賢木 三
以前から体調が思わしくなかった桐壺院のご容体が急速に悪化いたしましたのは、十月に入ってからのことでした。急ぎ行幸を決め対面された朱雀帝には、まず幼き春宮の行く末をくれぐれも頼むと仰られ、更にヒカル大将については、
「私の在位中と同じく政治の後見役とせよ。若いが能力は高い。占いで必ず天下を治める相があると言われたが、だからこそ親王には成さず臣下にして、朝廷の補佐役とさせる気でいたのだ。我が意思に違うことのなきように」
などと破格の扱いを求めていらっしゃいました。
春宮が行啓された際はそのご成長ぶりを殊の外お喜びになられ、短い時間ではありますが楽しく過ごされました。お帰りを惜しまれるご様子には、藤壺中宮さま共々涙を禁じ得ませんでした。
その後もヒカル大将はじめ主だった人々のお見舞いが続きましたが、大后さまのお姿がみえません。おそらく、つきっきりで看病されている中宮さまへの意地が邪魔をしていたのでございましょう。そうこうしているうちに十一月、とうとう院はお隠れになられました。然程の苦しみも無く、眠っているかのような穏やかなお顔にございました。
国をあげての深い悲しみのうちにも時は容赦なく流れてゆきます。四十九日を過ぎますと、桐壺院に多く集まっていた女御、御息所の方々は皆散り散りに退出してゆかれます。寂しいことですが誰も彼も、何時までもこの場に居るわけにも参りません。
年も押し迫った師走の二十日ごろ、藤壺中宮さまもご実家である三条の宮に戻られることになりました。雪が降りしきる風の強い日にございましたので、ただでさえ寂しい院内はますます人が減り、がらんとしておりました。兄君である兵部卿宮さまがお迎えに来られ、そこにヒカル大将も現れました。
庭先の五葉の松が雪に当たり、下葉が萎れているのをご覧になった兵部卿宮さまは、
「蔭が広くて頼りにしていた松が枯れてしまったのだろうか
下葉が散りゆく年の暮れに」
と観たままを詠まれたのですが、折も折ですから心に沁みたのでしょう、酷く袖を濡らされたヒカルさまが返されました。
「氷の張りつめた池が鏡のようになっているが
長年見慣れたそのお姿を見られないのが悲しい」
いつものヒカルさまらしからぬ出来のお歌でしたので、お傍に控えていた王命婦さまがさりげなく、
「歳が暮れて岩井の水も凍りつき
見慣れていた人影も薄れて見えなくなってゆきますこと」
と詠みなおしておられました。他にも尽きせぬ思い出話はいくらもございますが、キリが無いのでこの辺で……。
さて、藤壺中宮さまが三条の宮へと移られる儀式は従来通り粛々と行われました。
「生まれ育った実家だと言うのに何だか、旅先のような心地がするわね」
そう呟かれた中宮さまと同様、わたくしたち女房も、故桐壺院のご寵愛が如何に長く安らかなものだったかを改めて思い起こすのでした。何しろ入内以来、滅多に里下がりすることは無かったのです。
これから先は名実ともに朱雀帝の世、つまりその祖父である右大臣さまの天下となります。いったいどのような世の中になるのか、殿上人や公達のみならず、わたくしたち女房の間でさえ、不安と嘆きの声なき声は広がっておりました。
そんな中で年が明けたものの、世の中はとてもお祝いする雰囲気ではございません。静かなお正月でございました。
参考HP「源氏物語の世界」
<賢木 四につづく>
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