おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

須磨 一 ~オフィスにて~

2020年4月20日  2022年6月9日 
※福井の海です
「ねえねえ右近ちゃん!」
「なあに侍従ちゃん慌てて」
「ちょっと右近ちゃん、何でそんな冷静なのっ!大変じゃん!ちょー大変!ヒカル王子がこの京からいなくなっちゃうんだよ?!」
「まあまあ落ち着いて侍従ちゃん。しばらく謹慎するってだけでしょ」
「だって……須磨でしょ?遠くない?そりゃ現代なら新快速で京都→神戸・神戸線で須磨まで五駅、一時間ちょいで着いちゃうけどさ……超田舎だよ?海の他何にもないよ?(当時は)マジで誰も、女子どころかお貴族様すらいないのに」
「それこそもっと遠い所に流されるよりはマシでしょ。隠岐だの佐渡だの伊豆だの、だったらマジで生きて帰って来られないよ。無事着くかどうかも怪しい」
「……って、王子ってそこまでのことした?そりゃ尚侍の君のことは大概だし倫理的にどうってのはあるけど、平安ゆるふわ常識からしたら大した罪ではないよね?」
「罪にされちゃうのよ、あの方(=大后)に恰好な口実を与えちゃったんだから。朱雀帝のお気に入り女官を寝取った→今上帝の御代をないがしろにしている→謀反を企てていた!なんて連想ゲームにすることなんて簡単だからね。そうなったら二条院の人たちだってタダでは済まない。官位役職はく奪、財産没収。藤壺の皆さんや左大臣さまのところまで確実に迷惑がかかる。だから、自分から『須磨で謹慎します』なのよ。それ以上のことはないってアピール。あることないこと『証拠』として出されて罪をでっちあげられる前にね」
「な、なるほど……確かにそう言われてみれば、これが最良の策なのかも。でもでも!寂しいよううわーん」
「そうねー。でもまあ、身から出た錆というか何と言うか、ある程度自業自得だからね。あの方との確執も、遅かれ早かれこうして形になるしかなかったんじゃない?むしろ、逃げ切った感じじゃないかな。あの方きっと悔しがってるとは思うよ、とどめを刺す絶好の機会なのにこれ以上手が出せなくなったから」
「怖っ!なんかさー寂しい人生だよね。そこまでずっと誰かを恨み続けるって全然楽しくないじゃんね。アタシにはよくわかんないわ」
「哀れな人ではあるけど厄介よね。まあ王子にしても、いい加減色々やんなっちゃったっていうのはあるんじゃないの?ちょっとこの辺で俺の人生リセットしちゃおうかみたいな」
「しないでえええ(号泣)ああ、でももっと大変なのは二条院の少納言さんのところよね。シャレになってないもん大黒柱が長期不在とか……落ち着いたらお土産持ってお喋りしにいこうっと!」
「そうね、こっそりね。私も行くわ」
「うんうん!行こう!」

閑話休題。

 平安時代は嵯峨天皇の御代に死刑が廃止され、刑罰で最も重いものといえば「流罪」でした。遠隔地への強制移住、家来等を連れて行くことは許されず、自分ひとりの力で生活していかなければならない上に、一年間の労役を課される。妻妾も強制連行。
これに対しヒカルは罪に問われたわけではないので、自分の家屋敷や財産などは無傷。二条院を維持したまま、最低限の家来を連れ田舎で貴族として暮らすだけの十分な蓄えがあります。だからこそ、あえて一番の厳罰である「流罪」を自らに課したという形にして、何らかの罪を着せたくて仕方ない向きを黙らせたわけです。
 「須磨」の冒頭では、出立前のヒカルの諸所への挨拶回りシーンが、けっこうなボリュームを割いて語られます。受領の娘であった紫式部にとって、このような旅立ちにまつわる色々を描くことはお手の物だったでしょう。地味ながら、その後の展開にもしっかり繋がっていくこの部分、きっちり各女房さんたちに語っていただこうと思います。
<須磨 二につづく>
参考HP「源氏物語の世界
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