おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

明石 十 ~源典侍日記③~

2020年6月5日  2022年6月9日 
ついにヒカルの君が京の都に帰って来た。
 僅か数人であった供人は迎えの人々で膨れ上がり、住吉への願解きもままならないほどの大所帯となったという。一行は難波方面で祓いを行うと、まっすぐ京へと向かったのだ。
 一行が二条院に到着すると、上から下まで泣くやら笑うやら叫ぶやら、天地がひっくり返ったような大騒ぎとなった。当日の奥つ方の様子は少納言さんの証言に詳しい。以下に記す:
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 二条院の少納言です。私でお役に立てるか自信がないですが……事実のみ、ですか。了解です。
 ヒカルさまは、もちろん真っ先に紫上のもとに渡られました。
 ついに再会したお二人の喜びようは、それはもう……言葉には言い尽くせないほどでした。紫上は今まさに花ざかりの美しさで、毎日見ている私たちでさえ見惚れますのに、まして二年半ぶりのヒカルさまには信じられないほどの成熟ぶりだったでしょう。
「これからはずっと一緒……」
 離れ離れになった時はもう生きている甲斐もないとまで仰っていた紫上が、嬉しい涙に頬を濡らしながらうっとりとヒカルさまに寄り添ってらっしゃる。これ以上の幸福な眺めがございましょうか。
 なのに、ヒカルさまときたら……出てしまいました、例の癖が。
「明石で見た夢のことを話そう……」
 紫上の輝くような笑顔は一瞬にして曇ってしまわれました。
 確かに、話すべきことではあるんです。いつまでも隠し通せるわけもない、そのうちお子さまが生まれるわけですし、他から話が流れる前に自分からっていうのもわかります。でも、今ですか?って事なんですよ。二年半ずっと不安に耐え続けて、立派に二条院を守り抜いた紫上なんですよ?ほんの数日、いえたった一日だけでもいい、何も考えず最高の幸せにどっぷり浸っても罰は当たらないじゃないですか。……ああ、すみませんこれは私の愚痴ですね。後で削除しといてください。
 向こうでの話にサラっと織り交ぜられたので、聞きたくないと拒否するタイミングも何もありません。黙ってお聞きになっている紫上の心中はいかばかりかと、ハラハラしながら見守っておりました。ヒカルさまの話しぶりは決して大袈裟なものではなく、淡々としていましたが、それ故にその方への浅からぬ思いが透けて見えました。
「身をば思わず」
 紫上はそう呟かれると、そっぽを向いてしまわれました。「忘らるる身をば思わず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな」の歌ですね、右近と称される方の(偶然ですが凄い巡り合わせですわね)。ヒカルさまは嬉しそうに微笑まれて、
「二年半という歳月の間、日に日に美しくなる貴女を見ることが出来なかったのが私にとって最大の罰だよ。どうして今まで離れていられたのか、貴女と。信じられない。今は、一瞬も貴女から目を離してはいられないのに」
 そっと手のひらで頬に触れ、抱き寄せます。
 ほんっとうにもう、いい加減にしてほしいものですね。何をしたいんでしょう。わざと妬かせて確認、て感じなんですかね。いまや紫上ほどヒカルさまを理解し、愛している女性はいないというのに。
 その後、明石に帰られる人にこっそりお手紙を言付けられたようです。そこはむしろ当然ですよね、隠さなくてもよろしいのに。あと五節の君とか、花散里の辺りとか色々。五節の君はともかくとして、花散里の方には直接出向かれて、心配なさってた元女御さまにお顔を見せて差し上げたらきっとお喜びになると思うんですけど、帰って以来夜歩きどころか、軽い外出すら殆どなさらないんですよ、紫上と離れたくないからって。何だか気を遣う方向が変ですよね。そこじゃない感満々ですよ。……すみません、際限なく色々出てきそうですので、この辺で終わらせていただいても……はい、ありがとうございます。いえいえこちらこそ。お疲れさまでございました。

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 ヒカルはまもなく元の位に復し、権大納言に就任した。家来たちもしかるべき官職を賜り世に復帰する。枯れたとみえた木が春に一斉に芽を吹きだしたような、まことにめでたい流れであった。
 十五夜の月が美しい夜、ヒカルは朱雀帝からのお召しを受け参内した。御前に伺候すると、女房達の間からどよめきが起こる。
「何と、ますます男ぶりが上がってらっしゃる」「あのような辺鄙な所に二年以上もお住まいになっていたとは思えない」「素敵……」
 故院の在位時から仕えている古参の女房などは感極まり、涙が止まらない。
「よく、帰って来てくれた。本当に変わらないね、華やかで堂々としていて」
 朱雀帝は長引く病でやせ細っていたが、常より気を遣って装束を整えたのだろう、姿は美しく、目に力があった。
「昨日今日ととても調子が良くなっていてね。これでもう治っていくのだろうと思う」
 ぽつりぽつりと昔話を語りあっていると、度々帝の目に涙が光る。
「このところ涙腺が緩くていけない。ああ、管弦の遊びも久しくしていないから、貴方の楽の音を聴きたいものだな」
 ヒカルは暫く黙ったまま、ただ帝の姿をじっと見つめていた。虫の声が微かに遠くから聞こえる。ヒカルは視線を外さないまま詠んだ。
「大海原を前にうち萎れうらぶれながら、蛭子(ひるこ)のように
 立つこともできず三年を過してきました」
 古事記の国生みで、伊邪那岐・伊邪那美から生まれた蛭子は足腰が立たぬまま流された。だが私はこうして帰って来て、今この国の中枢に立つ。
 かなり挑戦的な歌だ。帝の顔にさっと朱が走った。
「こうして宮柱をともに巡り、再び逢えたのですから
別れた春の恨みはお忘れください」
 帝もまたヒカルを見つめた。ややあって帝は柔らかく微笑むと、今上帝として権大納言ヒカルに対し、初めて言葉を発した。
「故桐壺院のために法華八講を催したい」
 と。
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