おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

賢木 九

2020年2月12日  2022年6月8日 
京都観光NAVIより
ヒカルにしても、愛らしい春宮の世話を焼きたいのは山々であったが
「藤壺中宮がどれだけ無情な仕打ちをしているか、思い知っていただく……!」
と我慢比べの如く意固地に過していた。とはいえ、邸に閉じこもりきりではさすがに体裁も悪く、何より暇すぎるので、秋の野の見物ついでにと雲林院に参詣した。
 雲林院は、ヒカルの亡き母・桐壺御息所の兄である律師が籠っている僧坊である。そこで経文などよみ勤行しようということで二三日滞在してみると、これが予想以上によき所なのだった。
 紅葉が一面色とりどりに染まった優美な秋の野を眺めたり、法師たちの中で学才のある者ばかり召し出して、その熱い議論に耳を傾けたりしていると、京の都でのごたごたなど忘れそうになる。が、そんな風に世の無常をしみじみ思って夜を明かしてもなお、
「憂き人しもぞ」※天の戸を押し開け方の月見れば憂き人しもぞ恋しかりける
とかの人を思い出さずにはいられない。
 明け方の月影のもと、法師たちが閼伽棚に供えるべくからからと鳴らしながら、菊の花や紅葉の濃い薄いなど折って散らしている。
「些細なことだけど、こういう勤めの積み重ねが現世の慰めになり、来世の頼みにもなる気がする。それに引きかえ俺は、取るに足らないつまんないことで我と我が身を持て余してるばっかり……」
 しみじみ自省するヒカル。律師がとても尊い声で
「念仏衆生摂取不捨」
と美しくビブラートをきかせながら読経している姿がつくづく羨ましい。
「どうして自分はこんなふうになれないのだろう」
 考える度、まず紫の姫君が脳裏に浮かぶ。悟り澄ますには極めて未練がましすぎる、悪しき執心にはちがいない。若く美しい新妻に逢わないままなのが気がかりで、せめて手紙だけでもと頻繁にやりとりするヒカルは、何のことは無い、まだまだ出家するなど無理な相談なのであった。
「現世を離れることが出来ようかと試しにやってきましたが、寄る辺ない気持ちを慰めがたく心細さが募るばかりです。ありがたいお経もまだ途中なので行きつ戻りつという感じですが、そちらの様子は如何でしょう?」
 陸奥紙にさらりと書きつけるその手蹟はいつも通り素晴らしい。
「浅茅生におりた露のように儚い世に君を置いて
 四方から吹き付ける嵐に飛ばされないかと気が気ではないよ」
 情愛たっぷりな歌に紫の姫も涙を誘われるものの、返しは白い色紙に
「風が吹けば真っ先に乱れて色が変わる
 浅茅生の露の上に
 巣をかける蜘蛛のような私ですから」
 とだけ。
「これは一本取られた。どんどん上手くなるなあ。まさに成長期なんだね」
 独りごちつつ、可愛いなーとニヤけるヒカル。
 しょっちゅうやり取りしているせいか、紫の姫の筆跡はヒカルとよく似ている。そこに今少しなよやかな女らしさが加わった感じだ。
「完璧だな。我ながらうまく育てたものよ」
 自画自賛するヒカルだった。

 吹き通う風も近い距離なのをいいことに、式部卿宮の御令嬢・朝顔の斎院にも手紙を出すヒカル。側近の女房である中将の君に
「このような旅の空で、物思い故に魂も彷徨い出たのをご存知なはずもありますまい」
 などと恨み言を述べ、斎院の御前には
「口に出して言うことは畏れ多いことですがその昔の
 秋が思い出される木綿欅でございます
 昔を今に、と思ったところで甲斐は無く、取り戻せるはずもないのに」
 思わせぶりににじり寄る感満載の内容を唐の浅緑の紙に書きつけ、木綿をあしらった榊に結んで神々しく仕立てたものを差し出した。
 返歌には中将が
「気の紛れることもなく徒然のままに、過ぎ去りし日々を思い出し偲ぶことも多いですが、今更どうしようも無いことばかりで」
 ごく定番の言い回しを丁重に書いたが、斎院の歌は木綿の片端に
「その昔どうだったと仰るのでしょうか
 木綿欅を心にかけて偲ぶと仰る理由は?
 とんと心当たりがありませんが」
 と、問いかける形でさらりと突き放す。
「走り書きって感じだけど上手いなあ。草書がますます美しい。ましてや朝顔=ご本人はどれだけ…」
 従妹とはいえ長年文通だけの繋がりだからこそ、想像の翼が広がりっぱなしのヒカル。煩悩が次から次へと湧いてくる。
「そういえばこの時期だったなあ、野々宮の六条御息所を訪れたのも。不思議に同じようなことがあるものだ。どっちにせよ、神域じゃなきゃもう少し何とか……いや今でももしかしてワンチャン……」
 何とも罰当たりな心持ちのヒカル。そもそもどうにでも思い通りになったはずの頃にはのんびり構えていた癖に、いざバッサリと斬られれば薄情だの酷いだの諦められないだのと、身勝手で面倒な性分なのだった。
 朝顔の斎院もヒカルのこのような癖をよく見知っているので、たまさかの返事にさえあまりすげなくは出来ないようである。まったく困ったものだ。

 天台六十巻という経文を読み、不明瞭な箇所は解説を請うヒカルの姿を間近に見て、
「鄙びた山寺にとっては大変な光行いだな」「仏の面目が立つというものだ」
と下々の法師連中までが喜びあう。ヒカルにしても心静かに瞑想し続けると俗世に帰ることも億劫になりそうな気はするが、どうしても西の対の姫一人の身の上が心配事として引っかかる。実際さほど長くもいられない立場なので、そのぶん寺には読経のお布施を念入りに行う。伺候する人全員、身分の上下を問わずすべての僧たちやその周辺の山に住む民にまで施物を下賜、ありとあらゆる功徳を尽くして寺を出立すれば、彼方此方から賤しい柴かき連中までお見送りにと集まって、落涙しつつ崇め奉る。ごく質素な黒い車の中で喪服を着たヒカルの姿はそれと定かに見えないまでも、微かな気配だけでもまたとない素晴らしさで、みな目を凝らさずにはいられない。

 久しぶりに逢う紫の姫はいっそう美しく大人びていた。浮き立つヒカルの心を敏感に感じとって「色変わりする=貴方の心なんて当てにならないわ」と詠んだのだろう、すこし不安げな顔をしているのもまた堪らない。
「こういう焼餅ってイイよね。うん、可愛い」
とばかりに、いつもより親密に語らう二人であった。

参考HP「源氏物語の世界
<賢木 十につづく>
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