蓬生 一 ~侍従手記①~
ヒカル王子が須磨の浦で「藻塩垂れつつ」(楽しく)詫び暮らしをしてた頃、都に残された王子の彼女たち、何人いるのかアタシも正確には把握してないけど、そりゃヤバい!ってなるよね。自分の生活基盤がちゃんとしてる人ならまだいい、二条院とかはさーそりゃ色々と不安だし大変だろうけど、手紙もやり取りしてたし、衣装を縫って届けたりもしてさ、交流はあったわけじゃん。まずもって生活の心配は無かったしさ。でも、そうじゃない人もいたんだよね。「末摘花」で出て来た常陸宮の姫君みたいに。
この姫君、父親王が亡くなって以来他にはお世話する人もいない身の上で、ヒカル王子に出会った時点でもうすでに先行きがヤバい感じだったんだけど、王子のお蔭ですっかり持ち直したんだよね。まああの頃の王子の威勢なら、お小遣い程度のちょっとしたボランティア~って感覚だったんだろうけど、あの姫君およびあのお邸の女房さんたちからしたら
「大空の星の光を盥の水に映したような心持ち」
ってやつ。いわゆる王子のキラキラ☆オーラのおこぼれを物理的にも貰ってたってわけ。
なのにあの、急転直下の大騒動でしょ。普通に仲良くしてた人達ですらおちおち連絡も取れなくなって(迷惑かけちゃうからね)、そんな中であえてご機嫌伺いすべき人なんて限られてるもんね。超バッタバタだったし、そりゃあ忘れるわ、うん。当然須磨に旅立った後に思い出すわけもなく、手紙も援助も途絶えちゃった。それでもある程度蓄えは出来てたから、暫くは泣いてるだけでも過していけたけど、収入ゼロのままいつまでも持つわけないからね。
昔からいる女房さんたちにもお手当払えなくなってきちゃって、
「まったく残念なご運勢ですわ。せっかく、神か仏か!というような方の思いがけないお心寄せを受けて、何と素晴らしいことと有り難く拝見しておりましたのに。心変わりなんて世間ではよくある話ですけど、他に誰も頼りにできないこの有様は悲しすぎますわ」
とかなんとか愚痴りながら、一人また一人といなくなっちゃう。なまじ一時期いい目見ちゃったがために、元に戻った時点でもう耐えられなくなっちゃうのね。世知辛いけどどうしようもない。昔からの女房さん達はお年寄りも多かったから亡くなる人も出てきて、どんどん人数が減っていったのね。
アタシ?もちろん時々は様子見に行ったよ?王子とのやり取りはアタシが殆どやったんだもん。まあ一応、姫君とは乳きょうだいってやつだしさー、行きがかり上とはいえ、見捨てるには忍びなくって。そうそう、大輔命婦さんもう宮仕えはしてないんだよねー。王子が須磨行くちょっと前辺りかな、サクっと当時の彼氏とご結婚。寿退職ってやつね。さすが手堅い真のリア充。寂しいけどまあ仕方ないわ。
ちょうどその頃からかなー、もとからボロっちくはあったんだけど、王子の庇護で少しはマシになってた常陸宮邸が一気に荒れちゃってね。もう完全狐の住処。手入れも何もしてない・できない伸び放題のこんもりした木立は昼も真っ暗で超不気味、朝晩梟の声はするわ、得体の知れないあやかしみたいなのが出るわでヤバかったわ……家鳴りとか、フワフワって何かがよぎったとかさ、人がいない分何でも怖く思えるんだよね。たまたま残ってたベテラン女房さんが溜まりかねて、
「まことに困ったことです。やはりこの窮状をどうにかしなくては。この頃、受領の中には風流な家造りを好む者もいて、この宮の木立を気に入って手放されないか?と人伝てにご意向伺いに来ています。思い切ってそのお話に乗って、こんな恐ろしげではない、もっとマシな場所に転居なさっては?居残って仕えている者からしたら、とても耐えられるものではありませんわ」
なんて提案したんだけど、
「とんでもないことです、この邸を売ってしまうだなんて。外聞も悪いし、まずわたくしの目の黒いうちに、形見を何もかもなくしてしまうなんてできましょうか。こんなに恐ろし気に荒れ果ててしまったけれど、父や母の面影がまだそこにある気がして、古びた中にも慰められるのです……」
とかなんとか、あの超絶無口&無反応な姫君がよ?泣きながら熱く語るわけ。
調度類もユーズド感ある今時珍しいアンティーク作家物がけっこうあるもんだから、生半可に通ぶった、いわゆるニワカが欲しがってさいさい来るわけよ。生活に困ってるのも見た目にバレバレだから、足元見てくるのよね。さっきの女房さんが、
「背に腹は代えられません。食べていくために売れる物は売る、それが世の常というものでございます」
って、極力目立たないようにこっそり商談して、せめて今日明日の日銭を稼ごうとしたわけ。そしたら姫君が何でかすぐ気づいて激おこ。シツコイようだけどあの姫君が、よ?
「この邸に残っている物は皆、亡き父君が私のためにと心をこめてお造らせになったのですよ。どうして軽々しく他人の家の飾りになどさせましょうか。父君の遺志に背くことだけはなりません!」
即刻止めさせたもんだから、ベテラン女房さん遂にキレて出て行っちゃった。かなりデキる人だったし、彼女なりに何とか改善しようと思ってのことだったのにね。
そんな感じで人は減る一方、まして訪れる人なんてほぼ皆無な邸だったんだけど、何とあの方兄君がいらしたのよ。しかも禅師!いつもは山寺かどっかにいて、たまさか京に出て来たときだけ顔見せに来るんだけど、この方がまた姫君以上のズレた……いや古風な人でさ。普通お坊さんっていったら世知に長けてて、コミュ力も高かったりするもんだけど、ま―この人の浮世離れっぷりっていったら半端ない。何しろ邸のどこが壊れてても、草や蓬が生い茂ってても、ぜーんぜん全く、気にしない。なんもしない。眼中にないんだよね。これから妹の暮らしがどうなるかなんてましてや考えるはずもない。
そんな調子だから、庭は一面雑草で表面見えないし、蓬が軒の高さに追いつかんばかりに生い茂ってるし、西や東の門まで蓬が封じ込めてるのはいいとして、崩れかかってる垣を馬や牛なんかがノシノシ踏んで歩くもんだから、もはや道と敷地との区別も何もわちゃくちゃ。春や夏にはその辺の牧童が、もう平気で邸内に放牧しちゃうわけ。
八月(現九月)の台風の時期には渡り廊下が軒並み落ちちゃって、下人が住まう粗末な板葺きの雑舎なんかいくつもあったんだけど、骨組みしか残ってない。まあ下人もいないからあんまり困りはしなかったんだけどね。そんなわけで炊事の煙も上るはずもない、腹ペコのままでよく一日過ごしてたっけ。(見かねて差し入れしたこともあった!)
何しろ見た目が草ぼうぼうの崩れかけた廃屋?て感じだから、情け知らずの盗賊も金目のもの無さそうってわかるんだろうね、寄りつきもしなかったから防犯的には逆に良かったのかもしれない。ただ奥の寝殿の中だけは往年と同じ設えで、滅多に拭いたり掃いたりする人もいなくて埃は積もってるんだけど、そこだけ見ればまごうかたなき荘厳なお住まいってやつよ。そこで日がな一日ぼんやり暮らしてた。
別に何もやることもないんだし、たわいもない古歌や物語なんかに没頭して逃避できればいいんだろうけど、そういうのに興味がない方なんだよねー。別に気の利いたこと言わなくてもさ、急ぎの用じゃなくても、なんとなーく気の合う同士で気軽ーにお手紙出したり出されたり、若者ならその辺の草や木がどうしたこうしたって、超どうでもいい話でも盛り上がれちゃうと思うんだけど、とにかく!お堅い!っていうか頑固っていうか、まさに親がキッチリ育てたその通り、四角四面。世の中は怖い所で用心しなきゃ~だから、文通してもよさそうなちょっとした知り合いにも、自分からすすんで仲良くなろうとはしないんだよね。で、ふっるーい厨子を開けて『唐守』だの『藐姑射(はこや)の刀自』だの『かぐや姫の物語』だの、これまた古い絵物語だけ、暇潰しに眺めてる。
古歌っていっても、好きなものを選り抜いて、テーマやら詠み人やら意識して楽しむんなら発展があるってもんだろうけど、こっちも四角四面な紙屋紙に陸奥紙の厚ぼったいのに、ありがちな昔の流行り歌が書いてあるだけってやつを、見るともなしに広げたりしてるだけなんだよね。何が楽しいのか、正直よくわかんないわアタシには。
亡き父君や母君を慕ってる割には、読経や勤行なんかも全然しないしさ。平安女子の間じゃステキデザインの数珠とか持ってオシャレ尼カツ!って流行ってるけどそういうのには絶対乗らない。確かに、出家もしてないのにそういうことするの、本来的にはオカシイってのはわかる。その気概はアッパレっていってもいいのかもしれないけどさあ……何でそこは異常に拘るのに他は?って思うよね。お坊様を呼ぶお金もない、供養もままならない状況だってのに。
しかもあの姫君、後見する人が誰もいないって言ったけど、別に天涯孤独じゃないんだよ。例の禅師の兄君じゃいてもいなくても同じっていうかアレだけど、もう一人いるのよ。姫君の母方の叔母さまで、受領の妻に収まった人。
宮家から受領だからかーなーり家柄や身分的にはランクダウンって感じだけど、生活には困ってないし、娘さんたちを大事にお世話してて、いい感じの女房さん達をこの邸に出入りもさせてたんだよね。「全く知らない所に奉公するよりは、一応実家といえる場所に」って感じでね。でも姫君があの通り超がつく人見知りでとんでもないコミュ障だから、仲睦まじく和気あいあい~ってことには全然ならない。仕方なくアタシとよく話してたんだけど、
「姫君の母君、つまり私の姉には随分と軽蔑されてたわ(遠い目)、宮家の筋とあろう者が妥協して受領ふぜいに!なーんてね。面汚しとまで言われちゃあ、どんなに姫君が困窮してようがお見舞いする気にもならないわよ、ねえ?」
姫君とは真逆の、言いたいことズバズバはっきり言っちゃうサバサバ系のオバチャンでさ、ああこれは合わないわーわかる~って感じだった。決して悪い人じゃないんだけどね。何やかんや言いながらも気にはしてて、定期的にお手紙も出したりしてたし。
高貴な人のお暮しなんて全く知らないのに、上辺だけ真似して如何に他人にマウント取るかが生き甲斐!みたいな人も多いけどさ、そういうのとは違うんだよね。元は凄いお家柄で曲りなりにもハイクラースな空気の中で生まれ育ったものの、あえて実を取ってランク落した結婚してすっかりそっちに馴染んじゃった系?
「このままじゃこの家も絶えちゃうわよ。受領のなんのって下に見てる場合じゃないでしょ。何とか姫君を引っ張り出して娘たちをお世話させないと。コミュ障だしセンスが古臭いし頑固だけど、そこが逆に後見役としては絶対安心!ではあるからね」
なんてことを目論んでて(ちょっとそれは無理っぽくね?ってアタシは思ってたけど)
「時々は私どもの邸にもお越しくださいな。琴の音を聞きたがっている者もおりますよ」
って誘うけど、行くわけがないよね。アタシもこの叔母さまにせっつかれて、渋々勧めたりもしたけどさあ、そもそも姫君は他人と張り合うどころか、ただただ引っ込んでいたいお方なんだよね。何度来ても何を言っても、さっぱり打ち解けないのはお高くとまってるとかじゃなく、仕様なのよ単に。
そうこうしているうちにこの叔母さまの夫が太宰大弐になって、娘さんたちはサクサク結婚決めて、一族郎党筑紫に下ることになったのね。叔母さまも懲りない方でさ、姫君をなおも誘おうとするわけ。
「遙か遠方に赴任することになりました。姫君の心細いご様子、常にお見舞いしていたわけではないにせよ、近いからという安心感があったからこそ。今はとても気の毒で心配でなりません」
とかなんとか、傍で聞いてるといかにも姪を案じてるって感じで、上手に言いくるめようとしてるんだけど、例によって梨のつぶて。暖簾に腕押し。糠に釘。って風情だから、
「あのね姫君。よーく現実を見なさい?こんな古臭い、崩れかけて草ぼうぼうのお邸に住む貴女を、大将殿が大事に思い続けてるわけないでしょうが。誇り高くおられるのは結構だけど、今日明日の暮らしさえままならない現状をどう思ってるわけ?」
正論よね。でも、何も響かない。何一つ。
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