おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

賢木 十一

2020年3月4日  2022年6月8日 

法華八講@大瀧神社2018
こんにちは、ご無沙汰しております!「花宴」以来ですが覚えておいででしょうか?只今、王命婦さんも弁の君さんも多忙につき、再びわたくし中務(なかつかさ)が、中宮様による法華八講最終日の実況を務めさせていただきますね。少し湿っぽくなってしまうかもしれませんが、何とか前向きに頑張ろうと思います!どうぞよろしくお願いいたします!

 準備をまつ間、まずは先月の、故桐壺院の一周忌からお話しいたしますね。霜月……十一月の一日でございました。お隠れになられてからちょうど一年の御国忌(みこっき)の日、雪が降りしきる中ヒカル大将から届いたお文がこちらになります。
「故院にお別れ申し上げた日がまた巡ってまいりましたが、いつか見た人に
もう一度巡りあう時はいつになることか」
 いつか見た人……勿論故院のことでしょうがどうでしょう。何だか含みがありますよね。とはいえ、何方も此方も物悲しい気持ちにならずにはいられない日でございます、さすがの中宮さまも無視なさるわけにもいかずお返事されました。こちらです。
「生きながらえておりますのは辛いことですが
 今日は故院の世がまた巡ってきたような心地でございます」
 仰々しさはなく、ごくストレートに今のお気持ちを詠まれた感じですね。何でしょうかねこの毅然とした、気高い感じ…! 贔屓目もありましょうが、筆の運びが独特で、かといって今風のチャラさは微塵もない、非常に中宮さまらしい雰囲気が滲み出したお文だと思います。この、何ら含みのない真っ直ぐな返歌にさしものヒカル大将もガッツリ釘を刺されたのか、この日ばかりは浮ついた心も抑えられ、しみじみ雪の滴に濡れながら追善供養の法事をつとめてらっしゃいましたとか。
 この度の中宮様による法華八講は、その一か月余り後の十二月十日から始まりました。日々供養するお経をはじめ、玉の軸、羅の表紙、経巻を包む帙簀(じす)の装飾も、すべてこの世に二つとない誂えものとして整えられております。中宮さまは普段の催しでも類まれなる発想力で取り仕切られるのですが、まして今回は一世一代のビッグイベント、気合の入り方が違います。ご覧ください、仏像の飾りから花机の覆いにいたるまで、極楽浄土もかくやと思わせる荘厳な美しさに満ち満ちておりますね。素晴らしいの一言です。
 法華八講全四日間の初日は先帝の御ため、二日目は母后、そして三日目は故桐壺院の御ため、更に五巻の日とあって、上達部なども今のご時世に憚ることなく大勢参上してらっしゃいました。「薪の行道」では講師の皆さま揃って素晴らしい美声を響かせました。この日のために選りすぐられたメンバーだけあって、尊さがいつもの三倍増しといったところでしょうか。また御供物を捧げ持った親王さまがたも続々と行道され、いずれ劣らぬ豪華な品々が並びましたが、中でも際立って素晴らしかったのはやはりヒカル大将のそれでしたね。皆さん、目を奪われておいででした。
 法華八講というものを目にするのはこれが初めてではないわたくしですが、観る度に新しい発見がありますのはどうしたことでしょうか。まして今回は…ごめんなさい、少しこみあげてきてしまいました。失礼いたしました。実況に入ります。

 さて法華八講最終日の本日、昨日ほどではないにせよ多くの皆さまがここ三条邸にお集まりです。お坊様がお一人、中宮様に成り代わり結願を仏様に申し上げております。此方からは聴こえづらいですが、わたくしども側近の女房は勿論心得ております。
 中宮さまがこの場でご出家なさるおつもりであることを。
 御簾の外で、声にならないどよめきが起こりました。
 儀式は未だ粛々と続いておりますが、親王さまがおひとり、兄君の兵部卿宮さまですね、中座されて御簾の内に入りこちらへ来られました。動揺を隠せないご様子で「どういうことなのだ、出家するとは。本気なのか」というようなことを聞いておられるようです。中宮様は此方からですと横顔だけ、すこし青ざめてはおられますがしっかり前を向かれ、きっぱりと……心に決めておりますと……仰っておられます。
 外のざわめきは未だ止みません……儀式は終わったようです。先ほどのお坊様に替わり、比叡山の座主が御簾の真ん前にいらっしゃいました。
「戒を授ける」
 の言葉に続いて、謹んでお受けいたしますとのお返事。ここに至り、場内は水を打ったように静まり返っております。
 中宮様の伯父君にあたる、横川の僧都が御簾の内に入られます。お傍近くに寄られ、そして……
 中宮様の、艶々とした瑞々しい御髪、わたくしたちが日々心をこめて梳ったその長く美しい御髪が、今僧都の手によりゆっくりと切り落とされました。ああ……申し訳ありません。涙で前が……削いだ髪が落ちて広がる微かな音、外にいる皆さまにも聞こえておりますでしょうか……泣き声とも溜息ともつかない声が彼方此方で沸き起こっています。
「まだこんなにお若いというのに……そんなお気持ちがあるとは露ほども気づいていなかった」
 兵部卿宮さまも涙を堪えきれずうなだれておいでです。
 中宮様が全身全霊をかけて催された法華八講は、これですべての日程を終了いたしました。まず親王さまがたがご退場になります。ああ、一人ひとりお声をかけておいでですね。中宮様を昔から見知っている故院の皇子様たちでございます、あたたかなお見舞いのお言葉に、中宮様も目を潤ませていらっしゃいます。
 他の皆さまも三々五々とお帰りになられますが、何でしょう、不思議なほどに和やかで爽やかな空気に会場全体が包まれております。法華八講という有り難い催しの最後の最後に、皆で何か尊いものを観た、ある種の感動を共有したといった、そんな晴れやかな思いが皆さまの顔に溢れているようです。
 ああ、でもヒカル大将はそうはいかないようですね。席に座りこんだままぴくりとも動きません。極力表情を消し、ギリギリ周囲に怪しまれない程度に装っておられます。
 
 場内を埋めていた人波は去り、騒ぎも一段落いたしました。わたくしたち女房も鼻をかみつつ、あちこちに群れ集まっております。差し昇った月が隈なく煌々と、庭の雪を照り返しています。ヒカル大将が此方に近づいていらっしゃいました。内心の思いを相当抑えつけていらっしゃるのでしょう、壮絶な雰囲気を漂わせておいでです。
「いったい、いつどのような理由で思い立たれたのですか。このように急な……御出家を」
 間髪を入れず応えますのは王命婦さんです。
「今初めて決意したわけではございません。前もって申し上げたらきっと騒がれてしまいましょう。そうなると心も揺らぎかねないので、このように」
 いつもと同じように、と殊更に平静を装う御簾の内でしたが、大勢集まった女房たちの衣擦れの音、立ち居振る舞いのなかにも、どうにも慰めようのない悲しみが満ちています。外はいつの間にか猛吹雪、漂う香の匂いは奥ゆかしい黒方に染み、煙がほのかに広がってヒカル大将のそれと薫り合います。まだそのままの調度も含め、神々しいまでに美しく、尊く、此処は極楽浄土かしらと見まがうような今宵でございます。
 
 春宮さまからの使者が参上されました。中宮様は感極まられたのかお言葉が出ないようで……あ、ヒカル大将がすかさずフォローを入れてらっしゃいますね。この辺はさすがというべきでしょう。誰もかれも、目の前の現実に頭がついていかないのです。わたくし自身もこのモヤモヤした心の内をどう言葉にしていいのかわかりません…。ヒカル大将が静かに歌を詠まれました。
「雲居の向こうに澄み渡る月をいくら慕ったところで
 この世の闇になお迷い続けるでしょう
 俗世を捨て仏道に精進するのも結構ですが、まだ幼い春宮をどうなさるおつもりなのか。母君の仕打ちを恨まれても仕方ないですよ」
 わたくしたちがお側近くを離れないせいか、大将は感情を一切表に出そうとなさらず、堅い表情を崩しません。
「俗世の嫌なことからは離れたが
 いつになったらこの煩悩をすっかり断ち切ることが出来ようか
 一方では世俗の濁りに触れながら
 仰る通り一気に断ち切れるものではありませんわ、おいおいとでしょうね」
 執り成されたのは王命婦さんか、弁の君か、判然としませんが、ヒカル大将は憮然として立ち去られましたとか。三条邸からは、以上です。

【閑話休題】
 中務さんお疲れさまでした。
 さて、遂に藤壺中宮が出家!中宮という位に就いたままで出家するというのは前代未聞、誰も予想のつかない思い切った決断でした。
 中宮にしてみれば、一番恐いのは
「ヒカルとの仲を疑われること、ひいては春宮の出生の秘密が露見すること」
です。そうなれば世間から激しい誹りを受けるばかりか、あの右大臣家が絶好の攻撃目標とするのは確実。せっかくの故院の遺言も何も雲散霧消、春宮は廃太子となり追放されかねません。それは絶対に避けたい。ですが桐壺院が亡くなってからというもの、ヒカルの理性のタガは外れっぱなしで留まることを知りません。「塗籠事件」の時は側近の女房達の機転でギリギリ事なきを得たものの、いつもそううまくいくとは限らない。まずあれ程強く拒絶したにも関わらず懲りていないヒカル、春宮の後見人でもある以上一切繋がりを断ち切るわけにもいきません。ではどうする?
ヒカルを春宮の後見人役として留めおくこと
 かつ
自分への実力行使を不可能なものにすること
を両立させる唯一の手段が出家でした。今の中宮にとって一番大事なのは我が子である春宮で、ヒカルとの恋愛では全然無いということです。
 一方ヒカルはその辺を全く理解していません。春宮を守るための出家なのに、春宮のこと考えてんの?なんてトンチンカンな歌を詠んじゃう辺りお察しです。右大臣家の台頭により怖くなって逃げだしたくらいの認識しかなく、まして自分自身が男として完全にシャットアウトされたなんてことは思いもよりません。
 大ショックを受けふてくされながらもヒカルは考えます。もし自分が見捨てたら他に誰が春宮を支えるのか、中宮という位が即無効になるわけではないが、近いうちに退くことにはなる。春宮も中宮もやはり自分がどうにかするしかない……悩み迷ったあげく、これまで通り支え続けようと決めます。とにかく春宮を守り、即位の実現に向けて動いていかないと、ヒカル自身も政治的に詰むのです。
 何やかんや流れを読むことに長けていて、面倒見も良いヒカルの美点がここで発揮されます。早速出家した中宮のために支度を調え、王命婦をはじめとした女房達の分まで心を砕いて年内に送り付け、突然の出家に驚きながらも受け入れてますよ今後もバックアップするぜ的スタンスを世間にアピールします。右大臣家への牽制の意味ももちろん込めて。
 こうなることを中宮も予測した上の決断でしょう。まさに計画通り、お見事です。
 が、突然せき止められ、無理やりに方向を変えられた流れが何処に向かい何をもたらすかは、ここでは誰にも見えていませんでした。やはり、ただで済むわけがなかったのです。


参考HP「源氏物語の世界
<賢木 十二につづく>  
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