賢木 十六 ~オフィスにて中納言が語る~
「あー、なるほどあの日ね。凄い嵐だったものね、私も目が覚めた。平安時代の家屋なんて隙間だらけだから、すぐ対策しないと室内全部びしょ濡れだし、雷も火事に直結するしで危ないもんね」
「……えっアタシ、全然気づかなかった。朝起きてあー雨降ったんだねとは思ったけど」
「侍従ちゃんある意味凄いわそれ」
……スミマセン、自分も実は爆睡しててー、気がついたら他の女房さん達みーんな起きててー、その辺ウロウロしながら寄り集まってきちゃってたんですよ。ヒカル大将も帰るどころか、出るに出られなくなっちゃって、どうしよどうしよって言ってるうちに夜が明けちゃってー。
ああいう緊急時ってそうなんですよねー。大事な大事な御主人に何かあったら大変だからって、自分たちも怖い癖に皆で尚侍の君の几帳の周りを囲むんですよ。いやもうホントに、ヤバかったです。ドキドキなんてもんじゃなくってー、とにかく早く雨も雷も止んでーって二人で祈ってました(笑)それしか出来ることないんですもん。
わりとすぐに雷収まって、雨も小やみになってきたんであー助かったー!って密かにガッツポーズ!してたんですけどねー、甘かったです。なんと、右大臣さまがやってきたんですよ!もうぜーんぶ終わって、皆さあ戻って少し休もうかって時に(あの方だいたいいつもそうなんですけどね笑)。
悪い事に、まず少し離れた大后さまのお部屋に寄ったものだから、村雨の音に紛れて誰も気づかなかったんです。
唐突に、御簾がざっ! って開けられた時には心臓止まるかと思いました。えええ?! 誰?! ってかんじで。そしたら右大臣さまなわけですよ、
「大丈夫ですか? 酷い雷雨でしたものねえ、どうかなー怖がってないかなーって心配しつつも、こんな時間になってしまいました。中将や宮の亮などはちゃんとお傍についていましたか? ん?」
って無駄にデッカイ声で唾飛ばしまくって仰るんですよお。いや開ける前にひと声かけようよ……いくら自分の娘だからって、もう成人済みのうら若き女性、しかも帝の寵姫ですよ?あんまりですよねー言葉だけ丁寧にしたって意味ないじゃんって感じー。こういう、距離無し品無しデリカシー無しってとこ、渋いナイスミドルの左大臣さまとは比べるのも失礼って感じですよね。あっこれはナイショですよう。
「……何気に真似うまいわね、右大臣の」
「うん、王命婦さんとはまた違うニュータイプのイタコ技」
まあ、今だからこんなにイロイロ言えますけど、その時はもうしにそう!いやしぬ!しんでる!ってくらいパニくってて、ましてご本人の尚侍の君はもう……かといって寝た振りでもして無視しようもんなら、ゼッタイ
「すわ瘧病の再発か!」
ってなって、秒でお坊様呼びつけて加持祈祷の雨あられ、ってなりかねないんで、もうご本人が出るしかなかったんです……なのに出たら出たで、
「おや?顔がずいぶん赤いですね。まだ具合が悪いのですか?しつこい物の怪がまだ取りついているのかなあ、もっと修法を続けるべきでしたかね。御熱でもあるのかな。どれ」
とかなんとか口挟む隙もない感じでどんどん近づいてくるんですよ?! マジありえないですよね?!
で、ついに……
発見!しちゃったんです……
姫君の衣に纏わりついた、薄二藍の帯を……
「うわあ……それはさすがに同情するわ尚侍の君に」
「ヤッバ!いくらなんでもそれはヤバすぎ!そんなパッパ嫌だあゼッタイ泣」
ですよね……現代だって、成人した娘が寝てる所に父親が、断りも無くズカズカ近づくとか、ないですよね。側近の女房だって憚られるのに。……えっと、ここからが反省なんですけどー、だからほったらかしだったんですよう……お文とか。たーくさん。だってー、お二人がイチャイチャしてる最中に、ちょっとごめんなさいよー片付けますねーなんて出来ないじゃないですかー。どうせ誰も入って来るはずないし大将がお帰りになった後でいいかーなんて思ってて。
「なんですかこれは……一体どういうことなのですか?!」
顔色の変わった右大臣さまの視線の先、尚侍の君が振り返ったら、そこには例の帯とお文。赤らんだ顔が一気に真っ青ですよ。でもね……でもそんなご様子をみたら、親なら普通は察しますよね……ここは知らんぷりで一旦引っ込んで、後で調査しようとか、あるじゃないですかやりようが。まあそうなったらそうなったで自分たちも修羅場なりますけど、そんな場面を親に見られちゃった我が娘の気持ちをねー、少しはわかってほしいですよねえ。まーそんなの期待する方が無理なのかもしれませんけど、あの融通きかない空気読めない無神経オヤジには。あっ、言っちゃった。忘れてくださーい。
「見たことのない筆跡……誰なんですか?調べるからこっちにお寄越しなさい!」
もう、もうね……もちろん、素直にお渡ししたんですよ?隠しようがないですもん。それだけでもしぬ思いなのに、あろうことかあのオヤジ!覗き込んだんですよ几帳の中を!!!
「えっ……」「(言葉にならない)」
その時の、ヒカル大将のお姿!!!
慌てず騒がず、悠然と寝そべったまま、微笑みさえ浮かべて、形ばかりそっ……と顔を隠して。
もうもうもう、色っぽいとか美しいとか超越してます!尊いって百回言っても足りない、神ですよ神!!!
「お、落ち着いて中納言さん声が大きい」「でもでもでも!わかる!王子のその謎の余裕と安心感、わかりみが深すぎて辛い!ああー見たかったあ……」
右大臣さまのお顔もお見せしたかったですよー。それまでの勢いは萎えちゃって、口パクパクさせながらくるりと半回転、大后さまのいらっしゃる寝殿の辺りにすっ飛んでいかれましたね。
ヒカル大将も内心は相当修羅場だったと思うんですけどー、見た目は本当に涼しいお顔で、突っ伏しちゃったきり立ち直れない風の尚侍の君の背中さすって慰めてらして、いやー羨ましいなーなんて……実際はそんな暇なく、秒でお仕度してヒカル大将を送り出したんですけどね。何をどうやったのか、この辺あまり覚えてません……
「すごい話ね……確かに抱えてられないわ」
「大后さまの耳にも入ったってなると、嵐の予感どころか、超大型台風じゃん被害甚大・即避難案件じゃん」
そうなんです。右大臣さまはあの通り、見たもの聞いたもの・思いついたことはすぐに言葉に出さないとしんじゃう系の人なんでー、ぜーーんぶ大后さまにぶちまけですよ。
「これ!この懐紙見てくださいよ、ヒカル大将の筆跡ですよね?やらかしてくれちゃったなあ……そもそも親の許しも得ずに始まった恋仲で、あの時は人柄に免じて許したっていうのに、きちんと筋を通して妻にするのかと思えばしない、いかにも軽い遊びのような扱いで不愉快でしたよねえ。まあこれも前世の宿縁なのかもしれないと半ばは諦めつつ、あれ程ご執心くださる帝のお気持ちが離れることはないだろうと見込んで、予定通り入内させたのはいいが、さすがに『女御』という晴れがましい呼び名には出来なかったというのに……傷物にされたばかりでは足りず、またこのようなことを仕出かすとは。本当に情けない。男の習い性とはいいながら、ヒカル大将も誠にけしからん!年端のいかない斎院にまで手を出そうとしているのではないか、こそこそ文を交わし合って怪しい、という噂もこれまでは本気にはしていませんでした。国家のためにもご自分にとっても良いことなど何もないし、当代きっての知識人として天下を風靡するヒカル大将が、よもやそのような思慮分別のないことはしないだろうと信じていましたのでね。しかし、もう何も信じられないですな」
「話、なっが!よく覚えられたね中納言ちゃん」
「しかも似てる……そっくりどころじゃなく」
あざーす!昔っから得意なんですよ(にっこり)。で、大后さまなんですけど、こちらはまた輪をかけて話が長いうえに、とんでもなく激おこ状態だからもう終わらない終わらない。
「あの方は、昔からどんな人に対しても上から目線で失礼千万でしたわよ。今に始まった話ではございません。特に兄帝に対しては酷いものです。元々兄の春宮妃にと内定していた致仕の左大臣の一人娘を、元服したての弟の添い伏しに取られる。さらにまた、女御として宮仕えに出すつもりでいたこの六の君までがバツの悪いことになる……何でこうも兄が心を寄せた女性ばかりなのか、不審に思わない方がどうかしてます。なのに皆があの方に味方して、貴方もそのまま結婚させちゃえば?って仰ってましたわよね。それすら当てが外れて、結局尚侍として出仕することになって。そうはいっても気の毒だからと、せめて他人に劣らぬようにして差し上げよう、あの憎らしい方へ当てつける意味でもと思っておりましたが、まさかこんな形で裏切られるとはね。斎院とのお噂もさもありなん、何事につけても帝に対して穏やかならぬお心持ちが透けて見えます。まあ、ご自分が後見している春宮の御代を今か今かと待ち望んでいるような方だから、当然と言えば当然のお振舞いですわね」
ってな感じで延々続くんですよう。右大臣さまも慣れてるとはいえさすがにうんざりされて途中で無理やり切ってましたね。最初っから言わなきゃいいのにホント。
「まあとにかく、しばらくはこの話を漏らさないようにしてくださいよ。内裏にも奏上しないでくださいね。あの娘も、罪とわかってはいても、帝に見捨てられることはないだろうと慢心していたんだろうね。私がよく言い聞かせておくよ。だから貴女からは責めないでやってくれ。私が全部引き受けるから」
一転、フォローに入ったんですけど、正直時すでに遅し、でしたね。大后さまが一旦あんな状態になったら数か月はそのまんまですよ。
「何より許せないのは、このあたくしが住んでいる邸に、遠慮会釈も無く忍び込んで来たということだわ。余程舐められているのよあたくしは」
自分らももちろんこっぴどく叱られましたしー、今も事あるごとにネチネチいびられるんですけどー、最後は決まってこのセリフなんですよ。で、御子息や家来たちをしょっちゅうお呼びになって、密談なさってるみたいです。そっちはかなり厳重に人払いしてて、何話してるか知りようがないんですけどね。
そんな感じです。今、処分待ちってとこですかね自分としては。まあ覚悟はしてます。
「お話は以上になりまあす!ああーすっごいスッキリしたー!右近さん侍従さん、あざーす!では、また!」
満面の笑みを浮かべぺこりとお辞儀をすると、踵を返す中納言。途中、前回と同じ場所で段差に躓くがかろうじて持ちこたえ、ガッツポーズをして去っていく。
「……えーと、また来るのかしら。何か懐かれたかしらね私たち」
「えらい話聞いちゃったよねえ!どうしよ。ってアタシたちにはどうにもできないけどさあ……」
「思ったけどあの中納言ちゃんて子、大した食わせ物かもしれない」
「??? どういうこと???」
「大后さまの最後のセリフよ。ああいう風に誘導したんじゃないのあの子が」
「えっまさか、あの天然ちゃんが」
「天然を装ったガチの養殖とみた。話し方はああだけど、言葉もよく知ってるし筋道も通ってるし、何よりあの記憶力と観察力。王命婦さんバリの超有能女房の匂いがする」
「つまり……」
「王命婦さんが中宮様激ラブなように、中納言ちゃんも尚侍の君激ラブ。まず尚侍の君に非がいく事態は絶対に避けたい。幸い、娘を溺愛する右大臣のお蔭で、大后の怒りと憎しみは全部ヒカル王子に向きそう。となると忍び込まれたこちらは被害者ということになる。……あの子、きっと大した罰は受けないと思うよ。本人もそれを自覚してる」
「えっこっわ!人は見かけによらないわね……アタシ、自分の目に自信がなくなってきた」
「多分だけどね。ただヒカル王子、今度という今度はタダじゃ済まないわね。下手すると春宮さまや中宮さまにもとばっちり行くわよ。王命婦さん激おこだろうなあ」
「ひいい、嵐どころか大激震、超ウルトラスーパーメガ暴風雨の予感……泣」
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