おさ子です。のんびりまったり生きましょう。

葵 四

2019年7月8日  2022年6月8日 
さて賀茂祭り(葵祭)当日である。ヒカルは二条院に戻り、若紫の姫君と一緒に祭見物するべく準備をすすめていた。西の対に渡り、惟光に車の手配を命じる。
「女房ちゃんたちも行くよね?」
と言いつつ、この日のために可愛らしくおめかしした姫君に目を細める。
「さあこちらへおいで。楽しみだね」
 いつもより艶々しいその髪をかき撫でる。
「そういえば長い事切ってないね。今日は髪削ぎには良い日なのかな」
と言って、暦の博士を召し出して時刻の吉凶を調べさせる。
「まずは女房達から出発ね」
 というので皆バタバタと支度に忙しい。晴れ着姿の子供たちがわらわら集まってきた。その美しく削いだ髪の先が、浮紋の表の袴にかかるほど長いのが見てとれる。
「あなたの髪は私が」
とヒカルが手ずから削ぐ。
何と長く伸びたものだ。これは削ぐのが大変。この先どんなに豊かで美しくなるだろうね、楽しみだ。
 髪がすごく長い人でも、前髪はちょっと短めにしてるよね。全く後れ毛がないパッツン切りも味気ないから……うん、こんなもんかな」
 何だかんだで器用なヒカル、さっくり削ぎ終わって「千尋」と言祝ぐと、傍に付き添っていた少納言は
「まことに勿体ないこと」
と恐縮する。
「限りなく深い海の底に生える海松のように
 豊かに伸びてゆく髪を私だけが見届けよう」
 ヒカルの歌に、
「千尋と仰いますが本当なのかどうか分かりませんわ
 潮の満ち引きのようにとらえどころのない貴方のお心と同じように」
 とさらりと書きつけている様子は大人顔負けだが、一方で背伸びした初々しさも感じられ、きゅんとするヒカルであった。
 大通りは今日もまた物見の車でごったがえしていた。馬場殿の辺りに止めようとしたが、
「上達部たちの車が多くて、何かと煩そうで面倒だな……」
 とためらっていると、派手に袖口をこぼれ出させている小奇麗な女車からすっと扇が差し出された。供人を招き寄せて、
「こちらにお止めあそばせ。場所を空けますから」
というので、
「おお、どこのおひとり様女性だろう???」
 などとやや興味と期待とを抱いたヒカル。場所も絶好だったので、車を引き寄せ
「こんな良い場所をどうやってお取りになったのでしょうか。お羨ましい」
 声をかけると、風流な扇の端を折って渡して来た。
「あら残念、他の方とご同乗なのね。
 神の許す葵祭、今日という機会を待っていましたのに。
 注連縄の内にはとても入れていただけそうにありませんわね」
 その筆跡は誰あろう、かの源典侍だった。
「マジかよ騙された……相変わらず若作りだなあ……」
 と一気にテンションダダ下がりのヒカル、能面で返す。
そう仰る貴方の心こそあてになりませんよ。
 かざす葵の葉はひらひらと、誰彼となく靡いてらっしゃるのでしょう?」
 典侍は動じない。
「あーら酷い仰りよう。
 悔しいけれど今日の葵は『逢う日』ではなく所詮はただの草葉なのですね。
 期待はずれでしたわ」
 典侍に限らず、簾を下げたままのヒカルの車を訝しむ向きは多かった。女性が乗っていることは明白だからである。
「この間のヒカル大将、スッゴイ素敵だったけど、今日は完全プライベートで見物なのね。お姿が見られなくて残念。でも一体何処の誰がご一緒なのかしら……きっと超絶美女にちがいないけれど」
 と外野はアレコレ詮索せずにはいられない。
「つい乗せられてつまらぬ歌争いをしてしまった……」
 後悔しきりのヒカルだったが、こんなシチュエーションで気安く声をかけてくるのは典侍ばりの鉄面皮でないと無理なので、その後は誰にも邪魔されることなく快適に見物を楽しんだのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 閑話休題。
 ここまで一見呑気な感じに見えますが、「葵」前半に出て来るエピソードは全てが伏線といっても過言ではありません。あの車争いの後の、この行動。若紫はもちろん何の関係も無いですし、ヒカルとて全く悪気はないですが、いざ外からどう見えるかを考えると、少々配慮が足りないようにも思われます。ましてこの時20代前半のヒカル、平安時代においてはもう若者とは言えない歳です。自分がどれだけ注目される存在かは御禊の日にはっきりしたわけですから、せめてこのタイミングでの女連れとわかる外出は慎むべきだったでしょう。
 この時代の、箱入り姫君や権力者の不自由さは半端ではありません。経済的には恵まれていても、身分が上がるほどに世界は狭まり、抑圧も強くなっていく。静かに、少しずつ溜まっていき、膨れ上がって、もはや押さえが効かなくなり限界を迎えた時に何が起こるか。紫式部はおそらくこの「葵」で初めて確信的にその有様を描いたと思われます。作家として初のカタルシス体験だったのではないかしら。羨ましいことです。
参考HP「源氏物語の世界
与謝野晶子訳「源氏物語」
ー記事をシェアするー
B!
タグ

コメント

notice:

過去記事の改変は原則しない/やむを得ない場合は取り消し線付きで行う/画像リンク切れ対策でテキスト情報追加はあり/本や映画の画像は楽天の商品リンク、公式SNSアカウントからの引用等を使用。(2023/9/11-14に全記事変更)(2024/10より順次Amazonリンクは削除し楽天に変更)

このブログを検索

ここ一か月でまあまあ見てもらった記事