賢木 十四 ~少納言が語る@二条院~
「白氏文集断簡(絹地切)」東京国立博物館 |
わたくしたちの住まう二条院は今まで滅多に来客も無く静かだったのですが、このところ大層賑やかになっております。特に頭中将さま、今は三位中将さまですね、この方が何だかんだと足しげくお通いになられるばかりか、時には大勢ひき連れて、最後は飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎになることも。大変でしょうって?ええ、それはまあ忙しいですけれど、皆とても楽しそうにしてらっしゃるのでこちらまで気持ちが明るくなるんですよ。このご時世にあっても、精一杯面白いことをやって愉しんでやろうという気概、むしろ頼もしく感じます。
初夏の雨がのどかに降る日、三位中将さまが大荷物を抱えていらっしゃいました。全部漢詩文の書物です。更に二条院の文庫を開かせ、まだ手をつけたこともない厨子類の中から由緒ありそうな珍しい古文書を少々選び出し、その道に堪能な人々を非公式に呼び集めました。殿上人といわず大学寮の人といわず大勢集まったので、左右満遍なく組み分けをして試合が行われました。賭け物、いわゆる賞品もこの上なく素晴らしいものばかりでしたので、皆目の色を変えて勝負に挑んでいらっしゃいました。
韻塞ぎ(いんふたぎ)という漢詩の中の韻字を隠して当てるというゲーム、これは後になればなるほど難化し、中々当たらなくなっていきます。腕におぼえのあるインテリ博士がたさえまごつく中、ヒカルさまが涼しい顔で即答される場面が一度や二度ではありませんでした。誠に深い学識をお持ちだと一同感心しきりで、
「一体どうしたらこんなに何もかもパーフェクトでいらっしゃるのか」「やはり前世の因縁なのか、何事も抜きんでておられるのは」
と褒めそやします。最終的にヒカルさまのいらっしゃる左方が勝ち、三位中将さまのいらっしゃる右方は負けとなりました。
その二日ほど後ですね、三位中将さまが「負け饗応」、つまり負けた方が費用その他を受け持って仕切り直すということで再びいらっしゃいました。ええ、つまりリベンジということでございますね。この日もごく私的な集まりという名目ではありましたが、優美な桧破籠や賭けの景品などさまざま豪華な品をご用意され、もはや常連となったメンバーで漢詩文など作って競いました。
まさに白氏文集にあるような、階段の下の薔薇が今まさに開かんとし、春秋の花盛りよりもしっとりと美しい頃でございます。作文会が終わり緊張が解けたところで、管弦の合奏がはじまりました。
今年初めて童殿上するという三位中将さまのご子息は八つか九つ、右大臣四の君の御腹になる次郎君でございます。声もたいそう美しく、笙の笛を吹かれます。見目も気立ても良いので世間の期待も高く、父の中将さまも殊の外大事に扱われるこの君を、ヒカルさまも気に入って何かと構っておられました。管弦の遊びも一段落して場がくだけたころ、この君が声張り上げて催馬楽の「高砂」を謡いはじめますと、そのあまりの可愛らしさにヒカルさまはいたく感動され、思わず自らの着物を脱いでこの君に着せかけたのです。
この時のヒカルさまはいつもより酔い乱れて、たとえようもなく艶めいたお顔をしてらっしゃいました。薄物の直衣に単衣を着ただけのしどけないお姿で、透けてみえる肌の色がいよいよ美しく、年老いた博士連中が遠巻きに拝見して尊さに涙するほどに。若君が「逢いたいものを、小百合の花の」と謡い終わるところで、中将さまがヒカルさまに杯を差し上げます。
「心待ちにしていたその花が今朝初めて咲いた
負けず劣らず美しい君の美しさに乾杯」
ヒカルさまは微笑まれて杯を取り
「時節に合わず今朝咲いた花は夏の雨に
萎れてしまったらしい、美しさを見せるまもなく
衰えてしまったもの」
酔っ払いの戯言と陽気にまぜかえされました。中将さまは何を言う!と更に絡んで、無理に杯を勧めます。
その後はもうやんややんやの盛り上がりで、ヒカルの君を褒めたたえた和歌や漢詩も沢山詠まれましたが、まあ、ここではちょっと憚られるような内容のものもございますし、飲み会の席での言の葉をつらつら書き連ねるのははしたないことと、かの紀貫之さまも仰っていますし、控えておきます。
ヒカルさまもしたたかに酔われたのかついつい調子に乗られて、
「我こそは文王の子、武王の弟である!」(史記の一節)
などと自らを周公(王の補佐役で有能な人物)に見立てて格好良く名乗りを上げられたものですから、またワっと歓声が上がりました。文王は桐壺帝、武王は朱雀帝なのでしょうが、同じく文王の子である成王については言及されなかった……成王の兄である!とは素直に口にできなかったのでしょうね。……すみません、わたくしもちょっと言葉が過ぎました。もうそろそろやめておきます。
そうそう、この有様を聞きつけた兵部卿宮さまもちょくちょくと二条院に来られて、一緒に管弦の遊びなど楽しまれておいででした。紫の上も父君のご訪問には大層お喜びで、皆が外の憂さなど忘れて前向きに過ごしていたのです。
なのに、あのようなことが起こるとは……
誠に人の心というものは不可解で、頼みにならないものにございます。
コメント
コメントを投稿