澪標 一
「あら侍従ちゃん、もう読んだの?早いね」
「え、だって、朱雀帝!!!ヤバくない?実はラスボスなの?!」
「いやーね侍従ちゃん。典局さんの独自解釈☆スピンオフよ」
「わ、わかってるけどさ。中納言ちゃんに見せたら喜びそうかなって」
「いや、絶対真に受けるから止めといた方が……それよりさ、随分変わったよねえ内裏の雰囲気も。去年十月の法華八講、ヒカル王子が仕切ったんでしょ?入道の宮がなさった時とはまた違う重厚感があって素晴らしかったわよね」
「あーホント!ホントそれ!やっぱりヒカル王子の存在よ……ってもう王子じゃないもんね、権大納言か。……何か呼び名が一気にオジサンくさくなってない?やっぱ王子でよくない?」
「そうねー(笑)もうこうなったらずっと王子でいいかも、面倒だし。そろそろ譲位らしいから、きっとまた官職変わるよね」
「えーマジで?早くない?まだお若いじゃん朱雀帝。すっかりお元気にもなったみたいだしさ。目の調子もいいんでそ?王子とも相変わらず仲良しで、しょっちゅう呼び出して色々相談してるみたいじゃん」
「まあアレよ、自由の身になって尚侍の君をガッツリ囲い込みたい気持ちが大きいみたいよ?あの方あれだけのことがあって、女御になることは絶対無理だしお子さんもいないし、かといって仕事に生きるってタイプでもないし、内裏に居場所無いもんね」
「確かに。父君はいないし、大后さまも寝込んでるしで、もう頼るのは朱雀帝しかいないんだね……あああつら!他人事ながらつらすぎる!」
「ヒカル大納言も言い寄ってるみたいよ、未だに」
「あ!王命婦さん!」
「いらっしゃい。……やっぱり大納言付けると何かヘンよね(笑)」
「そうなのよね、私も違和感ありまくりなんだけど、ウッカリ公の場で『王子』なんて言っちゃったらマズイからさ。まあそのうち大臣になられると思うから、ちょっとの我慢かな」
「さすがトップキャリア……意識が高いわん」
「話戻すけど、王子まだ尚侍の君にちょっかい出してんの?懲りないわね」
「さすがにスルーしてるみたいだけどね、帝もご存知なのよ。
『昔から、貴女にとっての私はヒカルに遠く及ばない、常に二番目以下の男だったでしょうが、私の思いは他の誰よりも深く強い自信はある。ただ、貴女のことだけを愛しく思い続けてきました。私は何もかもヒカルには敵わない。しかしヒカルは、もう一度貴女の望むような関係になったとしても、私ほどの愛情はかけないだろう。そう思うと本当に堪らなくなる。
どうして、私と貴女の間にせめて子供だけでも生まれなかったのか……残念です。ヒカルとならばすぐにでも出来るだろうね。ただ親王ではないから、臣下として育てることになるのだろうけど』」
「え……きっつう。サラっと凄いこと言っちゃってるけどこれも天然?典局さんのアレ、フィクションだよね……?」
王命婦は微笑む。
「さあ、どうなのかしら。ただ、尚侍の君は相当反省されてるみたい。まるっと帝の言う通りだしねヒカル大納言の愛情とやらは」
「王子はねー、変わらないわよあの感じは一生。それに引きかえ帝のこの一途さ、それゆえの酷薄さ。たまらないわあ(うっとり)」
「エエエ……右近ちゃん、何かいつもと役割が違う……ちょっとアタシにはわかんないかも……」
「さて、私もそろそろお勤めに戻らないと」
「春宮さまの元服式もうすぐだもんね。つくづく働き者だわね王命婦さん」
「あー、春宮さまこの間久々にチラッとお見かけしたけど、すごい背が伸びてて、そっっっくりだねえ(小声:王子に)」
「気遣ってくれてありがと侍従ちゃん。あまりに生き写しなんで入道の宮さまが超ハラハラしてる。でもまあ、腹違いとはいえ弟だから似てて当たり前なのよ、うん」
「そうそう☆大小イケメンが揃って、華やかでいいわよね!」
「いよいよ新しい時代が来るわよ、楽しみね。では」
「あっそうだ打ち上げ!女子会やりましょう!」
「王命婦さん、連絡するね!またね!」
閑話休題。
ヒカル帰京後まもなく行われた故桐壺院の追善のための法華八講、対外的には「故院が起こした様々な祟りを鎮める」のが主目的であり、その結果朱雀帝の体調は回復したが、大后の病状は変わらなかった。つまり朱雀帝は世間が創り出した物語の内にあり、リアリストである大后は一貫してその外側にいた。この二人のスタンスの違いをくっきり書いてる紫式部さんもまた、現代人が思う平安人のイメージとは大分かけ離れたリアリストといえるでしょう。本気でそういう神仏の霊験を信じていたとしたら、二人ともたちどころに治癒したって書きそうですもんね。
そういう観点からいくと、ヒカルの夢の中に現れた故院が語った「罪」も当然ヒカル自身の内部にあるものでしょう。「罪」という言葉を纏った亡き父を求める心が、追善供養の形で昇華され、ヒカルは桐壺帝に庇護された自らの少年期~青年期と訣別します。「澪標」はみおじるし、とも読む、通行する船に水脈や水深を知らせるために目印として立てる杭のことです。試練を経て、心身ともに自立した大人として生きるヒカルの物語が、ここからまた新たに始まります。
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