おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

絵合 四

2020年7月22日  2022年6月9日 
ヒカルはもとより予想していたことではあったので、二条院で探した時点で特に良いものばかり選り抜いて揃えていた。あの「須磨」「明石」の二巻は思い入れが強いこともあり、献上した絵巻物の中に紛らせた。
 権中納言もまた「望むところ!」とばかりに更に気合を入れて絵を揃える。
「今から新たに描くのではない。手持ちのものを出すように」
 という建前だったが、素直にいうことを聞く権中納言ではない。他人は立ち入らせない秘密の部屋を準備して、こっそり絵師に描かせていた。
 朱雀院からも、梅壺に絵巻物が差し入れられた。
 年中行事である節会の様子を古の名人たちがそれぞれ見事に描いた絵に、延喜の帝が手ずから主旨を書き込まれているという非常に興味深く趣ある巻物に、ご自身の御代の出来事を加えて仕立てたもの、更に、院が特に印象深い場面……例の大極殿での斎宮下向の儀式……を絵師の巨勢公茂(こせのきんもち)に描かせた巻物、どちらも実に素晴らしい出来であった。 
 優美な透かし彫りのある沈の箱に対となる心葉のさまなど、今風で洒落ている。手紙などはなくただ口上のみ、院の殿上に伺候する左近中将を使者とした。大極殿に御輿を寄せた神々しい場面を描いた絵に、
「我が身はこのようにしめ(注連・内裏)の外におりますが、あの当時の
 心の内を今でも忘れずにおります」
 とあった。畏れ多くも、四苦八苦しつつ返歌を考えた。昔の簪の端を少し折り、
「今おりますしめ(内裏)の内は、しめ(注連)の内にいた頃とは違う心地がして
 神に仕えていた遠い昔のことを恋しく思われます」
 と書いて縹色の唐紙に包み渡した。使者へも丁重に禄など下賜した。
 院はいたく心を揺り動かされる。
「ああ、私が今在位中であったなら。ヒカルにはしてやられたな……まああの立場にあれば、誰でも当然こうするだろうが……」
 朱雀院の手持ちの絵は母大后伝いに、弘徽殿女御の方にも多く集まりつつあった。尚侍の君も絵の審美眼は人一倍優れているので、絵師に描かせては送り込んでいたようだ。

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 こんにちは、藤壺の中務でございます!早いもので、もう本戦当日となりました。弥生三月二十日、帝の御前での「絵合」が遂に始まります。急なことで準備も大変でしたが、大変面白く風流なさまに整いましたので、まず会場の様子から詳しくご説明させていただきますね。
 左右両陣営の絵は全て、御前に引き出されます。参戦する女房たちが伺候する辺り、一番近い所ですね、そこに帝の御座所を設けまして、その北と南に左右それぞれのメンバーが座ります。殿上人は後涼殿の簀子上にめいめい見やすく聞きやすい場所を陣取って控えられております。
 左方は、紫檀の箱に蘇芳の花足、敷物には紫地の唐錦、打敷は葡萄染めの唐の綺にございます。女童六人は赤に桜襲の汗衫、衵は紅に藤襲の織物で、子供ながらピンと背筋を伸ばし、誇らしげなその表情、並々ならぬ気概が感じられますね。
 右方は、沈の箱に浅香の下机、打敷は青地の高麗の錦、脚結いの組紐、花足の趣など、いかにも華やかでモダンな設えにございます。こちらの女童は青色に柳の汗衫、山吹襲の衵といったクールな色味で揃えています。
 あ、左右から女童が出ていきました。皆で帝の御前に絵を並べ立てています。帝付きの女房は、左方につく人が前に、右方が後ろに座りますが、それぞれわかりやすいように装束の色も分けています。
 帝のお召しにより、ヒカル内大臣さまと権中納言さまはもちろんご出席です。たった今、帥宮親王が御前近くにいらっしゃいましたね……故桐壺院の御子である帥宮さまは、自他ともに認める風流人、特に絵については造詣が深くいらっしゃいます。仲良しのヒカルさまから内々に勧められたのでしょうか、ふらりと立ち寄った体で何気なく簀子の上に座ってらして、慌てた殿上人の一人が帝にお伝えした、ということのようです。焦りますよね、隣に親王さまがいらしたら。お茶目な方です(笑)ちなみに、本日の判者をつとめられるとのことです。
 さあ対戦がはじまりました。
 ご覧のとおり、どの絵も非常にクオリティが高く、筆の限りを尽くしたものばかりですね。素人目には全く優劣がわかりません。決着をつけるには相当時間がかかりそうです。
 今出ている左方の四季の絵、古の名人たちがその研ぎ澄まされた感性で選びぬいた題材を、巧みな筆先で流れるようにさらりと描いているさまが、得も言われぬ美しさです。ただ、紙に描かれた絵というものはどうしても幅に限りがあり、山水の豊かな風景の趣をあますところなく写すことは出来ません。とすると、如何に切り取るかが問題となってきます。
 その観点からすると、右方の、いかにも現代風といった絵も、決して左方の古典的な絵に劣るということはないでしょう。絵師自身の心の赴くまま、筆先ひとつで狭い紙の中に創られた世界が生き生きと息づいて、観る者を楽しませる。その点ではむしろ右方のほうが優れているかもしれません。いずれも甲乙つけがたいこの論戦、前回よりはるかに盛り上がっていることは確かでございます。
 朝餉の間の障子は開けはなたれ、御簾越しに藤壺の女院さまもご覧になっております。あっ、今内大臣さまが女院さまを御指名されました。絵については殊の外精通しておられる女院さまです、こうして判定がまごついた折などにはご意見をうかがうこともあるようです。なにもかも、まことに理想的な環境での対戦でございます。

 暗くなってまいりました。左右の勝負は未だついておりません。次で両者最後の対戦となるでしょう。さあ、左方はどのような絵を出してくるでしょうか。
 『須磨』です!最後の最後にあの『須磨』の絵巻が出てまいりました!
 会場は騒然となっております。権中納言さまも、明らかに動揺してらっしゃるようですね。ヒカル内大臣さまご自身があの流浪の日々に、心のたけを思うさま描ききったこの絵巻物に、どんな絵師のどんな絵も、太刀打ちできるわけもございません。
 ああ……帥宮親王をはじめ、間近でご覧になっている皆さまは涙が止まらないご様子です。あの当時は皆が「お気の毒に」「悲しいこと」と思ってはおられたでしょうが、それは正直他人事としての感情でございます。ヒカルさまご自身が、あの時どのような風景の中で暮らしておられたのか、どのようなお気持ちでおられたのか、ただ目の前の事のようにリアルに迫ってまいります。須磨という土地の、見たことも無い浦々、波打ち際の磯の様子まで、隈なく描ききってらっしゃいます。
 草書体に仮名文字を所々書き交ぜて、あ、途中途中に歌など混じっておりますね。正式な記録といった風ではない、あくまで自由な形式に、またしみじみ胸を打たれます。続き、この続きはないのでしょうか……是非とも見てみたい、誰もにそう思わせる『須磨』でございました。すみません、わたくしもいささか興奮しすぎております。
 本日のこの会場に居合わせた誰もが、我が事のようにすっかりこの世界に入り込んでしまって、他の絵の印象など消し飛んだ形になりました。まさに全てを持って行ってしまった、左方の『須磨』。ここに至り勝負あった、と申し上げてもよろしいでしょう。本日の絵合、左方の梅壺が文句なしの勝利を収めました。
 まだまだ会場は湧き上がってございますが、この辺でわたくし中務の実況は終了とさせていただきます。御清聴、まことにありがとうございました。

参考HP「源氏物語の世界」他
<絵合 五 につづく 
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