おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

須磨 十

2020年5月14日  2022年6月9日 
二条院の紫上からの悲痛な手紙は、殊の外ヒカルの胸を打つ。
「浦人の潮汲む袖に比べてみてください
 波路を隔てた都で独り袖を濡らす夜の衣を」
 一緒に届いた衣裳の色合いや仕立て具合などは完璧な出来だった。紫上が人並以上に何事も器用にこなすことは知っていたが、それでも予想を超えるクオリティに舌を巻きながら、
「海と山しかない、フラフラ夜歩きするような場所もないここなら、あちこちで誰かのご機嫌取る必要もないし、二人落ち着いて暮らせそうだよね。ああ無念だ……」
 夜も昼も紫上の面影が目に浮かび離れない。
「やっぱり、こっそり呼び寄せちゃう?」
とも思うが、
「いやダメだ。絶対噂が広がってバレる。危険な目に遭わせちゃうかもしれないし……精進しよう」
 と明け暮れ勤行して煩悩を払う。
 大殿の若君からの返信も届く。しみじみ寂しい気持ちになるが、あちらは祖父母である左大臣夫妻が健在で、乳母の他女房達も大勢ついている。
「ま、大丈夫でしょ。そのうち逢える日も来るきっと」
 そもそもこの時代、子供は妻の実家で育つものではあるし、さほど心配していないのだった。

 伊勢の宮から直々に見舞いの使者が尋ねて来た。相変わらず、言葉の選びよう、筆跡など抜きん出た優美さで、教養の深さがうかがえる。
「お手紙にありました、未だ現実とは思えないお住いのご様子、無明長夜の闇に惑われているかとお察しいたします。とはいえ、さほど長い年月を過されることもございますまい。ただ罪障深いわたくしのみ、再びお目にかかるのは遠い先のことでしょう。
 辛く寂しい思いをしている伊勢の海人をも思いやってください
 やはり涙にくれてらっしゃるという須磨の浦から
 何かと不穏な世の有様ですが、これから先はどのようになっていくのでしょうね」
「伊勢の海の干潟で貝採りをしても
 何の甲斐もないのはこの私です」
 思いつくまま筆を置いては書き、を繰り返したのだろう、白い唐紙四、五枚ばかりを継いで巻紙にしている。墨つきも見事だった。
「うーん、改めて凄いとしかいいようがない。そうだよな、こういう類まれなる知性と趣味の良さに惹かれて言い寄ったんだし。葵が亡くなった時……今考えると完全にこちらの気の迷いだよね。なのにあの人のせいだと思い込んであんな文を送ったりして、そりゃ呆れてもういいやってなるわ……」
 と、珍しく反省して心底申し訳なく思うヒカル。伊勢からの使いの者を二、三日逗留させて話し込んだ。
 使者は侍所の家来だった。詫び住まいゆえに、普通ならヒカルと対面することのない身分の者でも間近で接することになる。それなりに教養もある若い使者は、ヒカルの容姿や立ち居振る舞いの素晴らしさもさることながら、心のこもったねぎらいの言葉に、なんと立派な方かと感激して涙ぐんだ。
 返事は殊更に気合を入れて長めに書いた。
「こんなふうに都から離れなければならない身とわかっていたら、いっそあなたの後を追っていけばよかったものを、などと思ったりします。徒然と、心細いままに
 伊勢人が波の上で漕ぐ小舟に乗ればよかった
 須磨で浮海布など刈って辛い思いをするよりは 
 海人が海揚げる投げ木(嘆き)の中で涙に濡れ
 いつまで須磨の浦をこうして眺めているのでしょう
 再びお逢いできるのが何時になることやら、と思うと悲しみは尽きません」
 
 花散里の姉妹からは悲しみ全開の便りが来た。何事も控えめな普段のイメージと違うのがかえって味わい深く、慰められる。
「荒れていく軒の忍ぶ草を眺めつつ
 涙の露で濡れそぼつ袖です」
「なるほど、八重葎より他に後見する人もいないと。『長雨に築地が所々崩れて』ともあるな」
 よーし合点承知!とばかりに、京に残した家司のもとに命令を出し、近在の荘園の者たちを徴用、修理をさせるよう取り計らった。
 何だかんだと忙しい(楽しそうな)日々を送るヒカルなのであった。

参考HP「源氏物語の世界」他
<須磨 十一につづく>
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