしなかったみたい。その代りお手紙をまめに書いてた。
「今、二条院の東に新たな邸を造っています。いずれそこにお移し申し上げましょう。もう少しお若い女房か童女など心当たりはないですか?もし見つからなければこちらで手配します」
 生活全般の保護って感じね。蓬が這い上るあのお邸で、碌に居場所もない下々の者にまでその恩恵が行き渡って、女房さんたち皆天を仰いで王子の住む方角に向って拝んでたらしいよ。
 王子の恋人っていったらきっと、一晩限りの相手でもハイレベルで、ありふれた普通の女性には鼻も引っ掛けないって世間には思われてたし、実際殆どはそうだったらしいけど、常陸宮の姫君っていったいどんな存在だったのかなあ?確かにとんでもなく個性的ではある。あんなお方は他には絶対いない。ある意味激レアな人よね……あそこまで窮地に立たされても、なお王子を待つ!って残り続けたその気概は、誰にも負けないんじゃないかな。とんでもなく運がいいというか……鋼の一念でムリヤリ引き寄せたというか……前世からのお約束っていうには凄すぎる関係だと思うわ、つくづく。
 
 で、そうなってくるとまた人間の性ね、もはやこれまで!ってあちこちに散っていった女房さん達が上から下まで、我も我もと先を争って戻ってきた。もちろん王子のお蔭もあるけど、何やかんやあの姫君って面倒臭くないのよ。過度な要求なんて全然しないし、文句も嫌味も言わない(そもそも殆ど口きかない)大人しーい方だから、仕える方としてはメチャクチャ気楽だったわけ。
 そこでラクして来たのに気づかず、中堅どころの受領の家なんかに転職してみたら、今まで経験したことない程多忙だったり、ゴチャゴチャいらないこと言われたりで、え……?実はあのお邸ってかなりマシな職場だったんじゃ……ってなった人も多かったみたい。ゲンキンなもんだけど、まあ仕方ないかもね。
 何せヒカル王子は以前と比較にならないご威勢だし、今まで放置してた負い目もあるもんだから、ますますキチンと面倒みるようになって、細かいところまでしっかり指図して整えさせてた。それですっかり邸も活気づいて人も増えて、お庭も見違えるほどキレイになったのよね。王子の所では人多すぎてパッとしなかった家司さんが、ここなら目立つ!とばかりに遣水掃除して、前栽の根元をさっぱりさせて、超気合入れて頑張ったのね。まあ、このお邸も東の院が出来るまでだから、二年かそこらの話なんだけどね。

 あ、叔母さまにはちゃんとお手紙出しといた。エーマジでー!って超ビックリしてたけど、まあよかったわこれで安泰ね、って胸を撫で下ろしてた。ホントにねーどれほどご自分が色んな人に心配されてきたか、きっと一生何も気づかないままなんだろうな、あの姫君は。ある意味すごいハッピーな人だわ。

 というわけでこの手記もこれでお終い。お読みいただいた貴方、どうもありがとね!疲れたから寝るわ!じゃまた。
参考HP「源氏物語の世界」他
<関屋 一 につづく
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過去記事の改変は原則しない/やむを得ない場合は取り消し線付きで行う/画像リンク切れ対策でテキスト情報追加はあり/本や映画の画像は楽天の商品リンク、公式SNSアカウントからの引用等を使用。(2023/9/11-14に全記事変更)(2024/10より順次Amazonリンクは削除し楽天に変更)

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