澪標 六 ~中将のおもと@六条が語る~
朱雀帝が譲位されたことで斎宮も代替わりとなり、御方さまともども伊勢から京に戻ってまいりました。ヒカルさまは以前と何ら変わりないご様子でお見舞いの手紙を下さり、何くれとなくお心を砕いてくださいましたが、御方さまは
「関係が続いていた頃でさえあれほど冷淡でいらしたのだから、あまり距離を近くしてはまた同じことになりかねない」
ときっぱり線を引いてらっしゃいました。ヒカルさまの方も、立場上自由な夜歩きもそうそう出来なくなりましたし、実際に多忙でもいらしたようで、強いてお出ましになるということはございませんでした。ただお手紙にはいつも「前斎宮さまはどうしておられるか」とありました。
帰京にあたり念入りに改修し調えた六条の旧邸は、とても優雅なお住まいにございました。暮らしぶりは変わらず風雅で、優れた女房たちが揃い、知る人ぞ知る風流人の集う場として、物寂しい中にも気の晴れるようなことも多々ございました。
ところが御方さまが突然重い病に罹られたのです。身体が悪くなると気も弱くなるものとはいえ、御方さまは斎宮さまとともに伊勢で……仏道を忌む地で何年も過しておられたことが良くなかったのではないか、などと思い詰められ、ついには髪を下ろしてしまわれたのでした。
お噂を聞きつけられたヒカルさまが急きょお見舞いにいらっしゃいました。
「驚きました、まさか出家なさるとは……貴女とはもう色恋という仲ではないにしろ、やはり風雅を語る相手として最高のお方と考えておりましたのに」
御方さまはその頃はもう一日寝たきりでいらっしゃいましたが、それでもヒカルさまのご訪問を受け、枕元に御座所を設えて脇息にもたれながらお返事をかえしてらっしゃいました。弱弱しいご様子は御簾越しのヒカルさまにも伝わったようで、
「ああ、どうかお楽にしてください。いつまでも貴女とこうして話をしていたい。昔と何も変わっていない、私の心ざしのほどをやっとこれからお見せできようかと思っていますのに」
泣きながら仰られました。
御方さまもまた万感胸に迫られたのでしょう、
「娘は私に先立たれたら、誰も頼りになる方がおりません。どうか、何かのついででも構いませんから面倒を見てやってくださいませんか?まだまだ親が必要なお歳ですのに、本当に可哀想でなりません。わたくしも何の力も無い身ながら、今しばらく平穏に生きながらえているうちはお世話申し上げようと思っておりましたが、大人になられる姿は見られそうにありません……」
息もたえだえに泣きながら訴えられます。
「そこまで仰られずとも、この私が放って置くはずがありません。力の及ぶかぎり、万事後見させていただきます。遠慮など無用、ご安心を」
力強く仰るヒカルさまの頼もしさに、御方さまはいっそう涙を流されながらも、きっぱりとこう仰いました。
「ありがとうございます。でも、とても難しいことです。実の父親など後をみる親族がいてさえ、娘が女親に先立たれることは大変な苦労をともないます。まして他人の貴方であれば、外からはご寵愛と見られ、つまらぬ嫉み妬みで他人から心を置かれることも起こり得ましょう。いやな気を回すと思われるでしょうが、わたくしの娘には決して、色めいたことはお考えくださいますな。わたくし自身の経験と引き比べてみましても、女というものは思いのほか気苦労の多いものでございますから、どうか、色恋からは離れた後見をしていただきたく、切にお願い申し上げます」
「……私もこのところ年相応に、何事も分別がついてきましたのに。昔の、まだ若い頃の私と同じかのように言われるのは心外ですね。まあそのうちにおわかりになると思いますが」
ヒカルさまは苦笑されながらも、お約束は守りますと仰ってくださいました。いつしか外は暗くなり、内は大殿油が灯され、御簾越しにほのかに透けて見える時間となっておりました。ヒカルさまはもしかしたら……几帳の隙間から窺っておられたかもしれません。実際、ふらふらと揺れる火影の下、切りそろえた尼削ぎで脇息に寄りかかっていらっしゃる御方さまは、絵に描いたように美しく胸を打つお姿でした。帳の東面には前斎宮さまが添い伏しておられ、頬杖をついて悲し気に母君を見つめておられます。長く豊かな髪がお召し物にかかるさま、頭の形、立ち居振る舞いは上品で気高い一方、小柄で可愛らしい方です。もしヒカルさまがご覧になっていたとしたら、きっとたった今御方さまに釘を刺されたことも忘れてしまいそうなくらいには。
「とても……苦しくなってまいりました。畏れ多いことですが、もうこの辺で……お引き取り下さいませ」
ぐったりなさった御方さまを寝かせようとしておりますと、ヒカルさまがすかさず
「こんなに近くで直に話が出来て、伺った甲斐がありました。少しでもご気分が上向かれれば嬉しかったのですが……おいたわしいことです。大丈夫ですか?」
と仰って御簾をくぐらんばかりに覗きこもうとされるので、さすがに制止させていただき、御方さまの代わりに応えました。
「容態はかなり悪うございます。病状からすると、本当にこれで最後と思われる折にお越しくださいましたこと、まことに深いご宿縁といえましょう。ずっと心配されていらしたことを少しでもお話できましたので、これでもう思い残すことはと……」
ヒカルさまは涙を拭われ、居ずまいを正されました。
「私を遺言を承る一人として考えてくださり、恐縮至極に存じます。数多いらっしゃる故院の御子たちの中で仲睦まじいとまでいえる方は殆どおりませんが、故院が今上であらせられた頃『前の春宮の御子は我が御子も同然』と仰っておられましたことをよく覚えております。私もようやく大人といえるような年齢になりましたが、まだお世話すべき姫君も持たず寂しく思っていたところでした。どうか安心してお任せください」
よく聞こえるはっきりとした声で仰られると、すぐにお帰りになられました。
その日から一週間を少し過ぎて、御方さまはお亡くなりになられました。まことにあっけなく、はかない人の命にございます。ヒカルさまは内裏へも参内せず、あれこれと葬儀などの手配をすすめてくださいました。何しろ他に頼りになる方はいらっしゃらないのです。斎宮時代の宮司など、前々から出入りしていたわずかな方たちが諸事を仕切りました。
ヒカルさまも自らいらしてご挨拶をなさいます。
「何をどうしたらよいのか…」
前斎宮さまが女別当を介して伝えられますとヒカルさまは、
「母君は私に、是非貴女の後見をとお願いされました。私ももちろん快諾し、遠慮無用と申し上げました。今は隔てなど取り払っていただければ嬉しく存じます」
と仰るや、私たち女房を全員呼び、すべきことをテキパキと割り振られました。その頼もしいことといったら、長年ヒカルさまをあまりよく思っておられなかった宮さまも、さすがに考えを改められるほどでございました。葬儀や他の法事も、あちらの邸の家司たちを大勢動員され、まことに厳かかつしめやかに営まれました。宮さまはただ静かに精進され、御簾を垂れこめて勤行三昧の日々を送っておられました。
ヒカルさまからは毎日のようにお見舞いが届きます。一通り終わって徐々に落ち着いてきてからは、宮さま自らお返事も書かれるようになりました。初めは何を書けばよいのか……と戸惑っておいででしたが、乳母などに
「内大臣さまに対し、大変畏れ多いことでございますよ」
と再三促されたのです。
雪や霰が降りしきる寒い日にも使者が来られて、
「ただ今の空をどうご覧になっておられるでしょうか
ひっきりなしに雪や霰が降り乱れる空を、亡き人が
まだ家の上を天翔けていらっしゃるのだろうと思うと悲しみが尽きません」
お若い宮さまのお目に適うようにと、薄曇りの空のような色の紙に心をこめて書きつけられたそれは、目が眩むほど素晴らしいものでございました。
宮さまはすっかり気後れしてどう返事をしようか迷っておられましたが、誰も彼もが
「代筆はいけません。大変失礼にございます」
と口々に責め立てるので、たいそう香をたきしめた優美な鈍色の紙に、墨付きの濃淡をつけつつ書かれました。
「消えそうになく降り(経り)つづけるのが悲しく思われます
毎日涙にくれて我が身が我が身とも思えないこの世で」
遠慮がちではありますがとても素直な書き方で、筆跡は特に優れてはいないものの上品で可愛らしい、まさに宮さまご自身といった書風にございました。
正直申しまして、私も他の女房たちも大層心配しておりました。ヒカルさまは私どもが伊勢に下向する辺りから、前斎宮さまに対して少なからぬご関心があるようにしか見えなかったからです。まして御方さま亡き今なら、いつでも直に言い寄ることが出来る。そうなったところで、世間的にも珍しい話ではありませんし、別に悪いことでもありません。何しろ相手は内大臣さまなのです。御方さまのご遺言は重々承知しておりましたが、私どもでは止められる気がいたしませんでした。
しかし、予想に反しそういう事態にはなりませんでした。さすがに御方さまが生前あれほど懇々と仰ったからなのか、それとも、宮さまを政治の手駒として使う心づもりが勝ったのか、わかりませんが、とにかく一貫して「父」として接していらっしゃいました。
懇切丁寧で誠意あふれるお手紙を下さり、しかるべき折々には直接邸を訪れ、
「畏れ多くも亡き母君の縁者とお思いになって、遠慮なくお付き合いいただければ本望でございます」
とまで仰るのですが、宮さまは無暗と恥ずかしがる奥手なお人柄で、微かにお声を聞かせることすら世にもとんでもないこと、とまで思っておられました。私たち女房もお返事に困り、いくら何でもこれでは……どうしたものかしら……と愁えておりましたが、結果としてそれくらいで丁度良かったのかもしれません。
ヒカルさまがそれとなく私たち女房の素性や教養の程を探っていらしたことは気づいておりました。はっきりとは仰いませんでしたが、初めから入内させることをお考えだったのでしょう。それは別に構わないのですが、宮さまのご容貌についても執拗に聞き出そうとされるのには閉口いたしました。やはり実の父親と全く同じ心持ちにはなり得ないということなのでしょう。ともあれ、種々の法事などは滞りなく完璧に取り仕切っていただいたので、まことにありがたいお志だと宮家の人々も大層感謝され、喜び合っておられました。
とりとめもなく日々は過ぎてゆきます。御方さまという女主人を喪った邸からは女房たちも一人また一人と去っていき、ますます寂しく、心細さのみまさります。場所が下京の京極辺りですので人通りも少なく、聞こえるのは山寺の入相(いりあい)の鐘の音だけ。その音に添うように、声をあげて泣いてばかりいらっしゃる前斎宮さま。思えば、この母娘は片時も離れることなく常にご一緒でした。伊勢への下向も、前例のない付き添いを無理にせがんだのは宮さまです。それほどまでの繋がりであったのに、死出の旅路をともにたどることは叶わなかった、と涙の乾く間もなく嘆いておられました。
お傍仕えの女房は、身分高めの方から下賤の者まで幅広くおりましたが、ヒカルさまは、
「たとえ乳母たちといえども、決して自分勝手な判断で事をすすめてはならぬ」
と父親らしくきつく戒められたので、皆すっかり緊張し、これまで以上に神経を使いお互いに注意しあって、色めいたことはおろか匂わせることすら一切ございませんでした。
ただ、ひとつだけ気がかりなことはございました。御方さまがご存命の頃、朱雀院さまからそれとなく参内のご所望があったのです。
「私のところにはかつて斎院を経験した宮もおられる。こちらで気楽に過ごされたらどうだろうか」
どうもあの伊勢下向の日、大極殿での厳かな儀式の折に、宮さまを見初められたようでした。ただ御方さまはあまり乗り気ではありませんでした。
「そんな高貴な方ばかりが伺候されている所にとてもやれないわ。余程大勢の後見役をつけないと……でもそこまで余裕はないし、畏れ多いことだけれど院が病気がちでいらっしゃるのも心配。悩みの種だけ増やしてしまうかも」
その御方さまも身罷られた今の状況で、誰が後見をして差し上げられましょうか……それでも院は諦めず、懇々切々と仰せになります。まもなくヒカルさまの知るところともなりましたが、相手が相手なので撥ねつけるわけにもいかず、随分思案なさっておられたようです。
遂に今上帝への入内が決まったと聞き、私もようやく決心がつきました。かつて六条の御息所と称された、素晴らしい女君に長年仕えた古参の女房として、この華々しい次世代の始まりをこの目で見られただけでも本望でございます。髪を下ろし、里に戻って、御方さまの菩提を弔いながら静かに暮らそうと思っております。
私の話はこれでおしまいです。最後まで聴いていただき、ありがとうございました。ご縁があればいつかまた何処かでお逢いできるやもしれません。それでは、また。
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