須磨 五 ~オフィスにて~
「わー王命婦さんだー!いらっしゃーい!」
「いらっしゃい。この頃はよくこっちなのね」
「そうなの。春宮さま付の女房の数減らされちゃってね。入道の宮さまと私たちでシフト組んでる状態よ」
「えっそうなんですか?!酷くないですか、春宮さままだまだお小さいのに。あっお茶入れてきますね!」
給湯室に去る侍従。
「お小さいとはいってももう六つになられたし、並より賢くてしっかりされてるから本人が寂しがるとかじゃないんだけどね。ただ、人少ななままで置いとくのはちょっとね」
「なるほど……物騒だものね、色々と。ヒカル大将もいなくなることだし」
「右近ちゃん察しが良すぎるわ。まあ、そんなところよ」
「お茶いれてきましたー!えー?何の話?」
「さっき春宮さまのところにヒカル大将からお手紙が来てね。今日の夜遅くに出発らしい。もう準備は終わってるみたいだから、今は二条院でゆっくりなさってるはず」
「さびしいいいい。ヒカル王子のいない内裏なんてつまんないよう。一体いつ戻って来られるのかなあ……」
「ぶっちゃけどんな感じなの?王命婦さんの目算では」
「そうね……あくまで自主的な謹慎だから、ほとぼり冷めた頃に何か理由つけてってつもりなんだろうけど、今の時点では全くわからないわね。あっさり一年で済むか、数年かかるか……昨日、三条邸にいらした時は悲壮なお顔で、
『このように思いもかけない罪に問われました事、我が身ばかりなら惜しくはないですが、せめて春宮の御代だけは安泰でおられますよう祈っております』
なーんて仰ってたけどね」
「思いもかけないって……オイオイって感じね(笑)」
「入道の宮さまは当然まるっとご承知だけど、責めたり叱ったりする立場でもないし、その気もないのよ。ただ春宮さまの最大の後見役がいなくなるのがね……事が事だけに表立って庇うことも出来ないし、これからのことを考えると辛いわよ。そりゃ涙も出て来るってものよね」
「もしかして宮さま直接応対なさったの?」
「そうよー特別にね。こんな時だからってかなり端近で。もちろん私たちがすぐお傍に控えてのことだけど」
「美男美女で絵面良さそう!見たかったあ」
「宮さまにしてはえらく無防備っていうか、チャレンジャーねえ」
「それがね、大将も意外にっていうと何だけど、最初から最後までごくごく真面目で誠実な態度だったもんだから、逆にしんみりしちゃってね。全員涙腺崩壊よ。もしかしたらこれが今生の別れになるかも、なんて思っちゃったらさ」
「えええやめてくださいよう考えないようにしてたのに……(涙)」
「故院の思い出話もたっぷりした挙句、今からお墓参りしてくるから最後にお言付けは?なんて仰るからさ、宮さまもう涙涙で。
『連れ添った院は亡くなられ、生きておいでの方は悲しい身の上となった世の末を
出家した甲斐もなく泣きの涙で暮らしています
院がお隠れになられた折に悲しみを尽くしたと思っておりましたが……またも現世でこのような辛い思いをしますとは』」
「あああ……お気の毒。これから宮さまお一人で頑張って春宮さまをお守りしなきゃだもんね……」
「それと、今朝春宮さまに来たお手紙なんだけどさ、
『今日、都を離れます。もう一度参上せぬままになってしまったのが、数ある心残りの中でも最も悲しく存じます。私の心の内はすべてお察しいただけるでしょう、春宮さまにくれぐれもよろしくお伝えください。
いつかまた春の都の花を見ましょう
時流を外れた山がつの身となって』
って、散り終えた桜の枝に結んで寄越したの。泣かせるよね」
「ふおおーーエモい!尊すぎ!そんなん貰ったらもうアタシしんじゃう!」
「春宮さまはどんな感じだった?てかどう説明したの?」
「そりゃ勿論下手なこと言えないから、お手紙見せながら『大将はこれからご用で遠くへ行かれますのよ、しばらくお逢いできないようです』くらいよ。ただ事ではない感じは察してらしたと思うけど、ほらそこはまだ六歳だから。お返事は割とアッサリ、
『少しの間でさえ見ないと恋しく思いますのに、遠くに行かれてはましてどんなにか、と言ってください』
てだけで、返歌はさすがに無理だから私が。
『春宮の御前には申し上げました。とても言葉にならず、心細い思いでいらっしゃる様子がおいたわしゅうございます。
咲いてはすぐに散る桜は悲しいですが
きっと再び戻って花の都をご覧じられますよう
春はまた巡ってまいりますから』
ちょっとストレート過ぎだけど、春宮さまの代わりだしいいかと思ってエイヤで返したわ」
「さっすが王命婦さん!いや、普通に泣けるよコレ、素直な感じがぐっとくる!」
「なるほど。ねえ、ちょっと言ってもいいかな。ヒカル大将はさ、案外楽しんでない?この状況を」
「右近ちゃんは何でそう思うの?」
「そもそも、尚侍の君との仲を再開したのも入道の宮さまへの当てつけみたいなもんでしょ。俺を受け入れないから他の、一番の敵方の女とくっついちゃうもんね的な。しかもあちらのお邸でしょっちゅう逢うとか、遅かれ早かれバレるに決まってるじゃない。あそこまで最悪な見つかり方しようとまでは思ってなかっただろうけど、半分故意っていうか……何らかの形で現状を破壊したかったんじゃないかな」
「そうか、右近ちゃんこの間もそんなこと言ってたよね。リセットしてやるぜみたいな」
「そうそう。でさ、結果どうなった?地味な恰好してしょんぼり挨拶周りしてる、憑き物が落ちたみたいなヒカル大将。そりゃ最初は叩かれたけどさ、こうなってみると世の中の趨勢は、あれ?何でヒカル大将って須磨まで行かなきゃなの?そこまでのことしたっけってなってない?大后さまが怖いから大っぴらには言わないけど、右大臣のご息女とはいえ女御でも何でもないただの女官とどうかなったからって、やり過ぎじゃない?そこまでする?みたいな。ここに至っていまや完全に悲劇の貴公子と化したでしょ」
「そ、そっか!あれほど避けまくって塩対応してた入道の宮さまが一転、端近で直接お会いになるとかしちゃうんだもんね、凄い効果!えっすごくない王子、すべて計算通りってこと?!惚れ直すわあ」
王命婦が噴き出した。
「さすがにそこまで策士じゃないでしょ。でも、凄いわ右近ちゃん。私も似たようなこと考えてた。涙流して悲しい悲しい言ってるけど、案外この人ワクワクしてない?って」
「ワクワクか……確かに、女絡みで面倒なことばっかりだったから嫌になったのかもしれない。かといって全部投げ出すわけにもいかないから、とりま逃げ出すことにしたと」
「財産の類は丸っとそのままで、さしあたりお金には困ってないからね」
「でもさー須磨の方は女っ気まるで無しなんでしょ?そりゃ最初は物珍しくて楽しいかもしれないけど、王子耐えられるのかなあ?しんぱーい」
「さあね。いつまであの悟り澄ました感が続くか、私も見物だと思ってるんだけど」
「遠いし、女房の一人もいないし、中々情報が入ってこないわよね」
王命婦がニヤリと呟く。
「そこは大丈夫。手配済よ。誰とは言えないけど、定期的に報告が届くことになってる」
「えっマジですか!」
「さすが藤壺ネットワーク半端ない……」
「何かわかったら、お二人にも逐一お知らせするわ。ではねー♪」
鼻歌まじりに颯爽と去っていく王命婦。
「……案外早く戻ってくるのかもね王子」
「だといいなあ……ほら、王子って内裏生活は同年代の誰より長いし、何よりマメじゃん?誰も見向きもしない引退したお年寄りから下々までちゃんと気を配るしさ、潜在的なお味方の数は相当多いと思うのよね」
「そうね、そこは認める。逆に、今上帝の辺りを見る目は厳しくなるわよね。それこそ重箱の隅つつかれる。これから辛くなるのはどっちなのかしらね(微笑)」
「怖いわあ。ま、アタシたちは所詮蚊帳の外だし?」
「とりま王命婦さんのレポ待ちましょ」
「楽しみー♪」
参考HP「源氏物語の世界」他
<須磨 六につづく>
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