葵 十(中納言 三)
秋の司召しの評定のため参内された左大臣さまの後を追い、昇進を望む御子息がたも続々と出立され、大殿が一気に人少なとなった……その、夜半すぎのことでございました。葵の御方さまが急に胸を詰まらせて酷く苦しみ出し、あっという間に息絶えてしまわれたのです。急変を知らせに内裏へ走る暇もございませんでした。除目の夜でしたがこの訃報を受けて万事ご破算となり、皆が皆地に足もつかないご様子で退出して来られたのです。
深夜のことで、山の座主や何某の高僧たちをお呼びすることもかないません。いくら何でももう大丈夫だろうと安心していた矢先の悲劇に、誰もが事態を呑み込めず邸内は混乱の極みに達しておりました。方々から弔問の使者等が引きも切らず押し寄せますが、とても捌ききれず上を下への大騒ぎです。ヒカルさまも余りのことに茫然とするばかりで、桐壺院より直々にお悔やみを頂いても碌にお返事もお出来になりません。まして左大臣さまと母宮さまの御悲嘆は、正視に堪えないほどでございました。
もしや、度々取り憑いていた物の怪が誑かしているやもしれない……という一縷の望みにすがり、枕などもそのままに二三日様子をみることになりました。人に聞くまま大掛かりな祈祷を行うなど、様々な方法を試みましたが、日に日に御方さまのお顔もお姿も変わり果ててゆきます。何の甲斐も無くいたずらに時だけが過ぎ、もはやこれまでと遂に鳥辺野送りを決心されたその日……誰も彼も身が千切られるような悲しみに打ちのめされたものでございます。
葬送にはあちこちから人々が集まり、寺々の念仏僧もだだっ広い野に隙間なく立ち並びました。桐壺院、后の宮、春宮、その他諸々の御使者が入れ替わり立ちかわりの御弔問にて、尽きせぬ悲しみを申し上げます。左大臣さまは立ち上がることもお出来にならず、
「もう晩節だというのに若い盛りの子に先立たれて、こんな情けない姿でよろよろ這い回る羽目になるとは」
と泣き続けておられます。わたくしたち女房はただ見守ることしか出来ませんでした。
葬儀は一晩中続き、残されたのはほんの僅かなご遺骨のみ。夜明け前には大殿に戻りました。
人の死は世の常のことなれど、これ程あっけなくお若い方が亡くなられるなど、そう何度も経験することではないでしょう。簡単に諦めきれるはずもございません。まして左大臣さまと母宮さまが親心の闇に惑われ、気も狂わんばかりに嘆き悲しんでおられたのも道理でございます。八月二十余日の有明の月の頃、しみじみと美しい景色の中で、ヒカルさまはただ空ばかり眺めておられました。
「空に昇った煙は薄らいでもうわからなくなってしまったが
あの雲の間の何処かに貴方がいらっしゃるのかと思うと全てが愛しい」
眠れるはずもなく、あれこれ思い出されていらしたのでしょう、
「何故、いつか自然と分かり合えるだろうとのんびり構えていたんだろう。ほんの些細な浮気ごとだとしてもすこしも悩まないということはなかったろうに。この世を去るまでついに夫婦として親しめず、距離が遠いまま終わってしまった……」
今更詮無いことと知りながら、悔やまずにはおられないようでした。鈍色の喪服を身に付け、憔悴したご様子のヒカルさまはなお一層お美しく、
「もし私が先に亡くなったのならば、もっと色濃い喪服を着たのだろうな。
薄墨色の喪服を着るのが習いだが
涙で袖は淵のように深い悲しみに色濃く染まっている」
お経を偲びやかに詠みながら、「法界三昧普賢大士」などと唱えられますのも、勤行慣れした法師よりはるかに清らかで有り難く感じられました。
「若君の顔を見るだけで辛くて堪らないけれど、もしこの子さえもいなかったなら……と思うと本当に恐ろしい。よくぞ生まれて来てくれたものだ」
ヒカルさまのお言葉に、お世話をする女房たちも更なる涙にくれ、まさに袖の乾く間もない有様でございました。
参考HP「源氏物語の世界」
<葵 十一につづく>
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